わただま 摘んだ?

風になる 花のかおりをまとうこと 遠い訪れを搬ぶこと 水のありかを囁くこと そして こっそり石たちの夢にすべりこむ

共にいます

2006-08-18 06:25:50 | かぜは・・・
親が子どもを育てるときけど。
できることなどたかがしれてる、とつぶやいてしまう。

わたしのこどもはリッパ。
わたしが監督したからよ。
わたしの作品。

運がよかったのね。

人格左右できるほど だいそれたことなどできない。
それに気づいたのが
わたしの子育かもしれない。

不始末で、袋叩きにあってる親を見ると
紙一重で自分だったかもしれない。
そんな、きわどい運不運で ひとを 非と問えるのか。

手にあまる子を抱えて
だれにうらみも言えず
肩身が狭くわれを責め
そして
子に烙印を押す。

こころのつらさがそうさせる。

けれど。

四字略語の症名でくくることが流行っているが
子どもは
大きな可能性を持つ原石だからこそ
ちっぽけなスケールで測ることが
見誤りの起点なんじゃないだろうか。

学校という枠の中で
手のかかる子はわるい子で
手のかからない子は ほんとうに
なんでもひとりでできているの?

囲いの中で都合のよい子が
渾然無常の世の中で
オールマイティであるはずもない。

だのに、それがまかり通るは
わけへだてられ植えつけられた多数とそれが都合よい少数の
共同で築いた錯覚か。

あまたある複眼のうちのほんのいくつかで
人を照らすあり方こそを問うべきで
ただ矯正にたましいをすりへらす、
それはする側もされる側もお互いに不幸なことだろう。
かつ。
ランク付けに堪能であることが
優れた指導者と思いこまないでほしい。
そうではなく、
とるにたりぬ資質と光りのあたらぬ場所に
新しい複眼をみちびく
そういう手引きをこそしてほしい。

聴く耳さえあれば。
かつて、ちいさな複眼をともしてくださったのは
たまたま乗ったタクシーの運転手さんの
なんてない一言だった。

さて。
ひとを造りかえるなどできやしないとは思うものの
そうとばかりもいえないフシもたしかにある。

家内に徘徊する面々を見ていると
どうにもできのわるいコピーを見ているようで。
投影、それも負の部分ばかりが映りやすいような。

こどもをいじくるそのまえに
みがかにゃならぬものがある。

思うにならぬ自分より
こどもに代わりをさせてるほうが
楽と思ってはいませんか。

もし。
己の代替行為を全力挙げてやっている人がいて
それがどんどんエスカレートしてしまうなら。
それを見逃している伴侶がいる。
無関心という名の。

共に棲んでいればこその自衛かもしれない。
あるいは、たんなるずぼらか。
しかし
楽へと逃げる姿勢はいつか
命取りとなるやもしれぬ。
覚悟はなくとも来る日はあって。

共にいます。
それは、
相手に対して
責任の生じることなのだ。







2 Comments

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Unknown (とんぼ)
2006-08-24 04:24:49
昔の親は「世間」にも「他人」にも、

「様」をつけました。世間様、他人様。

それは卑屈になることではなく、

謙虚であれということで、

「世間様に迷惑をかけるな」ということは、

人として当たり前であれ、ということでした。

その当たり前がだんだんなくなってゆく・・。

人んちの庭に平気で空き缶置いていく、

せまい道路で横並び歩き、すれ違うのに

こっちが立ち止まってよける、

みんな「こども」と呼ばれる年頃ばかり。

親の背中を見て育つとこうなるということは・・。

親が悩んでいないということですな。

悩んでしょぼたれてたり、元気にそりかえってたり、生きるということはそういうことなんだと、

背中がしゃべってないんだな。

親なんて、背中どころか後ろ歩くのもやだよ・・

なのかな。自分の背中を見られてることも、

時には見てないということも、

親がきがついてないのかな。

「ともに在りましょう」ということは、

背中合わせじゃいみないんだけどな・・。

ですよね。
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想いばかりが溢れ (Suzuka)
2006-08-28 06:53:10
九十九折のようになってしまった本稿に

すっきりしたコメント、ありがとうございます。



中途をかっとばして、表題の落ち着く先はそう、

背中合わせじゃ意味がない。



そのほうが都合がいいことがある。

邪魔されることがないから。

知らなかったですむことも。

でも、ほんとは反則やってる自分を

知らないわけではないんですよ。

きっと。



なぜ

そんなことを続けているの、と考えた先に

見えてきた構図がこれでした。

ひとりだから。



共にいることは

それほどに 軽いことなのか。



でも それは

わたしの 出すぎた思いなのか。



ゆらぐときが

ないわけではなく。
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