グー版・迷子の古事記

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鳴らない電話(5)

2013年12月27日 | 落書き帖
今考えてみると彼女の言った言葉がその後僕たち二人の間に起こる事柄を暗示していたように思う。
彼女はいつも無口な僕を少しでも楽しませようと彼女なりに面白い話を考え出しては話しかけてきた。

「私のお母さんも携帯電話を持ってるんだけど誰からも電話がかかって来ないの。鳴らない電話なのにいつも大事そうに持ってるのよ。」

幸せだった日々も少しずつ陰りが見え始めていた。
彼女の仕事が忙しくなったらしく電話も徐々に少なくなっていった。
そして最後の電話はその年の初雪が降った日の事だった。
大した内容のある電話でも無い。他愛も無い話を少し交わしていると彼女を呼ぶ声が受話器から聞こえ、「また電話するね。」と言うと切れてしまった。

彼女の仕事と言う物を薄々は感じていた。
そしてそれが間違いでは無い事が、電話が来なくなって一ヶ月後明らかになった。
仕事の休憩中ウェイター仲間が読んでいた雑誌にモデルとして出ていたのだ。
それから東京ローカルの番組にも少しずつ姿を見せるようになった。

僕は鳴らない電話を眺めながら、寂しさと嬉しさと言う相反する様な気持ちを感じていた。
彼女はもう手に届かない所に行ってしまったのかもしれないが、成功しつつある彼女を見る事は僕にとっても嬉しかった。

当時僕の周りにいる同年代の人間には、大きく分けて二種類いたと思う。
僕の様にただ漫然と日々を過ごす者と、彼女の様にチャンスをつかもうとする者。
店を訪れる若い客・バンドメンバーそして同じウェイター仲間でさえその半分は、暇を見つけては映画の端役やエキストラのオーディションを受けていた。
彼女はそんな中から確実にチャンスをつかもうとしていた。

ところがその日は突然来た。
運命の皮肉とは良く言った物である。
今一歩目の階段を登り始めたばかりの彼女を許さない者でも居たのだろうか。
頭痛を訴えた彼女は病院に運ばれ一週間も持たずに事切れてしまった。
脳腫瘍だったらしい。

僕が人づてにその事を知ったのは彼女の死後一ヶ月程経ってからだった。
あまりの事に信じられない僕は初めて彼女の携帯へ電話していた。
嘘であってくれ…。

「お客さまのおかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめになってもう一度おかけ直し下さい。お客様のおかけに……」

願いも虚しく同じアナウンスが繰り返される。
もう彼女の電話が鳴る事は無いのだ。
目の前を闇が包みこもうとする。
もう仕事は手につかない。
僕にはもう東京に居る意味さえ無い様な気がした。
そしてその月の仕事が終わると僕は田舎へ帰って行った。

つづく

(迷子の古事記 2013.11.29)