
金子みすゞ
明治36年山口県に生まれ、すぐれた作品を発表し、西條八十に「若き童謡詩人の巨星」とまで称賛されながら、昭和5年(1930年)26歳の若さで世を去りました。没後、遺稿集が見つかり、出版されました。その優しさに貫かれた詩句の数々は、今確実に人々の心に広がっています。自然のすべてにやさしく深いまなざしを注いだ彼女の作品は大きな反響を巻き起こし、いつしか「幻の童謡詩人」と語り継がれるようになりました。
詩の数、500とか

たくさんの自然を愛する詩があるけれど、その中で、私が1番好きなのが・・・

私が両手を広げても、お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、地面をはやくは走れない。
私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、
あの鳴るすずは私のように、たくさんな唄は知らないよ。
すずと、小鳥と、それから私、みんなちがってみんないい。
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今日は、仕事が終わった後に、文化センターで観劇

金子みすゞの26年間の劇的生涯をみすゞの詩を歌や群読等で織り混ぜながら綴った作品
劇団えるむによる“みすゞ凛々”
みすゞはなぜ死を選んだのか? 愛する我が子を残して?
それが、ずっと気になっていました。
3才の時父を失い、16才で母の再婚。20才で下関の母のもとに移りますが、
23才で結婚した相手は、みすゞの詩作をまったく理解できない人でした。
みすゞは創作も文通も禁じられ、発病もして、失意のうちに離婚、やがて自ら死を選ぶのです。
ドラマは、みすゞの足跡をたずねるドキュメントの形で展開します。
ある部分はドキュメント、ある部分はドラマ、ある部分は朗読 、そして歌・・・・・
それらの総合としてのシアターピース。
写真屋さんで記念の写真を撮り、次の日には我が子を手放さなければならないという
その夜の自殺でした。何とも悲しい、そして残念な死

愛児を連れ去ろうとする夫に、死の抗議・・・痛恨の感があるけれど、
彼女の強さも感じられました。 でも、やっぱり辛い! 時代の犠牲かな?


今日も、暑い日でした。
職場では、おいしいものが差し入れ

冷たいソルダムをむいてもらったり、甘いお土産をもらったり、ヒヤーッと氷よ


