K&C connection/Pinky Happy Potato

妻・4人の母・嫁・経営者として
様々な顔を持ってしまった私
しあわせな家庭が増え続けてくださるように!

物資を届けてきました

2011年04月28日 16時03分15秒 | すきすき・大好き
物資を届けてきました


気仙沼市にある春圃苑に物資を届けてきました

介護用の肌着が50枚以上になり
やっとお届けできると思って行ってきました

前回はこうだろうと思って沢山色んなものをお届しましたが
今回は先方からお聞きして
肌着が集まるまで待ちました

今朝、肌着・靴下・紙皿・紙コップ・割り箸・ウェットテイッシュなどを積んで
夫と行ってきました


前回は先方さまの気持ちを思うとお願出来なかった写真撮影でしたが
今日は物資を送って下さっているかたへのご報告の為に
是非にとお願いしてきました
(なんか自分が大きくてビックリ)

電気、ガスは戻り、水道は6月には使えるようになるそうです。


なんといっても日本の凄さだと思います
1年がかりでライフラインを・・・・
と言ってたのに、6月には。

もう少し頑張って下さいね。


そして私が見て来た気仙沼・本吉の様子です。

海から河を上って本当に凄まじい津波が襲ったのが分かりました

これでも前回より随分と綺麗になっているんです

春圃苑さんは小高い丘にあるのですが
その入り口は完全に津波に襲われた跡がありました

先日も今日もこんなにも穏やかな優しい海なのに

苑を出て来た時とは反対方向へ行ってみました
道はほどなく通行止め
迂回の看板があって
本来あるはずの道路標識は
ぐにゃぐにゃの状態で元田んぼの中

道端には
多分車だっただろうと思われるような残骸

すると目の前は
『あれって気仙沼線だよね』

橋げたが見事に切れていて
線路の上にまで草やごみの残骸が残っていました

ゆうに5m以上はある高さです

このころには
私の右足は痛み始め
両手はパンパンにむくんで腕から苦しい

様々な思いや苦しみ
地球の悲しみまで感じられ
涙がこぼれました

圧倒される自然の力を
甘く見ていたのだろうか

生かされている人間

絶対に忘れてはいけない光景でした

支援物資とイベント

2011年04月28日 08時44分12秒 | すきすき・大好き


毎日 ダンボールで3個から~7,8個の支援物資が届きます

フィーノを主宰する 清水 薫さんの呼びかけで
全国から様々な物資が届くのです

(被災地は車で40~50分のところだから、届けますよ)

なんて気軽に引き受けたのが始まりでした

しかし、見ず知らずの方達からこれほどまでに頂くなんて
本当に驚きました

こちらで

〔介護用の品物〕と発信すると

数日のうちには、食品、日用品、衣類が
(特に肌着)買いそろえて届くのです

気持ちがあってもなかなかできない事だと感じています

そうなると、きっと必要とする方に届けなければと
使命感が生まれて

でも自分の力量を思うと

“大したこともできない”トーンダウンしてみたり

色んな葛藤とギャップの中、考えさせられる事が沢山ありました


(いまも皆さんから届いた物資に埋もれてパソコンに向かっているのですが)

そんな中



5月1日(日)

GOGO Japan プロジェクト in田尻

 を開催することになりました



これは今朝地元の大崎タイムスに掲載された記事です


私は今回の大震災で
幸運にも?地震の災害だけで済みました
ライフラインがストップし、
家業のガソリンスタンドもガソリンが入らない
街の商店は大きなスーパーと若干のお店ばかり

まるで孤立したエリアのようになって
行列を作って買い物をしていましたが

そんな時
いろんな方から助けられました

*野菜・卵・魚・お肉・飲み物・お菓子・炊きたてのごはん・しぼりたての牛乳

こういった物、普段はお店でしか買えないようなものを
生産者・その知り合い・おすそわけなど

毎回ご飯の時になると
夫が“贅沢だな”(緊急時とは思えないような)と言いながら喜んで頂きました
なんとなく家族そろって、温かいご飯、普通に買い物をしたようなおかずを食べられた事で、みじめさや悲惨さを感じなくて済んだし
明日も頑張ろうって思えました

こうして色々と不自由なく過ごせたのも
色んな人と知り合えていたり、誰かが気にかけて下さっていたりした事が一番大きな理由だと思いました


人間、いつだって誰かに心配されたり気にかけていただけているって思っただけで
心が温かくなるし頑張れるんだなって

また、いっぱい物を買いだめしてなくても
心のどこかで『どこかからまたやってくる』っていう
保証のない確信が持てました

だからこそ

イベントしようって思ったわけです

薫さんと色々と電話でお話しするうちに

『これって大切よね』みたいな事になって
“やりましょう”と決まったのが4月になってからだから


いざという時に大切なのは
物を持つことよりも
どれだけの人と助け合えるかなんです
そのために大きな規模ではなくて
小さなエリアで(交通も通信も途絶えてしまったから)
しっかりとしたコミュニテイーを構築していないと
孤立してしまう人が出来てしまうのです

一人が頑張ってもダメだし
でも、意識を持ったリーダーシップを発揮する人も必要で

そのために
まずは知り合うことから


全国9ヶ所が名乗りを上げました

もちろん、各地の地域性を出して
取り組みはいろいろ

私は地元 田尻で

支援物資を集める
  
  今まで集まった物資に、地元の方達の協力も頂く事
  文房具を送ろうをしている地元PTAの有志の方をバックアップすること

フリーマーケットを開催

  断・捨・離をしましょう
  (家庭の中をスッキリさせて気持ちよくしよう)
    *これって地場調整になるんです

食べ物の大切さを伝える手袋シアター

  手軽なカップめんや、インスタント食品は震災直後はとっても重宝しましたが
  時間がたつにつれて、生野菜やたんぱく質が欲しくなりました
  避難所では栄養が偏って風邪をひきやすくなったりしたそうです

  調理しやすいか、手軽かではなく、素材を中心にした家庭料理の大切さを
  キルト作家 Fussaこと齋藤房子がオリジナルで製作したフェルトのおもちゃを使っ  て、子供たちや若いお母さん方に見て頂きます

あおぞら市
  地元の生産者を知ろう
  活きのよい野菜、卵、お肉、おふくろの味のみそや漬物など
  旬の物を美味しく頂きたいし、
  食べたくなったらこの人のところへ行きましょう

そして全国同時開催は“千羽鶴を作ろう”

  こちらは全国から集まった折りヅルを東京で薫さんが一つにまとめてくれます

 貴方の想いや祈り、メッセージを込めて
 日本中が心を一つにして、被災地の復興につなげましょう


(イベントのお問合せ、お申込はメールかお電話で、前日まで受け付けます)
  hina_ho1013@yahoo.co.jp

  まるで初めてで、全く白紙から始まる今回のイベントは
  実は、本当に必要だったものじゃないかと思っています


私はこのイベントは大きさや規模を拡大す事ではなくて
小さな点のようなイベントが
全国のエリアに沢山出来て
いずれは点が“面”になる事が理想だと思っています

2012年を前に、とても悲惨な大災害を体験させられ
本当に大切なこと、次世代に伝えなければいけない事に気付かされたような気がします

あなたも “GoGo Japanプロジェクト”に参加・主催してみませんか?



今日はこれから、老人介護施設まで物資を持って行ってきます

またの震度6・・・・ダメージが大きすぎます

2011年04月09日 13時12分19秒 | すきすき・大好き
7日の深夜

大きく揺れました

どーんと来たと思ったら
横に小刻みに激しく揺れて
電気はすぐに消えるし

家じゅうが真っ暗な中
揺れて


もう寝ようとして茶の間にいた私と
これからお風呂に入ろうとしていた娘

部屋で休んでいたのは
夫と義父と次男

3月の時よりは短い時間でしたが
今回は立ての揺れが入っていたし

真っ暗ななか、靴を取って
家の中はどこに何が落ちているか分からないから
靴で歩きました

やっと懐中電灯とろうそくを見つけ
それぞれ無事かどうか確かめて



一夜明けたら

3月の時よりも家の中も外もひどい事になっていました


K&Cの事務所の厚いガラスが割れて
神棚も吹っ飛び
洋間のシャンデリアは粉々
ピアノは斜めに倒れて
仏壇は思いっきり斜めに前傾
台所の電子レンジとCDラジカセは棚から落ちて
食器も沢山割れてました
玄関の下駄箱が倒れ
飾ってあった石の布袋様の首が折れ(縁起わるい)
家の壁面は亀裂とタイルがはがれ
2階の部屋の箪笥はまたまた倒れて
サッシの窓は3か所が閉まらなくなりました
それから庭のブロック塀は、
3月に傾いたのがより一層倒れて(撤去しかないでしょ)

片付けに力が湧いてきません

水道と電気が止まったので
昨夜はろうそくをともして
(今朝がた電気は復旧しましたが、水道は前回の地震よりも
 寸断箇所が多いみたいで、まだ何日かかるのか見当も使いと
 市の職員の人がおっしゃっていました)

“また、被災しちゃった”




昨夜は茶の間に夫と二人で休みました



ちょっと途中ですが
お客様がいらしたので

後ほど