グー版・迷子の古事記

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タケミカヅチとサルタヒコ

2013年09月20日 | 古事記
タケミカヅチとサルタヒコ…
どの本を読んでも、インターネットで検索しても関係性を取り上げられる事が全く無さそうなのですが、実はこの二柱の神様、結構共通点があるのです
しかも4つも…
もしかして同一神なの?

  《タケミカヅチとサルタヒコの共通点》

①光の道
サルタヒコ…天上の道が八衢(ヤチマタ)に分かれるところで、上は高天原を照らし下は葦原中国(アシハラノナカツクニ)を照らす。
タケミカヅチ…雷神の稲妻は、空を八衢(ヤチマタ)に裂き、天上と地上を結ぶ光の道を作る。

②アマツカミを助ける
サルタヒコ…天孫ニニギノミコトを地上まで道案内する。
タケミカヅチ…オオクニヌシに国譲りさせた貢献者。

③映し出す神

④子孫の名前が良く似ている
サルタヒコ…子孫・オオタノミコト(大田命)←第11代垂仁天皇の御世
タケミカヅチ…息子・オオタタネコ(大田田根子)←第10代崇神天皇の御世
命・根子は共に尊称の様なものであるため、実質は大田と大田田の違いです。しかも時代的にもかなりの近さです。

①②④はある程度納得していただけると思います。
では③の映し出す神とは…

タケミカヅチはミカ(甕)の神霊です。
ミカ(甕)は現在の甕(かめ)です。鏡の無かった時代、中に水を張り水鏡として使った事から「映し出す。輝く。」の意味があったものと思われます。
当ブログ かめ 参照ください

次はサルタヒコが「映し出す神」と言うことを証明しなければなりませんが、サルタヒコのままでは無理なのです。
しかし…

  《伊勢のサルタヒコ》

サルタヒコもまた謎に満ちた神様です。
祭られる所々で、同一神では無いか?と言われる神様がいたり、或いは同一神とされている神様がいたりします。
そうなると、場所と時代を指定してサルタヒコを考えないといけません。
今は古事記のサルタヒコを考えているので、古事記の記述でサルタヒコの出自はと言うと…
伊勢です、伊勢のサルタヒコです。
ニニギノミコトを地上まで案内した後、アメノウズメによって本国の伊勢に送ってもらいます。

伊勢のサルタヒコは、興玉(オキタマ)の神という神様と同一視されています。
実はこの習合された神様を見て、今回妖怪レーダーが「ビビッ」ときました

「オキタマ」って、水鏡または鏡に魂を置くという事ではないのか?
鏡に魂を置く、映す、閉じ込める、と言う意味ではないのか?
ミカ(甕)の神か鏡の神かは分かりませんが、神霊を映し出す神様・輝く神様ではないか?と思ったのです。

そうだとすると、サルタヒコが八衢(ヤチマタ)で天上と地上を照らす意味も明らかになります。
ミカ(甕)の「輝き」と言う意味からも説明できそうですし、
ミカ(甕)の神のタケミカヅチが雷神であるというところからも説明できそうです。

それでは「鏡に魂を置く」という解釈以外に、興玉(オキタマ)の神と鏡を結びつける物があるのでしょうか?

あったんです

興玉の神は伊勢神宮本宮の地主神だったそうで、現在はアマテラスの側に祭られています。また、近くの二見と言うところでも祭られていています。(二見興玉神社)
この二見興玉神社の近くにある海岸に夫婦岩があって信仰の一部となっているようです。
そして夫婦岩の沖に石鏡(イジカ)という岩があり
これも信仰の一部となっていたようなのですが…
現在は海に侵食されて無くなったそうです

興玉の神様が元々何の神様であったのか、現在はもう正確には分からないようですが、石鏡(イジカ)という鏡につながるキーワードは見つけました

  《結局同じ神様なの?》

伊勢神宮において興玉の神は地主神として祭られましたが、サルタヒコは子孫である伊勢神宮で働く人・宇治土公氏(うじとこ)に個人的に祭られただけのようです。
興玉の神のほうがサルタヒコよりも格が高いと考えられたのかもしれません。
興玉の神とサルタヒコは元々は別神のようですね。

興玉の神の性質をサルタヒコが継承したため、タケミカヅチと似てるように見えただけなのかもしれません。

ただし…④子孫の名前が似ている
とても気になるところです