[RSS] 2001年4月12日(木)
オカメインコ、朝、夕方と2回粟玉をあげる。喜んで食べる。しかし、あまり大きな声は出さない。声を出すのは、甘えと、お腹が空いた時がほとんど。足の色がピンクでないのがやや気になる。
*写真は初めに戻り、紹介しています。
*文章は「チーの過去日記」を紹介しています。「ホームページ1」の日記を少しずつ紹介しています。
*「チー」についてのメモも、少しずつ紹介しています。

2001年4月3日(火)
ピーがうるさく鳴く。
2001年4月8日(日)
自分の不注意のため、元気なピー、産卵(無精卵)前のピーを死なせてしまう。自分の存在を呪う。
2001年4月9日(月)
チーはピーがいなくなり、やはり寂しそう。
2001年4月10日(火)
午前、ピーを埋葬する。ピーがいなくなり、気が抜けたような状態になる。町田の小田急ペットショップの鳥たちをしばらく眺めていたが、思わず、オカメインコを購入し帰宅。しかし、一日中、水・餌をとらず、心配になり、夕方7時ペットショップへ電話をする。明日朝の状態を見ることにする。チーはピーの分まで元気にさえずり、僕に甘えている。

「レビン」のブログへジャンプします。

Tさんからの「夢二君」の近況報告(11月03日)はこちらです。

*「すずめのひな」への緊急対処法 ~ このページを参考にして下さい。
Sparrow Chie's Photo Album すずめ「チー」のアルバムができました。
*MIDIにつきましては、ホームページの「クラシック音楽」「チロルの音楽」「音楽素材MIDI曲集」の各ページをご利用下さい。このブログでも「MIDIダウンロード専用ページ」を用意しています。

2001年4月11日(水)
オカメインコ、7時頃起こすが元気がない。何も食べようともしない。水も飲もうとしない。このままでは死んでしまう。10時に電話をし、返す準備をする。9時半、餌を少し食べ始める。粟玉を熱湯で浸し、さまして食べさせる。嬉しいことに食べ始める。10時半、ペットショップに状態を電話で伝え、このまま飼うことにする。まだ、名前は考えていない。ピーがいないのが本当に悔しく、寂しい。6時過ぎチーを寝かせ、オカメインコも寝かせる。

2001年4月12日(木)
オカメインコ、朝、夕方と2回粟玉をあげる。喜んで食べる。しかし、あまり大きな声は出さない。声を出すのは、甘えと、お腹が空いた時がほとんど。足の色がピンクでないのがやや気になる。ミミはやや呼吸が苦しいのか、顔を上に向けている。食欲はあり、注射器で6本分たいらげてしまう。食事は6時間ごと1日4回にしている。1時間前頃、待ちきれないのか、自分で注射器をかじるようにして餌を食べている。最近、あまり手が掛からず、自分も夜、安心して寝れるようになった。

2001年4月13日(金)
オカメインコ、食事を1日3回与えることにする。朝7時半、昼の12時、夕方6時、外に出してやると、少し飛ぶ練習を始める。ミミ、午後、部屋に日の光が入ってきたので、外に出してやる。喜んで日光浴をしている。ミミは日光浴が大好きだ。ミミの姿が、闘病のせいでみすぼらしく見え、かわいそうに感じた。2時間ほどして自分の部屋に戻してやる。少しいやがる。食事は相変わらず旺盛、ひとまず安心。しかし、タオルを高くして、上を向いて座ったままの状態で過ごす。やはり苦しいようだ。
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チーについてのメモ チーを僕の記憶から消え去らせないために
12. 2004.5.28 チーのりんごの食べ方は激しい。つつくようにして少しずつもぎ取り食べる。僕が時々、4等分してあるりんごをさらに手で半分に割り、酸化していない部分を選び、あげると、それをもぎ取るようにして口にくわえ、くちばしで端から、しぼるようにして上手に中の果汁だけを吸い、残りはペッと捨てる。時々、全部食べてしまうこともある。
13. 2004.5.28 トマトが大好きで、汁をすするようにして飲む。体調の悪い時、水は全然飲まず、トマトだけから水分を取っていたこともあった。5月、病状が悪くなってから、トマトにはほとんど口をつけなくなり、りんごだけになった。りんごと、時々、水を口にしていた。
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チー関係の、数少ない写真をランダムに紹介しています。

ウイーンの我が家で同居していたシマリスの「リー」です。ベッドの上でひと休みです。

ペット専門リンク集



激しい風と雨が続いた次の朝、私の学校の生徒が「助けて!」と言って私の所へ一羽のすずめのひなをハンカチに包んで持って来ました。登校途中、道に横たわっていたそうです。右目は開かず、右の翼に怪我をしていました。しかし、怪我もすっかり治り、私の手の中でスヤスヤ眠っています。
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相模大野の伊勢丹前の公団住宅14階が、チーの育った家である。ベランダには、ウィーンから持ち帰った種を蒔き育てたカスタニアの木が大きな葉を茂らせている。一昨年、この木から2羽のヒヨドリのひなが育って行った。今年もそのヒヨドリがやって来て、木の状態を点検しているようである。後日、日記にも写真を載せてあるが、2羽のひなが育って行った。チーにとってはヒヨドリは初めて、びっくりして、大きな生き物がカスタニアの木の枝に居るのを、私に知らせようとしている。私にとって、貴重な映像のひとつである。
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チーと私の初めてのツーショット。5年間一緒にいて、これが一緒に映した唯一の映像なのである。赤ん坊の時は、好奇心旺盛で、カメラも全然気にしなかったが、成長するに連れて、カメラを向けると逃げ回っている。このホームページの写真はそのような状態で写したものである。チーは写真が嫌いなのである。また、チーは食事をする時、水を飲む時以外は、朝起きて、寝る時までいつも私と一緒なのである。いつも私の腕や肩の上、時にはお腹や首のくぼみに居て、スヤスヤ寝ている。カメラをかまえることなどなかなかできない。まして、一緒に写真を撮るなど夢また夢。でも、ある日、大決心をし、この映像を映した。三脚を使い、ビデオカメラをチーに分からないようにハンカチでカモフラージュし、リモコンを使い、左手で操作しながら撮影したのである。そのため、どうしても、距離を置いての映像になってしまった。チーは私と一緒に居る時は、ほとんど声を出さない。声を出す必要がないのである。何も言わなくても、お互い、分かっているからである。
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すずめ「チー」のことば ClipLife
すずめ「チー」は日本語の「はーい!」を大きな声で言うことができます。私との会話の中で覚えたようです。この「はーい」には、色々な感情が込められ、彼女は色々な場面、色々な意味を含めて使っています。「すずめ「チー」のことば」をクリックして下さい。
Chie taught me many things. There is no size, large and small, about life. We have to live as hard as possible, as long as there is a life. Even if we run the risk of our lives, we have to love each other. We have to trust each other from the bottom of our heart. Death is a part of life. There is love which exists forever. The language which can understand each other exist. We were very happy when we were together, even if we did not mutually say anything. It is the same now.
チーは私に色々なことを教えてくれました。命には大きい、小さいの違いはないこと、命のある限り、精一杯生きること、命がけで愛すること、心から信頼すること、命は死を越え存在すること、死も命の一部であること、永遠に存在する愛があること、お互いの言葉を越え、理解し合える言葉が存在すること。私たちは、お互い何も言わなくても、一緒に居るだけで幸せでした。今もそれは変わりません。