アジア映画巡礼

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ちょっと残念なマラヤーラム語映画『満ちる潮の物語(仮題)』

2024-09-29 | インド映画

本日はシネ・リーブル池袋で開催されている「週末インド映画セレクション」の最終日。最後の1本であるマラヤーラム語映画『満ちる潮の物語(仮題)』(2014)を見て来ました。この映画が上映作品に加えられたのは、①珍しいラクシャドゥヴィープを舞台にした物語であること、②イスラーム教徒の結婚と離婚について、あまり知られていない側面を見せてくれること、③2021年に亡くなったマラヤーラム語映画の名優ネドゥムディ・ヴェーヌが出演していること、という3つの理由によるのでは、と勝手ながら推測しています。

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①のラクシャドゥヴィープとは、インド南西端ケーララ州の西側海域に展開する島嶼群のことで、インド連邦直轄地の一つとなっている地域です。「ラクシャ( लक्ष)」とはヒンディー語「ラーク(लाख)」の元になる言葉で「10万」の意味、「ドゥヴィープ(द्वीप)」はヒンディー語で「島」という意味です。「ラカディーヴ」と呼ばれることもあり、その南に連なる島嶼部分はモルディヴとして独立国家になっている、と言えば、大体どこかおわかりでしょう。連邦直轄地でもあり、撮影が難しいのか、ここを舞台とした作品は私はこれまで見たことがありません。映画のオープニングで美しい海中の風景が出てきて、豊富な珊瑚礁やそこに生息するクマノミなどの熱帯の魚群が映し出されるのですが、インドではマリンスポーツはまだ一般的ではなく、この映画が観光推進に寄与するとは思えません。住民はイスラーム教徒が96.6%と圧倒的に多く、あとは少数のヒンドゥー教徒とキリスト教徒がいます。彼らの大多数は中世にインドから移住したり、スリランカから移住したりしたあとイスラーム教徒に改宗した人々の子孫で、言葉はマラヤーラム語話者が84.17%、モルディヴの国語ディヴェヒ語の話者が14.44%となっています。ケーララ州のコチからは、行く島によっても違いますが、フェリーで14~18時間で行けるそうです。この映画は10年前の作品ですが、立派なフェリーが就航しており、現在も所要時間は変わらないのでは、と思われます。

と、舞台となる場所の説明を先にしてしまいましたが、この映画の主人公はキリスト教徒のアレックス(アーシフ・アリー)と、映画が始まって3分の1ぐらい経ってから登場するイスラーム教徒のアクバル・アリー(サニー・ウェイン=スジート・ウンニクリシュナン)。冒頭3分の1は、アレックスがキリスト教徒の旧家に父(ネドゥムディ・ヴェーヌ)の14番目の子として生まれ、大学生となった頃には大家族制が崩壊してお屋敷に父との2人暮らしとなり、父の死後は別の屋敷で父の遺産を食い潰しながら暮らしているうちに刑務所にブチ込まれる事件を起こす、というストーリーが語られます。アレックスが刑務所から脱獄した時に偶然アクバル・アリーも脱獄し、紆余曲折を経て2人は島へと向かうことになるのですが、アクバル・アリーが島に戻る理由が、好きになった女性イサ(スワティ・レッディ)の離婚に関わることだったのでした。

で、②イスラーム教徒の結婚と離婚について、あまり知られていない側面を見せてくれること、の話になるのですが、アクバル・アリーは貧しい漁師で、確か南部のミニコイ島に職を求めて行った時、島の有力者に挨拶に行き、彼から海洋生物学を学ぶ娘イサの手足となって働くよう命じられます。船にイサを乗せ、海に潜って彼女が見たい魚を探したりしているうちに、アクバル・アリーは彼女に恋してしまいます。でも実は、イサは夫と離婚して実家に戻ったものの、やはり愛しているのは彼だと気づき、夫とよりを戻したがっていたのでした。しかしイスラーム法では一度離婚した相手と再婚するには、その間に別の人間と結婚した(&離婚・死別した)という事実がないとダメなのです。イサはその結婚&即離婚の相手をアクバル・アリーに依頼し、アクバル・アリーは彼女を思って承知するのですが、離婚式の最中、夫が「タラーク(離婚)」と3度言わなくてはいけないところ、最後の1回を前にアクバル・アリーは警察に逮捕されてしまい、イサは離婚できないままになってしまいます。

今、調べてみると、確かにイスラーム法にはこういう規定があるようで、ちょっと驚きました。本作の監督はアジート・ピッライという人で、脚本は彼とヴィピン・ラーダクリシュナンという人との共同脚本のようですが、2人とも名前からはヒンドゥー教徒のようです。ちょっと異様な設定で、まあその後ハッピーエンドとなることはなるのですが、この珍しい設定が上映選定の決め手の一つになったのでは、と思います。

③のネドゥムディ・ヴェーヌは、上写真のような扮装で出現します。コッタヤムにある村の大地主一家の次男で、兄家族とも同居する大家族制の一家なのですが、キリスト教徒のせいか産児制限には真っ向から反対し、産児制限を勧めに来た役人を銃で脅して追い返したりします。彼の望みは13人の子持ちである兄を抜くことで、12人の子持ちであった祖父の記録は抜いて13人の子持ちとなったものの、何とか14人目を妻に産ませたい、といろいろ努力を重ねます。そして自分が58歳、妻が48歳の時生まれたのが、本作の主人公アレックス、というわけです。その無理がたたったのか妻はアレックスが3歳の時死亡し、アレックスは兄や姉の子供よりも後で生まれたので、「それでも”叔父さん”なの?」とバカにされて育つ、というように、最初の部分はコメディ色が強いのです。ネドゥムディ・ヴェーヌと兄役の老俳優にボクシング試合をさせてみたりと、あまり趣味のよくないコメディ処理で、最初からちょっとがっかりしながら見ていたのでした。

その後も、コラコラと思うような設定がいろいろ出てきて、いいとこ半分、ダメ出し半分の作品でした。ダメ出しの一つは、イサと共にもう1人のヒロインである郵便局員として島に赴任する女性ディーナ(ジャナニ・アイヤル)が登場するのですが、2人ともつけまつげがすごくて、10年前はこんなヒロイン顔が好まれたのか? いやいや、マラヤーラム語映画、もっと趣味がよかったぞ、と思ったり。結構魅力的な、しっかりした性格のヒロインなのに、それだからなのかゲロ吐きシーンをモロに見せたりと、監督の演出が「笑いを取る」方に向きがちになるのが見ていて痛かったです。マラヤーラム語映画、これまでのIMW紹介作では『ウスタード・ホテル』(2012)を筆頭に、『ジャパン・ロボット』や『ウィルス』(共に2019)など秀作が続いていたのになあ、いっそ、この前英語字幕上映だった『マンニュンマル・ボーイズ』(2024)を日本語字幕にしてくれればよかったのに、等々愚痴りながら、にわか雨の中を帰宅したのでした。でも、場内はほぼ満席で、皆さん新しい作品への期待が高いことがわかります。マラヤーラム語映画の名誉挽回、次回に期待しましょう。


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