先週行った
日比野克彦さんの個展のタイトルが「ひとはなぜ絵を描くのか」で、そのことばが頭から離れなくて、ここんとこずっと「わたしはなぜ絵を描くのか」と変換されて頭の中をめぐっていました。
日比野さんは世界のいろんなところへ行って、そこでしか感じられない何か、そこでしか描けないなにかをつかんで紙の上に表現していました。
砂漠で描いたり、山で描いたり、海の中に潜って描いたり。
わたしには最初、ほんとうに子供が描いたただのらくがきのようにしか見えなかった。
すごいと言われる日比野さんのすごさがよく分からなかった。
個展の中である部屋に展示してあったのは、日比野さんがある時パリのホテルで3日間閉じこもって描いた数十枚の絵。
ほとんどがホテルの部屋の中の様子。椅子とかベッドとかカーテンの断片。
壁にはその3日間の日比野さんの心のうごきが詳細に書かれていました。
「自分はこれから3日間、この部屋で絵を描く。絵を描くためにここにいる。
だから自分は今ここにいていいんだ」
そんなフレーズから始まっていたように思います。
絵を描く対象は部屋の中のもの。目が黄色のベッドカバーをとらえる。
脳が手に指令を出す。この白い紙を白くない紙にするために手が動き出す。
そうやってつぎつぎに日比野さんは描いていく。
途中からホテルの部屋にないものを描けと脳が手に指令を出す。
窓から砂が流れ出たり、ベッドが宙に浮いたりする。
そうやって絵と文をたどっていくと、どんどん絵がいきいきと見えてきて
どんどん面白くなってきて
一緒に自分もパリのホテルで絵を描いているような気がしてきました。
絵を描いている日比野さんの存在がしっかり感じられました。
そうしてその部屋を出ると、さっきまでよく分からなかった子供の落書きが、浮き上がってきた。
世界のいろんな場所で描く日比野さんの姿が浮き上がって見えました。
わあーすごい、と呟いていました。
「僕は今ここにいる」
とすべての絵が言っていました。
わたしが絵を描くのは、あたまに浮かんだものを出す作業。
だからいつも「絵を描く」という言葉がしっくりこない。頭から紙に出してるだけです。
出してあげないと苦しくなる。
空をみたり、月をみたり、木をみたりするとかちっと何かが反応して変換されて
イメージが出てくる。ああ早く出さなくちゃ、と焦ります。
それはなんだか呼吸することに似ているな、と気づいてずっと
前に書きました。
吸って、吐く。
今もそうだなと思う。
呼吸をするように描いてる。
わたしは別に自分の絵がうまいとも思ってないし、プロでもないから偉そうなことは言えないけど、
「なぜ絵を描くのか」
と問われたら
「呼吸するのと一緒だから」
と答えると思います。
短い呼吸のときもあるし、ながーい深呼吸のときもある。
それはやっぱり、日比野さんの絵を見て感じたように「今ここにいる自分」の存在証明でもあるような気がしてます。
「絵を描く」ということについて、改めて感じたことでした。
写真は会場でもらった朝顔の種。