イロイロ。。。

   四国 愛媛の松山に住んでます

保内 明治の町並み(八幡浜市)

2007-10-30 08:55:52 | お出掛け(愛媛)
「酒と畑に戯れるオヤジな私」のオヤジさんからレポートをふたつ頼まれてた
ひとつは「おはなはん通り」のレポートでこれは去年、果たせた→こちら
もうひとつは八幡浜の明治の町並みのレポート
ちと遠い事もあってなかなか果たせずにいたのだが
先月、中途半端ながら何とかレポート出来た!
パソコンの不調でお休みしてたオヤジさんの復活を祝って
八幡浜市保内の明治の町並みのレポート(9月18日)をお送りしようと思う!



町の歴史は、産業の歴史である。
雨井港、川之石港は早くから大阪、九州との交易があり
天保年間から千石船を使って物資を運んでいた。
明治11年には、県下のトップをきって第二十九国立銀行が設置された。
鉱山経営は藩政時代から始まっていたが
明治時代には鉱業が町の発展に大きく貢献した。
大峯鉱山は一時、四国第2の産出量を誇ったほどである。
明治22年四国で最初の紡績宇和紡績が川之石で創業開始。
その時に灯った電灯は四国で最初のものであつた。
やがて、当時、わが国最大の紡績会社東洋紡績の川之石工場となり
昭和初期には全盛期を迎えた。
その後、産業構造は大きく変化していったが
このような進取の気風に富んだ経済人が多く活躍した保内は
常に南予経済の新しい息吹の源流ともなった。
(観光案内より抜粋)



【愛媛蚕種株式会社】






【旧川之石庄屋土蔵】

土蔵は1862(文久2)年に建築された
3mを超える青石の灯籠と井戸が残っている

【旧川之石浦庄屋家住宅石塀】

防火用に設置されたもので
青石の自然石を鋭角に積み、今では見ることが少なくなった貴重なもの

【赤レンガ小路】



赤レンガは、西洋文化の代表的な建築物の一部として
明治・大正時代(関東大震災まで)に全国的に取り入れられた
レンガは、焼き方によって色や強度が違ったり、積み方にも違いがある

ー焼き方ー
赤:焼き時間が早い。強度が弱い。
黒:焼き時間が遅い。強度が強い。
ー積み方ー
イギリス積:長手は長手、小口は小口に並べる。施工スピードが早い。比較的新しい。
フランス積:長手と小口を交互に並べる。施工スピードが遅い。比較的古い。

【旧白石和太郎邸】

嘉永7年(1854年)に上棟された武家様式の屋敷

【旧白石和太郎洋館】




 

【二宮孝順邸(旧宇都宮壮十郎邸)】





屋根がふくらんだような曲線になってるの、分かるかな~

【もっきんろーど】

木造の遊歩道

【カラミレンガ】




【宮内川の護岸】



青石で造られた矢羽根積(やばねづみ)の護岸になっている

【東洋紡績赤レンガ倉庫跡(八興産業)】

宇和紡績(のち東洋紡績)は
1887年(明治20年)愛媛県で最初に設立された紡績会社で
四国で初めて電灯が灯ったことでも知られている
1960年(昭和35年)に閉鎖し
現在は赤レンガ倉庫だけが残り川之石地区の黄金時代を象徴する貴重な建物
東洋紡績の広大な敷地跡は現在、保内中学校、中予電気、八興産業などになっている


美名瀬橋(みなせばし)

【内之浦公会堂】




【慈眼庵青石の石垣(じげんあんあおいしのいしがき)】


今回は時間がなくて見る事が出来なかったが、この他にも

龍潭寺(りょうたんじ)の庫裡(住職の居室)
稲見米殻店
菊池庸夫邸

など見所がいっぱい。
それに何より町のいたる所に古い建物がたくさん残ってて
ぶらぶら見て歩くだけでも楽しかった
道を尋ねても親切に教えて下さる方が多く
ボランティアで旧白石和太郎洋館の説明をして頂いたりもした<(_ _)> 感謝
町も人も素晴らしいとこで、また行きたい!って強く思った
そうそう、八幡浜と言えばちゃんぽん→こちら
ちゃんぽんを食べられなかったのがかなり心残り。。。
コメント (11)
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