*「すずめのひな」への緊急対処法 ~ このページを参考にして下さい。
*文章は「チーの過去日記」を紹介しています。「ホームページ1」の日記を少しずつ紹介しています。
*「チー」についてのメモも、少しずつ紹介しています。
2004年6月26日(土)
朝4時過ぎ、いっちゃんの元気な声が聞こえる。ホッとする。今日、午前、ヨドバシカメラへ行き、チー用のアルバムを探す。一冊だけ、すてきなアルバムを見つける。
2004年6月30日(水)
朝4時10分、いっちゃんの元気な声で目を覚ます。チーの写真集を仕上げる。宅配で、チーのDVD編集用HDD&DVDレコーダーが届く。
「レビン」のブログへジャンプします。
夢二君(旧名「猫ちゃん、レビン」特集(2月14日)はこちらです。
Tさんからの「夢二君」の近況報告(2月4日)はこちらです。
*「すずめのひな」への緊急対処法 ~ このページを参考にして下さい。
Sparrow Chie's Photo Album すずめ「チー」のアルバムができました。
*MIDIにつきましては、ホームページの「クラシック音楽」「チロルの音楽」「音楽素材MIDI曲集」の各ページをご利用下さい。このブログでも「MIDIダウンロード専用ページ」を用意しています。
2006年2月10日(金)
チーの写真を整理し、DVD編集終了後、一部、日課に加えられたものがある。朝、起きると直ぐにチーの桐小箱の左横のろうそくに火を灯し、右横に置いてある花びんの水を取り替え、朝の祈りをする。チー、アンを起こす前に、南部屋の中央の大型テレビにチーのDVD(雛から成長するまで3時間編集)を映し、右耳にチーのMDのイヤフォンを付ける。
午後2時から3時間の間、約30分間はチーの昼寝タイムなので、DVD、MDも2時から3時まではストップ。2時過ぎまで外出する時はDVDは消すことにしている。夕方、アンを寝かせ、チーを就寝用ケージに入れる前にDVDを消し、チーを寝かせてからは、テーブルの上を整理し、チーの桐小箱の横にろうそくと花びんをセットし、チーと一緒に夕べの祈りをし、MDを止める。それ以外は以前と同じ日課を過ごしている。これからも変わりはない。2005年5月23日にホームページを開く予定だったが、2年がかりになってしまった。これからもチーと共に生きる。チーとの約束だから・・・。
主の祈り
天にまします我らの父よ
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来らせたまえ。
御意(みこころ)の天になるごとく地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を我らが許すごとく
我らの罪をも許したまえ。
我らを試みにあわせず悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。
チーと共に、ア-メン
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チーについてのメモ チーを僕の記憶から消え去らせないために
*母の死について~母は1973年(昭和53年)7月10日午後10時45分、子宮癌のため70歳で他界した。その1年程前に福島医大に入院していた。その時は、まだ母も元気で、私もこの頃、2週間に1度、日曜日を利用し、福島の病院へ見舞いに行っていた。さすがに、月曜日は疲れていた。母は同じ病室の人に、私のことを楽しそうに話をしていた。その頃、私はまだ外国へは1度も行ったことがなく、アメリカへ行くのが夢で、母に、「その内、アメリカへ行くからね。」と話すと、「頑張りな。」と、変な話で、私が病人の母に励まされて帰って来ると言う状態だった。父の話だと、福島医大で手術をし、退院はしたが、「もし、再発すれば、半年しかもたない。」と言われていたとのこと。半年後再発し、郡山市内の病院へ入院した。行く度に悪くなるのが分かった。点滴が大変だったようだ。毎日数回、針を血管の中に入れ、その間、じっとしていなければならない。私も以前、新潟の赤倉で春スキーをしていて、うしろから体当たりされ、転倒し、胸部を打ち、左肺に血液がたまり、2週間ほど入院したことがある。治療後点滴を受け、私の左腕(私の右腕は血管が細いらしく、針をうつのに、どの看護婦も左腕を選んでいた。)は、青黒くなっていた。母の腕は、入院してからしばらくして、針を刺す場所がなくなってしまい、足から点滴を受けていた。ある時、母は苦しそうに小さな声で、私に、「もう、針を刺す場所がなくなってしまったんだ。しょうがないから、足を切開し、血管を出し、そこに針を入れてもらっているんだ。針を刺すのに2時間もかかってしまう。」とささやいていた。そして、あの7月10日を迎えた。電報か電話かは忘れてしまったが、「母危篤」の連絡があり、急いで、郡山の病院へ向かった。しかし、上野を出て数分後、汽車はストップしてしまった。車内放送では「線路に亀裂が入ったため、線路を取り替えないと、動けない。」とのことであった。こんなことはこれまで1度も経験したことがなかった。嫌な予感がした。「もしかして・・・」1時間後に、汽車は動きだし、急いで病院へ駆けつけたが、母は1時間前に、すでに亡くなっていた。「線路に亀裂が入っていなければ、間にあったのに・・・。」、そう悔やまれてならなかった。時計は夜の11時近くだったと記憶している。 母は8時間、七転八倒、苦しんだと言う。顔を見ると、以前の面影はなく、苦しさのあまり、斜めに変形していた。悲しかった。くやしかった。それよりも何よりも、母がいなくなって初めて、自分の「故郷」を失ったことを知らされた。「自分の故郷は母親だった。」と言うことを知らされた。涙があふれ出て、止まらなかった。
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チー関係の、数少ない写真をランダムに紹介しています。
2004年5月23日、ベランダには、きれいにれんげ草の花が咲いていました。
ペット専門リンク集
Film03Baby Sparrow Chie
激しい風と雨が続いた次の朝、私の学校の生徒が「助けて!」と言って私の所へ一羽のすずめのひなをハンカチに包んで持って来ました。登校途中、道に横たわっていたそうです。右目は開かず、右の翼に怪我をしていました。しかし、怪我もすっかり治り、私の手の中でスヤスヤ眠っています。
Film01 Young Sparrow Chie
相模大野の伊勢丹前の公団住宅14階が、チーの育った家である。ベランダには、ウィーンから持ち帰った種を蒔き育てたカスタニアの木が大きな葉を茂らせている。一昨年、この木から2羽のヒヨドリのひなが育って行った。今年もそのヒヨドリがやって来て、木の状態を点検しているようである。後日、日記にも写真を載せてあるが、2羽のひなが育って行った。チーにとってはヒヨドリは初めて、びっくりして、大きな生き物がカスタニアの木の枝に居るのを、私に知らせようとしている。私にとって、貴重な映像のひとつである。
Film02 Sparrow Chie on My Arm
チーと私の初めてのツーショット。5年間一緒にいて、これが一緒に映した唯一の映像なのである。赤ん坊の時は、好奇心旺盛で、カメラも全然気にしなかったが、成長するに連れて、カメラを向けると逃げ回っている。このホームページの写真はそのような状態で写したものである。チーは写真が嫌いなのである。また、チーは食事をする時、水を飲む時以外は、朝起きて、寝る時までいつも私と一緒なのである。いつも私の腕や肩の上、時にはお腹や首のくぼみに居て、スヤスヤ寝ている。カメラをかまえることなどなかなかできない。まして、一緒に写真を撮るなど夢また夢。でも、ある日、大決心をし、この映像を映した。三脚を使い、ビデオカメラをチーに分からないようにハンカチでカモフラージュし、リモコンを使い、左手で操作しながら撮影したのである。そのため、どうしても、距離を置いての映像になってしまった。チーは私と一緒に居る時は、ほとんど声を出さない。声を出す必要がないのである。何も言わなくても、お互い、分かっているからである。
すずめ「チー」のことば GooClipLife
すずめ「チー」は日本語の「はーい!」を大きな声で言うことができます。私との会話の中で覚えたようです。この「はーい」には、色々な感情が込められ、彼女は色々な場面、色々な意味を含めて使っています。「すずめ「チー」のことば」をクリックして下さい。
Chie taught me many things. There is no size, large and small, about life. We have to live as hard as possible, as long as there is a life. Even if we run the risk of our lives, we have to love each other. We have to trust each other from the bottom of our heart. Death is a part of life. There is love which exists forever. The language which can understand each other exist. We were very happy when we were together, even if we did not mutually say anything. It is the same now.
チーは私に色々なことを教えてくれました。命には大きい、小さいの違いはないこと、命のある限り、精一杯生きること、命がけで愛すること、心から信頼すること、命は死を越え存在すること、死も命の一部であること、永遠に存在する愛があること、お互いの言葉を越え、理解し合える言葉が存在すること。私たちは、お互い何も言わなくても、一緒に居るだけで幸せでした。今もそれは変わりません。