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*toi et moi*

時々、なんとなく思いついたいろいろなことについて...

今週読んだ本 (2006年5月第3週)

2006-05-18 19:58:49 | bibliotheque
■「陰陽師 太極の巻」 夢枕獏 著(文春文庫)

■「ダ・ヴィンチ・コード 上 中 下」 ダン・ブラウン 著、越前敏弥 訳(角川文庫)

■「LIVE! 成長する教師のための日本語教育ガイドブック 上」 川口義一&横溝紳一郎 著(ひつじ書房)
 ※下巻は途中

昨日カンヌで「ダ・ヴィンチ・コード」が上映されたが、観客の反応はイマイチだったとか。
確かに本当のキリスト教やカトリックの信者なんかは内容的に受け入れがたい部分があるかもしれない。
その点、私は無宗教というか多宗教というか、特定の宗教を信仰していないので、
謎解きも、歴史的背景もそれなりに興味深くおもしろかったと思う。
今週末公開なので、暇があれば見に行くつもりだ。

さて、来週は何を読もうか...
そういえば、ハリポタをamazonで予約したつもりだったのだが、どうやら思い違いだったらしい。
まぁ、前作も買ったまま放置してあるので別にどうってことないのだが。
「ハリポタ」とても人気なのだが、どうも私にはあわないらしい。
なぜだか分からないが。
私が途中で放棄する本はかなり珍しいのだが、ハリポタはそのうちのひとつだ。
ちなみにほかにどのような本を途中で放棄したかというと、

■「小説『聖書』 旧約篇 上」 ウォルター・ワンゲリン 著、仲村明子 訳(徳間文庫)

■「言語学とは何か」 田中克彦 著(岩波新書)

■「検屍官」 パトリシア・コーンウェル 著、相原真理子 訳(講談社文庫)

これくらいか。
聖書は大学時代に授業で紹介され、買ってみた。
でも、読むと睡魔が襲ってきてまったく読み進めることができなかった。
言語学の本は、大学で学びたいと思い、高校時代に購入。
しかし、難しすぎて断念。
検屍官は兄にもらい、パラパラと読んでみたが、興味が持てず放置。

小説聖書は機会があればもう一度チャレンジしてみたい。
どうしても読みたい本が見つからないときの最終手段として。

自己分析術

2006-05-10 22:01:04 | bibliotheque
本を読むのがすき。
これは昔からの私の趣味だ。
現在も電車通勤のため、毎日本は欠かせない。
ぼぅっとただ座っているだけなのは時間の無駄なような気がして許せないのだ。
今日読み終えた本は「檻のなかの子」(トリイ・ヘイデン著 入江真佐子訳 ハヤカワ文庫刊)
トリイ・ヘイデンのこのノンフィクションシリーズは今のところ8冊ある。
そのうち文庫になっているものが6冊。
彼女の本を最初に読んだのは高校のとき。図書室で見つけて読んだ。
それ以降、本屋で見かけては買おうかどうしようか悩んでいたが、結局買わず。
(高校生のお小遣いでハードカバーの本を買うことはできませんでした)
しばらく彼女の本のことは忘れていたのだが、
最近、半年か1年ほど前に偶然本屋で私が高校のときに読んだ
「シーラという子」が文庫になって出版されているのを発見。
すぐに購入し、読んだ。
別の作品もその後刊行される予定だと書いてあったが、
家の近くの本屋では取り扱っていないよう。
しばらく彼女の本と会えない日々を過ごしていたが、
数ヶ月前に大きな本屋へ行く機会を得たのでそこで探してみるとあった。
とりあえず現在出ている分をすべて購入。

彼女の本では「生きる」ということについて深く考えさせられる。
それと、何気なく生活している今現在が、いかに幸せな世界なのかと。
世の中にはさまざまな問題があって、苦しんでる人がいて。
でも、そんな境遇にいる人のほうが他人を思いやることに長けていたりする。
自分がどれほど甘い生活を送っているのか思い知らされる。

まだ買ったままのトリイの本があるが、しばらく放置。
次は「陰陽師 太極ノ巻」(夢枕獏著 文春文庫刊)の続き残り1/3程と、
「ダヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン著 越前敏弥訳 角川文庫刊)を読むつもり。
ところで私は数冊の本を同時進行で読んだりする。
家にいる時はこれ、電車ではこれ、と。
なぜかというと、本の残りページが少なくなってくると電車に乗っている間に読みきってしまう可能性があるからである。
ちょうど帰りの電車の中で読み終わる分には問題ないのだが、
行きに読みきってしまうと、帰りに読むことができなくなるからである。
そこで、ある程度の残量になると、読みかけの本は家用になり、通勤には新しい本を持っていくのだ。
また、薄めの本は最初から家用となる。

さて、ある人が「本棚を見れば持ち主のことがわかる」と言っていた。
私の悩みは自分のことがよくわからないこと。
将来何がしたいのか、何がすきなのかイマイチわからない。
そんな話のときにそう言われた。「自分の持っている本をじっくり眺めてみたら?」と。
本当にそうだろうか?むむぅ。
確かに本を選ぶとき、まったく興味のないものを選んだりはしないだろう。
でも、一体私は何を基準に選んでいるのだろうか。
実際私は歴史が嫌いなので「三国志」などは一切読もうと思ったことはない。
でも、宮部みゆきの時代小説は好きだ。
これは、実話かそうでないかの違いだろうか?
もしくは、やはり潜在的な部分で取捨選択が行われているのだろうか。
今一度自分の本棚をのぞいてみるがよく分からない。
ぜひ、彼に鑑定してもらいたいものだ。