アジア映画巡礼

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<香港国際映画祭まとめ:2>ドキュメンタリー映画の力

2013-04-06 | アジア映画全般

毎年香港国際映画祭では、ドキュメンタリー映画の力作を見ることができます。「記録編競賽」というコンペ部門があったりするため、いい作品が揃うのです。今年は、『痕跡』『バラ色ギャング』『フィルム人間』『サンフランシスコの中国人女性監督』の4本を見ました。

『痕跡』
 (原題:痕跡/英語題名:Trace/2013/中国)
  監督:黄驥(ホアン・ジー)、大塚竜治

 

共同監督のお二人は実はご夫婦。大塚監督は『再生の朝に ある裁判官の選択』 (2009)の撮影監督としても知られており、自然光を利用した静謐な画面には定評があります。『再生の朝に』に続いて、ホアン監督の長篇劇映画第一回作品『卵と石』(原題:■蛋和石頭/英語題名:Egg And Stone/2011)でも撮影監督・編集・製作を務めました。複雑な事情を抱えた14歳の女の子の「性」を描く『卵と石』は、個人的にちょっと厭わしいというかイタいシーンがあったため、DVDで見せていただいたにもかかわらず紹介できなかったのですが、『痕跡』はユーモアもまじえたとても暖かな作品で見ていて胸がほっこりしました。

この作品では、お二人が結婚して女の子千尋ちゃんが生まれ、千尋ちゃんを湖南省にあるホアン監督の実家に初めて連れて帰る旅が描かれています。単なる帰省ではなく、生後2ヶ月の千尋ちゃんを原戸籍に登録し、かつパスポートを作るという目的も持った帰省で、そこには当然中国のお役所とのあれやこれやが生じてきます。おまけに、ちょうど尖閣列島問題が浮上した時で、その描写も入ってくるなど、”私”ドキュメンタリーではあっても様々な政治的要素がからんでくるのです。下の写真は、警察の対応にムカッときた大塚監督が、幹部の写真が並んでいる前で記念撮影しているシーンです。

でも、むしろ印象に強く残るのは、そういった政治的なファクターよりも、地元の人たちとの触れ合いの数々。千尋ちゃんは寝かしたまま運べる抱っこ紐で常に大塚監督がこのように抱いており、おむつを替えるのもお手のもの。それを見た食堂のおばちゃんたちは、「まあ~、よく赤ちゃんの面倒を見るお父さんだこと~」と大いに感心します。そして、本当にかわいくて仕方がない、といった風情で千尋ちゃんをかまってくれるのです。ホアン監督も嬉しそうにおばちゃんたちに対応し、「赤ちゃん」というカギが人の心の扉を易々と開けてしまう情景をつぶさに見せてくれます。また、『卵と石』を撮影した村にも3人で行き、撮影現場の変貌などをカメラに収めます。

そして最後、北京の家に戻ったこの一家に、千尋ちゃんのパスポートが意外な方法で届くところで3人の旅は終わりとなります。それが、冒頭の写真のシーンです。個人レベルでの「中国という国」をしっかりと見せてくれた、面白いドキュメンタリーでした。

『バラ色ギャング』
 (原題:Gulabi Gang/2012/インド)
  監督:ニシター・ジャイン

続いては、 インドの社会派ドキュメンタリー作品です。「バラ色(グラービー)ギャング」というのは女性運動組織の呼び名で、活動する女性たちがバラ色のサリーを身にまとっているのが特徴です。その中心になっているのは、サンパト・パール・デーヴィーという女性。彼女が2006年にUP州ブンデールカンドで設立した組織が「バラ色ギャング」で、農村に生きる女性の権利を守るため、日夜闘っているのです。面白いのは女性たちを組織するやり方で、村々に行っては女性たちを集めて様々な社会の矛盾を話して聞かせ、と言うより女性たちをアジり、「組織に加わるのなら、このバラ色サリーに着替えるのよ!」と無地のバラ色のサリーを彼女たちに与えるのです。すると、結構な年のおばあさんでも、「よっしゃ!」とばかりに女性活動家に変身してしまうのですが、何だかこのバラ色のサリーには魔力があるように見えてきてしまいました。

このドキュメンタリーの中では、婚家で女性が焼き殺された事件が取り上げられ、サンパト女史が警察等に乗り込んで行って真相究明を迫るシーンなどが出てきます。彼女は駆け引きにも長けていて、その話し方や脅し方(!)は地方の政治家をほうふつさせます。カタログには「農村フェミニズム」という言葉が使われていましたが、都会とはまた違った女性運動のあり方を見せてくれるドキュメンタリーでした。

『フィルム人間』
 (原題:Celluloid Man/2012/インド)
  監督:シヴェーンドル・シン・ドゥーンガルプル

本作の主人公は、プネーにある国立フィルム・アーカイブの元所長P.K.ナーイル氏。私もよく知っている人で、計り知れないご恩を受けました。ナーイル氏はアーカイブのすぐ近くにある映画TV研究院に勤務したあと、1982年から1991年までアーカイブの所長を務め、その間にフィルムや資料の保存、発掘、活用などに積極的に取り組んだ人です。本作では、映画TV研究院を卒業した著名な映画人たちが、次々にナーイル氏の功績を語っていきます。学生のための上映会では毎回素晴らしい作品を見せてもらったこと、早朝の特別上映や、検閲でカットされた部分の上映などもしてくれたこと、映画に関して尋ねると、「そのシーンなら第何リールにあるよ」と明確な答えがすぐ返ってきたこと等々、幸せな映画の記憶がナーイル氏の思い出と共にたくさん語られていきます。

コメントするのは、ムリナール・セーン監督、ラメーシュ・シッピー監督、アドゥール・ゴーパーラクリシュナン監督、ジャーヌ・バルア監督、『きっと、うまくいく』のラージクマール・ヒラニ監督にプロデューサーであるヴィドゥ・ヴィノード・チョプラ監督、『命ある限り』のヤシュ・チョプラ監督、俳優のシャバーナー・アーズミー、ナスィールッディーン・シャー、サーイラー・バーノー等々、全部挙げるとそれはそれは長いリストができてしまいます。芸術映画の監督や俳優をほとんど網羅したコメントは、ナーイル氏の功績がいかに大きかったかを如実に語ってくれる豪華なものでした。

ところが、ナーイル氏が引退してしまうと、アーカイブはとたんに形骸化してしまいます。また、所長時代ナーイル氏は全身全霊をアーカイブのために捧げていたことから、引退後は非常な孤独感・疎外感に襲われるのです。それでも、引退直後はケーララ国際映画祭に関わったりしてインドや世界の映画人と行き来があったのですが、20年経った今では老いも加わって、その寂しさは隠しようもない状態となっています。アーカイブが死に体になっていることが、一層ナーイル氏を打ちのめしているのです。まさに、「組織は人なり」と思わせられてしまいます。

 

私がナーイル氏に初めて会ったのは、1982年の1月、初めてインド国際映画祭(International Film Festival of India)に参加した時でした。カルカッタ(現コルカタ)で行われたこの映画祭からインド映画の回顧上映が行われるようになり、その会場にずっと通っていた私が目を引いたらしく、ナーイル氏に話しかけられたのです。その翌年1983年にはプネーのアーカイブに行って、その年に我々が開催した<インド映画祭>の上映作品に関する資料を提供してもらったりしました。それから毎年、インド国際映画祭で顔を合わすようになったのですが、上の写真は1984年ボンベイ(現ムンバイ)で開かれた映画祭のパーティー会場で写したものです。左の人は、『熱風』 (1975)などの監督M.S.サティユーです。

ナーイル氏は奥さんを亡くし、今は娘さんと共にプネーに住んでいます。実は昨年9月にこの『フィルム人間』のことでメールをもらったのですが、やっと見られて幸せな反面、ナーイル氏の現在の孤独を思い知って愕然としました。ナーイル氏のメールによると、この作品を本年開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映してもらえるよう応募する、とのことなので、日本でも見ることができるかも知れません。 

『サンフランシスコの中国人女性監督』
 (原題:金門銀光夢/英語題名:Golden Gate, Silver Light/2013/フィリピン)
  監督:魏時■(S・ルイザ・ウェイ)

最後の作品は、映画祭の会場ではなくて、香港城市大学に新しくできた邵逸夫創意媒体中心(Run Run Shaw Creative Media Centre)で見せてもらいました。ルイザ・ウェイ監督は日本の城西国際大学に籍を置いていたこともあり、東金市に2年ほど住んでいたそうです。現在は香港城市大学で映画制作を教えていることから、映画祭での上映に先立ってセンター試写室での上映となったのでした。

このドキュメンタリーは、ブルース・リーが赤ん坊時代に出演したことで知られる『金門女』 (1941)を監督した、アメリカ生まれの女性監督伍錦霞(Ester Eng/エスター・エン/1914-1970)の軌跡を追ったものです。まず、ある貴重な資料が香港電影資料館に寄贈された話から始まるのですが、ウェイ監督はエン監督に関するその資料を調べて興味を持ち、アメリカに渡って彼女の足跡を追うことになります。「金門」、つまりゴールデン・ゲートがあるサンフランシスコを皮切りに、まだご存命のエン監督の妹らを訪ね、戦前のハリウッドで中国人、しかも女性が監督をするということはどういうことだったのか、という命題を解き明かして行きます。

原題の「金門銀光」は、エン監督(写真上)とその父親が作った映画会社の名前でもあります。エン監督は1970年に亡くなるまでに、結局アメリカで6本、香港で5本の作品を撮るのですが、最後は映画界から引退してニューヨークでレストランを開き、そこで亡くなっています。髪を短く切り、好んで男性の服装をしたという点でも、特異な女性監督だったようです。

広東が本籍のエン監督なので、妹さんも広東語を話し、その語りは活き活きしていてとても面白いものでした。例えば、英語名を付ける時に「伍」は本来なら「Ng」と表記するべきなのだけれど、それでは「NG (No Good)」と同じになってしまうから「E」を頭に付けた等々、記憶も鮮明でよくしゃべってくれます。戦前のアメリカ華僑の生活がいろいろかいま見える妹さんの話をずっと記録していった方が、資料を駆使してエン監督に迫るという内容よりも面白かったのでは、と思わせられました。エン監督(下写真中央)がずっと前に没していることもあって、映像が語るというより、資料とウェイ監督のナレーションで話が進行するため、ドキュメンタリー映画としての醍醐味が少ないようにも感じられたのです。本作は研究ノート的な面が強いので、書物になった方がもっと理解が深まるかも知れません。

 

先にも書いたように、今年は秋に山形国際ドキュメンタリー映画祭が開かれる年に当たります。力のあるドキュメンタリー作品は劇映画以上に面白いこともありますので、興味を持たれた方はぜひ<ヤマガタ>をスケジュールに入れておいて下さいね。映画祭の公式サイトはこちらです。

 


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2 コメント

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フィルム人間 (michica)
2013-04-10 00:21:53
teaserをチェックしてみました
写真も味わいがありますが、teaserも凄い…引き込まれるようです
山形の映画祭で上映されたらいいですねぇ~
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michica様 (cinetama)
2013-04-10 09:07:49
コメント、ありがとうございました。

michicaさんがご覧になったという予告編はこちらでしょうか?
http://www.youtube.com/watch?v=IGqyyYXQd9I

これを見ると、5月3日からインドで公開されるようですね。ちょうどインド映画100年にあたる、という最後のテロップが目を引きます。
コメントをいただいたおかげで、予告編を見ることができました。ありがとうございます!
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