『腸・美人』 通信

『頭とおなかの中』に地震と災害が一度にやってきた。そして、健康を創る自分に変化した。現在、おなかの「免疫力治癒力」育成。

「腹の強さと弱さ」が人生を?

2007年11月24日 18時32分28秒 | Weblog
10月24日、愛媛新聞の「政考政読」にこのようにかかれていた。
(共同通信編集委員 柿崎明ニ)
 
 「腹」は政治家の会話に頻繁に出てくる言葉である。「あいつは腹黒いなあ」「ここは与党の腹を読まないと」「腹のうちがわからない」「真意」を意味することが多いいのは彼らが日々、権力闘争を生き抜くために本音を隠しているからだろう。古来、考えや心は腹に宿ると考えられてきた。緊張や恐怖が胃腸に変調をもたらす経験則がそうした見方を生んだ。実証するように先月、安部晋三前首相が「精神的なストレスによる機能性胃腸障害」で職務を遂行できないとして退陣した。
 
 閣僚の事務所費問題、失言、自殺と絶え間なく危機にさらされつづけた結果、とされているが、それは半分正しく、半分間違っている。そもそも安部氏は胃腸が弱かったからだ。「焼肉は好きだけど少しでいい」「カレーは下痢になるから嫌い。隙なのはハヤシライス」「ウーロン茶は胃に悪いらしい」会食の際、安部氏がこう話すのを聞いた政界関係者は少なくない。………

 打ち合わせの席上、相手の話に全く反応せず、椅子の背もたれに体を預けたま虚空を見つめ続ける--。八月下旬のアジア訪問以降、安部氏のこんな様子を何人もが目撃している。激しい下痢による脱水症状と睡眠不足でたびたび思考停止に陥っていた人物が国民の命を預かっていた。これを安部氏の「頑張り」と見てはならない。それは最高権力者である自分が正常な思考力を失うという危機を回避することよりも権力維持を優先した事態だった。………
 
 テーブルに着くなりカレーライスにサラダを丸ごと乗せ、黙々と平らげる小泉純一郎元首相の姿を以前、紹介したが、小泉氏は細い体に似合わず健啖(けんたん)家だ。郵政解散に打って出た「腹」だけは敵見方を問わず認められている。

 「腹の弱さ」が命取りになった安部氏の後を継いだ福田康夫首相は七十歳代ながらステーキの後にカレーライスを頼むこともあるという。その「腹」はいかほどのものなのか。
  
 このようにかかれている。まさに「健康を創る」源は「腹」を強くすることである。「腸」をしっかりすれば、おのずから力が湧いてきて、思考力が上がり判断力を衰えさせない。そのためには免疫力を高め、治癒力を養うことが一番のように思う。

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福禄寿「長林寺」

2007年11月15日 09時10分30秒 | Weblog
長林寺境内入り口

 最後の長林寺は、淡路環状線の県道から左に矢印が出ていた。左に入ると標識があるまでは真っ直ぐ進むものだと思っていたが、行けども行けども寺がない。とうとう畑の真中で道がなくなってしまった。どうすればいいか?畑仕事をしなさいと導いてくれたのではないか?先ほど弁財天にお参りした道しるべと同じように間違えてしまった。淡路島の感覚は、瀬戸内海の海賊には“ちと(少し)難解”である。また、もときた道を県道まで帰ることにした。すると、県道から30mほど入ると右(鋭角)に曲がる道がある。その上に長林寺が見える。しかし、そこは車が入れそうにない。お寺に近いところに車を止め歩いて長林寺にお参りする事になった。

 お寺の境内に入ると「結願ですね」といわれ、結願のしるしに笹の葉につるされた七福神のおまじないをいただいた。「おめでとうございます。よく結願されました。この島の七福神は、一度よりも二度、二度よりも七度、参れば参るほど福が来るといわれています。この長林寺を結願のお寺に持ってこられたお二人は「運」がいいお方です。お二人にはたくさんの福徳が授かります。そして、このお寺には、七福神すべてがそろっているのです。どうぞお参りください」なんと、私達は絵に描いたように七福神を周ったのだ。このように言われると、間違いでもとてもうれしい。例のごとく、単純な私達は、自分にいいことはすぐに信じるのだ。このように言ってくださると、案内標識の指導をしようと思っていたのだが、福徳で忘れてしまった。

 奥にある仏殿の前に座り、両手を合わせ指先を仏様の喉仏に向けた時、住職(女性のお坊さん)が天井の方を眺め静かに語り始めた。この天井の板に龍が現れてきたのです。「え、え、え」「毎日護摩(ごま)を焚いて供養をしていると、私はわからなかったのですが、お父様の知り合いの方が見えられ、ここに座って私に教えてくれたのです」なるほど、龍のように見える。部屋中は暗くすすけた色合いだが、天井は、黒く光っているようにも見え、そこの盛り上が龍に見えるのだ。なぜか、不思議でもある。
 
福禄寿はどうなっているのか……仏殿を離れるときに気が付いた。福禄寿の正体は?あまり知られていない。一般的には「頭が大きく長い」という独特なキャラクターを持っている。その独特な風貌が絵として面白く、福禄寿という名前がいかにも縁起がよさそうではないか。福禄寿を見ていると仙人を思い起こすのか。それとも、心の安泰を感じるのか?いやいや、何かを半紙に書いている風情はきっと「書の神様」なのでしょう。
「七福神」結願記念

 やっと、今治に七福神をつれて帰る事ができる。きっと、七福神はお参りしながら「健康な体を創りなさい」「健康であれば旅ができる」「健康であればまた会える」そんな「平凡なことが一番の福徳」なのですよと、テレパシーを送ってくれているようだ。

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弁財天「智禅寺」

2007年11月07日 20時38分34秒 | Weblog
 本殿を見る

 細い道を発見したところからは、ごく、スムーズに到着した。ちょっと変わった趣のある正面がなかなかいい。境内が二段構えになっていて、奥側の本殿は4m程地盤が上がり石で積まれている。ここのお寺も「七福神をお祭りしています」とわかるように「七福神」と書かれた旗が2、30本立っている。上段の境内に上がり本殿に入るとお坊さんがいない。右手の隅に「ご不在の時はこのベルをおならしください」とかかれている。ベルを鳴らすと若いお坊さんがでてきたので、御朱印を押してもらうと「では、ご一緒にお経を唱えましょう」といわれ般若心経が始まった。いつもと調子が違っているので、慌てて座りなおすして声の歩調を合わそうとするが、お坊さんのいい声にしびれてしまった。さすが、お坊さんは若いが声に年季が入っている。ここでは、お坊さんのお経を聞くことにする。

 弁財天様は「音楽の神様」と聞いたようにも思う。音楽には“和音”と“不協和音”とがあり、快い名曲にはそれなりの“和音”があり音律が狂うと聞きづらくなるのである。言葉使いも音楽の一つ、何気ない一言ひとことが他人を勇気づけたり、傷つけていたりするものです。常日頃、言葉一つに他人を思いやる知恵の一言一句が福を積む要因である。

 「お寺、新しい木の匂いがしますね」と問いかけると「はい、まだ新しいです」と答えが返ってきた。後に言葉が続かない。いつ頃建てたのですよとか、こんな歴史がありますとか、ここの地名は?弁財天は?……などなど聞かせていただけるかな?と予想を立てて言葉を切り出したのだが?日本語なのだが?……創作中?静かにお寺を後にした。

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迷い道は「弁財天の町づくりなの知恵なの?」

2007年11月01日 22時26分31秒 | Weblog

 弁財天という言葉を聞けば天川村の弁財天を思い出す。七福神の中では、ただ一人の女性の神様なのである。弁天様とも言われ、昔々は「弁才天」とも書かれ、琵琶を持って座りメロデイを奏でている姿がおおいいうようだ。やはり神様も才能があるよりも、財宝があるほうがご利益があると考えたのでしょうか?インドの神話の中から参加している弁天様は、たしか、西国三十三ヶ寺をお参りしているとき、琵琶湖の中にある竹生島(宝厳寺)に弁財天はお祀りしていたと思う。音楽の神様、知恵の神様はよく聞いていたが、もしかすると、水に関係がある水の神様も兼ねているのかもわからない。
 弁財天「智禅寺」境内入場口

 淡路島の東の海を見ながら走ってきたが、これからは、淡路島を横断して西の海を見ながら走るようになる。旧道と新道が別れている所あたりと聞いていたが……矢印が旧道の方角になっているので、矢印のほうに進む。すると真正面にユーターン記号が大きく書かれている標識が立っている。「智禅寺」方面は後ろの方向ですということになった。淡路の標識が理解できない。しかし、ここに大きな案内標識があるということは、たくさんの方が間違えているのだ。自分も間違えてしまった。そして、分岐点まで戻り他に道がないかと探してみると、旧道に入り30m走ると左に曲がる細い道を発見。これではわからない。たくさんの方が分岐点まで戻り私のように細い道を発見したのだ。ああ、これも町づくりの一つなのだと考えると可笑しくて笑ってしまった。弁財天の「智禅寺」までは1.4Kmとなっている。

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