禁治産とは、国語辞典では、『法律で裁判所が、その人は財産管理の能力がないとして後見人をつける制度』と記載されています。1896年(明治29年)公布された旧民法(明治民法)です。戦後、民主主義を取り入れた民法の改正時にも改正されることは無く、禁治産者の認定請求ができる資格のある者として条文に書かれている「戸主」が削除され、「検事」が「検察官」に改められ2000年(平成12年)に成年後見人制度が施行されるまで引き継がれています。
旧民法の禁治産制度は、本人、配偶者、4親等内の親族、戸主、後見人、保佐人又は検事の請求により、裁判所の判断により禁治産の宣告「心神喪失の常況にある者」と判断され、宣告を受けた人を禁治産者と呼びます。
ここで言う「心神喪失」とは、精神病理学及び精神医学で意味する内容には直接には関係はありません。この制度の保護を与えるのに適当かどうかを考慮して決定されるのです。
そして、「常況にある者」とは、常に心神喪失状態にあるのではなく、時々普通の精神状態に回復しても「自分の行為の結果について合理的な判断をする能力のない人」と考えます。裁判所は、禁治産者の宣告をすると、公告することが義務になり官報に掲載します。
戸籍に禁治産者であることが記載され、1900年(明治33年)衆議院議員選挙法において、「自分の財産を管理する能力のない者は、国家の公事に参与するのは適当でない」という世情から、選挙権及び被選挙権の欠格要件になりました。戦後の公職選挙法でも改正されることは無く、2013年(平成25年)6月30日まで続きました。国家資格の必要な職業、医師や弁護士等になることができなかったのです。
禁治産者には、必ず1人の後見人が選ばれ、後見人は避禁治産者の行った法律的行為は(財産法の範囲であれば)、常に取り消すことができます。法律行為により家族等の財産の保護が優先され、本人の基本的人権は必ずしも重視されていなかったのです。
明治時代の家族主義が、戦後の民主主義や経済構造の変化により、禁治産者と準禁治産者の区別だけでは判断できない実態に成年後見人制度が、今まであいまいな判断部分を改正し、禁治産・準禁治産制度を引き継ぎ、それまでの家族等の財産の保護が優先されていた法律的行為から、個人の基本的人権を重視する制度に改正されました。禁治産・準禁治産は、廃止されたのではなく補助類型制度を新設。禁治産は「後見人類型」に準禁治産は「保佐人類型」と改められ「補助的類型」と分類し、本人が事前に後見が必要となる状態になる前に後見人となることを約束しておく「任意後見」が新設されました。明治時代と違って、家族の繫がりが稀薄になっている現代に合わせたものと言えます。