焼肉屋を出ると陽はもう暮れていた。
街のネオンを頼りに歩きながら僕達は宗ちゃん行きつけのスナックに行く事にした。
焼き鳥屋のとなりのビルの細い階段を山ちゃんの背中を押すように上っていく。
2階の踊り場に面した店の黒い扉を開けると中からママと明美ちゃんの声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ。」
まだ早い時間だからだろう、客は僕達以外いないらしい。
山ちゃんを間に挟み僕達はカウンターの席に着いた。
「珍しいね、今日は3人かい?」
ママは付け出しのビーフジャーキーを出しながら話しかけてくる。
明美ちゃんは宗ちゃんのボトルを出し嬉しそうに水割りを作り出した。
明美ちゃんはお酒を飲むために産まれてきた様な女性だった。
この店でアルバイトしているのも、もしかすると無料(ただ)でお酒を飲む為なのかもしれない。
お客が来て一番喜んでいるのは、多分ママよりも明美ちゃんの方だろう。
「いやぁー、美人のママの顔が見たくてね。」
「はいはい、こんなババアの顔が見たいなら毎日でも通っておくれ。」
どうやら宗ちゃんのお世辞は空振りに終わったようだ。
出来立ての水割りが目の前に並び終わると皆で乾杯した。
「はぁー、染みるねぇー。」
水割りを一気飲みした明美ちゃんが嬉しそうにつぶやいた。
「起きざまに迎え酒してるだろうに、今更染みるはないだろうよ。」
「どうせ私はこれだけが生き甲斐ですよーだ。」
ママが突っ込みを入れると、明美ちゃんがおどけた様な顔を見せた。
宗ちゃんと僕はその様子に少し口元をゆがめた。
山ちゃんはと言えば相変わらず元気無さそうだ。
「あら、山ちゃん今日はいつもの元気が無いみたいだね。」
「ママにもわかる?山ちゃんこの一週間ほど元気が無いんだよ、さっきも焼き肉屋で元気付けようとしたんだけど、山ちゃん、大好物の焼肉も口にしないし、もう俺達ではお手上げってわけでここに連れてきたんだ。」
「何だい、やっぱり私の麗しいお顔を見に来たわけじゃないんだね。」
「醤油こと。」
宗ちゃんは村上ショージのギャグを飛ばしながら照れ笑いした。
明美ちゃんは濃い目の水割りを作ると黙々と口に流し込んでいる。
山ちゃんはもう諦めた様子で最初の水割りを飲んだ後はストレートにして口に運んでいる。
ママは白い目を宗チャンに向けた後山ちゃんに話しかけた。
「山ちゃん何か悩み事でもあるのかい?」
4人の視線が山ちゃんに集中した。
山ちゃんはこうなる事を予想していたのだろう、もう随分酒も進みほんのり赤くなっていた。
「うん…。」
「何だい、はっきりしないねぇ、男ならもうちょっとシャキっとおし。」
「実は、……」
ママの迫力に山ちゃんはついに観念したようだった。
山ちゃんの話はそれから5分ほど続いた。
要点を掻い摘むと、先週会社の女性事務員に優しくされ彼女に惚れてしまい、彼女に振り向いてもらうためにダイエットしてると言う事らしい。
「はぁ、何だい男らしくないねぇ、そんなにどんよりした空気を漂わせてるとその娘も振り向いちゃくれないよ、もっとしっかりおし。」
ママのひと言で、山ちゃんはいよいよ元気が無くなってきた。
宗ちゃんも僕もこればかりはどうしようもない。
少し場が沈みかけている所に、店でかけていた有線から「炎のファイター」が流れてきた。
ファイ ファイ ファイ ファイ ファイ ファイ ファイ ファイ
一人だけもうすっかり出来上がっていた明美ちゃんが、テーブルに置いてあったビーフジャーキーを鷲づかみつかみにすると山ちゃんの口にねじ込み立ち上がった。
神懸りしたような明美ちゃんの目はすっかり座り、酒臭くなった口からは彼女の物とは思えない大きな声で言葉が紡ぎ出されてきた。
その肉を食えばどうなるものか
危ぶむ無かれ
危ぶめば肉は無し
食いつけばその一口が肉となり
その一口が肉となる
迷わず食えよ
食えば分かるさ
「一・二・三、ダァーーー!」
店にいた五人の声が一つに響き、五つの拳が空気を突き刺した。
迷いも吹っ切れたのだろう、山ちゃんの顔には笑顔が満ちている。
宗ちゃんと僕はほっとしたような顔で目を合わせた。
「明美ちゃん、やったね。」
僕は思わず明美ちゃんに声をかけていた。
明美ちゃんはと言えば、皆が拳を下ろした後もまだ拳を突き上げている。
どうやらこのスタイルが気に入ったようだ。
「わが生涯に一片のくいなし。」
明美ちゃんはさらに拳を突き上げた。
おしまい
(迷子の古事記 2013.11.12)
街のネオンを頼りに歩きながら僕達は宗ちゃん行きつけのスナックに行く事にした。
焼き鳥屋のとなりのビルの細い階段を山ちゃんの背中を押すように上っていく。
2階の踊り場に面した店の黒い扉を開けると中からママと明美ちゃんの声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ。」
まだ早い時間だからだろう、客は僕達以外いないらしい。
山ちゃんを間に挟み僕達はカウンターの席に着いた。
「珍しいね、今日は3人かい?」
ママは付け出しのビーフジャーキーを出しながら話しかけてくる。
明美ちゃんは宗ちゃんのボトルを出し嬉しそうに水割りを作り出した。
明美ちゃんはお酒を飲むために産まれてきた様な女性だった。
この店でアルバイトしているのも、もしかすると無料(ただ)でお酒を飲む為なのかもしれない。
お客が来て一番喜んでいるのは、多分ママよりも明美ちゃんの方だろう。
「いやぁー、美人のママの顔が見たくてね。」
「はいはい、こんなババアの顔が見たいなら毎日でも通っておくれ。」
どうやら宗ちゃんのお世辞は空振りに終わったようだ。
出来立ての水割りが目の前に並び終わると皆で乾杯した。
「はぁー、染みるねぇー。」
水割りを一気飲みした明美ちゃんが嬉しそうにつぶやいた。
「起きざまに迎え酒してるだろうに、今更染みるはないだろうよ。」
「どうせ私はこれだけが生き甲斐ですよーだ。」
ママが突っ込みを入れると、明美ちゃんがおどけた様な顔を見せた。
宗ちゃんと僕はその様子に少し口元をゆがめた。
山ちゃんはと言えば相変わらず元気無さそうだ。
「あら、山ちゃん今日はいつもの元気が無いみたいだね。」
「ママにもわかる?山ちゃんこの一週間ほど元気が無いんだよ、さっきも焼き肉屋で元気付けようとしたんだけど、山ちゃん、大好物の焼肉も口にしないし、もう俺達ではお手上げってわけでここに連れてきたんだ。」
「何だい、やっぱり私の麗しいお顔を見に来たわけじゃないんだね。」
「醤油こと。」
宗ちゃんは村上ショージのギャグを飛ばしながら照れ笑いした。
明美ちゃんは濃い目の水割りを作ると黙々と口に流し込んでいる。
山ちゃんはもう諦めた様子で最初の水割りを飲んだ後はストレートにして口に運んでいる。
ママは白い目を宗チャンに向けた後山ちゃんに話しかけた。
「山ちゃん何か悩み事でもあるのかい?」
4人の視線が山ちゃんに集中した。
山ちゃんはこうなる事を予想していたのだろう、もう随分酒も進みほんのり赤くなっていた。
「うん…。」
「何だい、はっきりしないねぇ、男ならもうちょっとシャキっとおし。」
「実は、……」
ママの迫力に山ちゃんはついに観念したようだった。
山ちゃんの話はそれから5分ほど続いた。
要点を掻い摘むと、先週会社の女性事務員に優しくされ彼女に惚れてしまい、彼女に振り向いてもらうためにダイエットしてると言う事らしい。
「はぁ、何だい男らしくないねぇ、そんなにどんよりした空気を漂わせてるとその娘も振り向いちゃくれないよ、もっとしっかりおし。」
ママのひと言で、山ちゃんはいよいよ元気が無くなってきた。
宗ちゃんも僕もこればかりはどうしようもない。
少し場が沈みかけている所に、店でかけていた有線から「炎のファイター」が流れてきた。
ファイ ファイ ファイ ファイ ファイ ファイ ファイ ファイ
一人だけもうすっかり出来上がっていた明美ちゃんが、テーブルに置いてあったビーフジャーキーを鷲づかみつかみにすると山ちゃんの口にねじ込み立ち上がった。
神懸りしたような明美ちゃんの目はすっかり座り、酒臭くなった口からは彼女の物とは思えない大きな声で言葉が紡ぎ出されてきた。
その肉を食えばどうなるものか
危ぶむ無かれ
危ぶめば肉は無し
食いつけばその一口が肉となり
その一口が肉となる
迷わず食えよ
食えば分かるさ
「一・二・三、ダァーーー!」
店にいた五人の声が一つに響き、五つの拳が空気を突き刺した。
迷いも吹っ切れたのだろう、山ちゃんの顔には笑顔が満ちている。
宗ちゃんと僕はほっとしたような顔で目を合わせた。
「明美ちゃん、やったね。」
僕は思わず明美ちゃんに声をかけていた。
明美ちゃんはと言えば、皆が拳を下ろした後もまだ拳を突き上げている。
どうやらこのスタイルが気に入ったようだ。
「わが生涯に一片のくいなし。」
明美ちゃんはさらに拳を突き上げた。
おしまい
(迷子の古事記 2013.11.12)