Chibyのコトノハ

アナタが笑ってれば、それでイイ

強さ

2010年02月06日 | 奈良さん
『NARA NOTE』を読んでるといつも思う。




強い人だなぁ・・と。




奈良さんは、映像で見ると

とても温和な人で

ふふふっと声を潜めて笑う人で

アグレッシヴって言葉とは、とても遠くにいる人のような感じがするんです。


でも、奈良さんの

そこらへんにあった紙に書いた絵の端の

走り書きとか、こーゆー日記本を読むと

なんとも言えない“強さ”を感じるワケです。


ホントはね

いや、ホントのところは分かんないですけど

奈良さんもそうやって紙に書き出しながら

自分を叱咤激励ってゆーか

鼓舞してたのかなって・・

そんな事はちょっと思ったりしますけどね。

そんな事ってありません?


日記とか、こーゆーブログとかも私にとってはそんな類に入っちゃうんですけどね。


書きながら、

その時の自分の“想い”を再現して、確認して、

その時の自分を初めて客観的に見る。

それは、後々自分の励みになったり、

戒めになったりする。


モチロン、誰かと思いを共有したいって思いもあるんでしょうけどね。

特にグログは万人に公開しちゃってるワケですから。




「強い人」というのは、同時に

「自分に厳しい人」であって、

私的には「自分に厳しい人」=「美しい人」になるんですよね。

これは老若男女問わず、なんですけど。


私が自分に甘々でダラダラな分、

そんな人達に無条件に憧れを抱いてしまうワケで・・・。


何か1つの事を突き詰めるという事は

自分をも追い込んでいく事でしょ?

それを、無意識とはいえ

出来てしまうところに

凡人は惹かれてしまうんですよ。

どうしようもなく。


えぇ・・ホントに。

どうしようもないんです。

ガチで。


『産みの苦しみとともに

 誰もわからないかもしれないが

 自分だけはわかってるって
 
 だから心配はご無用

 自分とアイツラのこと
  
 関係ないぜ 誰がなんて言おうと・・・』



ここのところでいつも

ジワっときてしまうんです。


奈良さんはご自分の書いた絵の事を言ってると

思うんですけど、

これは、毎日私達が産み出す何か、

それは“喜び”であったり“悲しみ”でもあったりもするのかなって。

誰かに分かってもらうために生きてるんじゃなく

自分が自分を認めるために生きる。


簡単な様で、なかなかどうして

難しいですね。



はあ~・・・っ

美術館のスタッフの方

お願いです。


奈良さんの作品の前にベンチを置いて下さいっ。


もっと

ゆったり

ゆっくり

奈良さんの作品が見たいです・・・