Chris's monologue

二匹+ONE?のクマンズとChris(謎の生命体)の怠惰な生活

北豊島三十三ヶ所霊場 札所15番 智清寺

2013-05-07 08:30:59 | 北豊島三十三ヶ所霊場巡礼のようなもの

文殊院を出たら、板橋という橋を渡って、ちょっと行ったら左折します。
17号線と首都高5号線をぶっちぎり、

やってきました智清寺は、札所15番。
けれどもクマル的には10番。
坂東や秩父とちがって、ご近所さんなので、とんとん拍子でことが運びます。

板橋区のお寺って、こういう説明書きがあるからうれしむよね
つっても、歴史に興味のないクマルは斜め読みするだけ。

だってお釈迦様もいっておれれます。
過去にしばられるのは執着。
それを手放しなさいと。
だからクマルは現在に生き、

祈るだけ。

おい、それ、他人の墓だぞ。

このヒトの↑

*雪廼舎相沢朮の墓
文政8(1825)年越後国(現新潟県)六日町の医者石川有節の長男として生まれる。幼名は富蔵、諱は高尚、後に玄英、周碩と改める。医術を江戸の大久保東渓や成田宗信に、蘭学を大坂の六人部右衛門に学ぶ。弘化3(1846)年三河国(現愛知県)西尾藩主松平乗全の側医相沢良安の養子となり、その娘扇子と結婚して江戸に住む。後に家督を継いで湛庵と改める。明治元年西尾に移り、明治3年朮の名を藩主乗秩より賜る。
朮は文学を好み、漢学を江戸の前田観海、桑名の森樅堂に、和歌を井上文雄、加藤千浪、佐々木弘綱に学ぶ。明治9年東京に移り、医を開業するかたわら和歌を楽しむ。明治20年板橋町に居を構えると医を離れ、門人への和歌の指導に専念する。
明治37年5月28日逝去。享年81歳。親族の眠る智清寺に埋葬される。法名は修得院仁誉高尚居士。(智清寺HPより)


さあ、とんとんと次行ってみよう

クマル的第10番
智清寺
東京都板橋区大和町37-1
本尊:阿弥陀如来


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