今日家に帰ってきたら、両親がテレビを見ていた。
『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』
31歳の若さで、亡くなった医師のドキュメンタリードラマだった。
私が見たのは、ラスト30分くらい・・・でも、泣いてしまった
ラストにつれて、医師のメッセージが映像のバックに流れる。
「あたりまえ」はそのメッセージの中に出てきた。
歩けること・・・行きたい所へ行ける
手がある・・・欲しい物をつかめる
目が見える・耳が聞こえる・話せる・・・・・・
朝起きて、ご飯を食べて、夜になると、寝る事ができる・・・
そんなあたりまえのことがすばらしい。
でも、当たり前のことができることを人は喜ばない。
なぜ、喜ばない?
そのことに気づくのは、失ったときだけ・・・
そうメッセージで語られていた。
前の職場でも、
「一流の人間は、当たり前のことが当たり前にできる人間である」
と教わった。
今の職場でも、
「当たり前のことができるように・・・」
と教わった。
そして、2年前、父に「今当たり前のこと、普通のことができなくなってるんじゃないか」と指摘された。
その2年前から、私にとって「当たり前のことができること」は自分の中の目標?課題・・・であった。
でも、今日のテレビを見ていて思った。
「当たり前のことができること」を課題とするとともに、
「当たり前のことに感謝すること」を忘れてはいけないのだ・・・と。
ラスト30分しかみてないけど、泣きながらそんなことをふと思ってしまった。
追伸:学生の時の同期と久しぶりに会った
みんなが集まる場所に行くのは、卒業以来初めてだった。
変わらない雰囲気がそこにはあった。
たまには、いいものだなぁ~