アジア映画巡礼

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衝撃のカンヌ国際映画祭女優賞受賞作品『聖地には蜘蛛が巣を張る』(下)

2023-04-12 | イラン映画

4月3日付けでアップした(上)の続きです。いよいよ明後日から公開となりますので、本作の注目点、見どころなどを書いてみたいと思います。ストーリーは(上)をご参照いただきたく思いますが、作品データはここにもう一度アップしておきます。

『聖地には蜘蛛が巣を張る』 公式サイト 
 2022年/デンマーク、ドイツ、スウェーデン、フランス/ペルシャ語/118分/原題:Holy Spider/ペルシア語原題:Ankabut-e moqaddas/R-15
 監督:アリ・アッバシ
 出演:メフディ・バジェスタニ、ザーラ・アミール・エブラヒミ
 配給:ギャガ gaga.ne.jp/seichikumo
4月14日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、TOHOシネマズシャンテ他にて全国順次公開

(c)Profile Pictures / One Two Films

4月10日(月)の日本の新聞に、こんな記事が出ました。「ヘジャブ違反 カメラで監視」と題して、「イランの警察は8日、女性に義務づけられているヘジャブ(髪を覆うスカーフ)の着用を巡り、違反者を取り締まるため大通りなど公共の場所に監視カメラを設置すると発表した。(中略)イランでは昨年9月、ヘジャブのかぶり方が不適切だとして逮捕された女性(当時22歳)が拘束中に急死したのを機に、全国的に抗議デモが拡大、治安部隊との衝突も相次ぎ、(中略)少なくとも537人が死亡した。」(毎日新聞朝刊より)前にも書いたように、「ヘジャブ(または”ヒジャブ”でもOK)」というのは髪だけを覆うスカーフで、イランでは髪がスカーフの外に出ないよう要求されます。上の写真は劇中に出てくる娼婦の1人で、ポスター等のヴィジュアルにじゅうたんのモチーフとしてデザインされている女性ですが、前髪がヘジャブから出ているか、あるいはヘジャブが背中にずり落ちているかして、警官がいたら即逮捕、という姿になっています。そして、本作で殺される娼婦たちは、被っていたヘジャブを使って絞殺されるのですが、それはまるで、ヘジャブをきちんと被る生活さえしていれば殺されなかったのだ、と犯人のサイード(メフディ・バジェスタニ)が言っているようにも見えました。

(c)Profile Pictures / One Two Films

上写真は、警察署に取材に行った時の主人公アレズー・ラヒミ記者(ザーラ・アミール・エブラヒミ)の姿ですが、髪の毛はヘジャブからはみだしていない、模範的なかぶり方です。その後、彼女が娼婦に化けて街角に立つ時は、下のように化粧を濃いめにして、ヘジャブもゆるく頭に被っています。こんな風に、この映画ではへジャブがいろんなことを雄弁に語ってくれるのです。

(c)Profile Pictures / One Two Films

そしてもう一つ、ヘジャブがないことで語らせていることもあるのです。下の写真はヘジャブを脱いだアレズーなのですが、かなり早い段階、マシュハドのホテルに着いた時に彼女はヘジャブを脱いで見せます。おそらくそのシーンは、冒頭で1人の娼婦が出かけるための身支度をしている時に、ブラジャーを付けない姿を鏡で映すシーンと共に、イラン映画をよく見る人にはショックを与えることでしょう。私は「イラン映画」と思って見始めた作品に、女性の裸体やヘジャブを被らない女性が映ることに慣れていないため、この2つのシーンで息を呑んだあと、「大丈夫なのか、監督は」と思ってしまったのでした。

(c)Profile Pictures / One Two Films

ヘジャブは現実社会では、家では誰も被りません。外務省の「安全対策ページ:イラン:滞在時の留意事項」にはこうあります。「イランでは、満9歳以上の女性は、外国人・異教徒であっても例外なく、公共の場所ではヘジャブとよばれる頭髪を隠すためのスカーフと身体の線を隠すためのコートの着用が法律上義務付けられています。そのため、外出時には、女性は必ずヘジャブを着用しなければなりません。女性のヘジャブの着用は、家から一歩外に出たところ(公の場)から義務付けられます」つまり、家から一歩出たところから「公の場」が始まるので、家の中は「私の場」であるため、着用義務などないのです。でも、イラン映画をよく見ておられる方はご存じのように、家の中のシーンでもイラン映画の女性たちはヘジャブを被る、あるいはヘジャブに準じるスカーフを頭にかけています。これは、スクリーンを通して「公の場」と繋がってしまうため、リアリズムは後回しにされて女性の登場人物にはかぶり物を着用させている、ということなのでしょう。

(c)Profile Pictures / One Two Films

本作では主人公だけでなく、主人公が訪問する先の女性も、家の中ではヘジャブを被っていません。上写真の老女は、亡くなった娼婦の母親です。また、犯人であるサイードの妻も家の中では長い黒髪をそのまま見せていますし、外出から戻ってきた時に大判のヘジャブを脱いで髪をあらわにするシーンもあります。最初見た時はそういうシーンがいちいち衝撃的で、「大丈夫かしら?」と思ってしまったのですが、この映画の後にイラン映画を見ると、自宅内でヘジャブをしている女性に違和感を覚えるかも知れません。でも前述したようなお達しが出るイランでは、映画の中で女性の黒髪を見ることは当分ないでしょう。

(c)Profile Pictures / One Two Films

ところで本作のペルシア語原題ですが、「Ankabut-e moqaddas」の「アンカブート(عنکبوت)」は「蜘蛛」、「エ」は英語で言えば「of」、「モカッダス(مقدس)」は「聖なる、神聖な」という意味で、「モカッダス」は「ムカッダス」という発音でヒンディー語の辞書にも載っています。「神聖なる蜘蛛」というのは、神の意を受けて害虫を始末する蜘蛛、とでもいう意味なのでしょうか。後半でその意味がほのめかされているところがあり、事件の舞台マシュハドが聖地であることから、上手な邦題だなあ、と思ったりしたのですが、映画の冒頭ではイマーム・アリーの「雄弁の道」(日本でも翻訳が出ているようですので、興味のある方はAmazon沼で「雄弁の道――アリー説教集」で探してみて下さい)から、「人は避けたいことと出遭うものだ」という言葉が引用されています。見終わってからこの箴言をもう一度考えてみると、娼婦たちはもちろん、殺人者であるサイードも、そして主人公のアレズーすらも、この言葉をつぶやく瞬間があったのでは、と思ってしまいます。イランでは作ることのできなかったイラン映画を、この機会にぜひご覧下さい。タイミングよく本日正午に、冒頭すぐの本編シーンと、主人公アレズーを演じたザーラ・アミール・エブラヒミ(劇中のとげとげしさは演技の賜物だったことがよくわかる、美しい人です)からのメッセージが解禁になりましたので、貼り付けておきます。本編シーンの最後に、前述したようにヘジャブを取るアレズーが出てきますので、見てみて下さいね。

『聖地には蜘蛛が巣を張る』本編映像_聖地を訪れたラヒミのファーストシーン&主演ザーラ・アミール・エブラヒミからのメッセージ【4/14(金)全国公開】

 


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