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気ままに一筆

世の中の不条理を感じた思ままに、率直に書いてみようと思います。

ACP: おひとり様予備群

2025-03-10 12:30:20 | 日記
私が子供だった頃、父方には、兄弟姉妹が5人、父の母(私の祖母)、それに叔父・叔母・遠い親戚と呼ばれる家族が3から4家族。母方には、兄弟姉妹が6人、母の両親(私の祖父・祖母)故郷に一度も合った事にない親戚が3人から5人、合計約20人前後の親戚が居た。それだけでなく自宅の周りには、隣りの叔母さん、叔父さん。と呼ぶ大人達が5~6人。何時でも何処にいても知り合いの大人の目が見守っていた。と言うより私の行動を親にチクられた。私はいつも大人に囲まれて人の目が気になってたまらなかった。けど、、、お正月に大人達一人ひとりから「お年玉」がもらえたので、お正月に各家へ挨拶周りに行くのが楽しみになっていた事を懐かしく思い出す。
 見渡すと、一番年下の私は一番年上の高齢者になり、親は数年前に他界、実子1人、兄弟1人(結婚の機会に恵まれず独居生活をしている。)定期的に連絡を取っている甥・姪が3~4人。近所付き合いは、挨拶程度。知り合いの子供に「お年玉」を渡したのは何年前だったか。気がつけば、おひとり様予備群。
さて、これからどうする。
大人の目を気にしないで好きなことを、、、、。
はじめの一歩。

ACP: 認知症、理解してる?

2025-01-17 13:47:36 | 日記
        
認知症の親の奇行を、時には微笑ましく寄り添い、時には嘆きながら、日々の介護生活を綴っている親を介護する子供のブログを見かける事はあるが、認知症になった本人のブログを読んが事が無い。『認知症は、高齢者が発症するすべて忘れてしまう病なのだから当たり前」そう思っていますか。
うちのバァバ(ジィジ)は、何も言わずにテレビばかり見ている。時々何か訳のかからない話しを始める。『もう歳だから』と思いながら、心の隅で『認知症?』と疑っても、本人に向かって認知症とは言えない。どうして、、、。本人が機嫌を悪くするから。  
        
私が、お手伝いをしていたグループホームは、認知症を発症している事が入居の条件です。程度は違っても全員が、認知症を発症しています。しかし、一人も自分が、認知症と言う自覚がありません。『認知症になったら最後だもんね。』と言われる方はいますが、自分の事とは思っていない。
一つ屋根の下で生活をしている身内が、近所の人の目を気にする本人の奇行は、認知症=精神病⇒廃人と思う風潮が有って、日常生活の中で差別される存在だから、本人も家族も認知症と向き合う事をしない。
認知症には、MCIと呼ばれる認知症とも老化とも言えないグレーゾーンの時期があります。まだ、認知力普通にある初期段階で認知症=精神病⇒廃人』と絶対になりたくないと不安を感じる事も出来る。不安があっても、周りに話さない。身内もそのことに触れないし考えたくもない。忌み嫌う認知症を、自分の事とブログに書くなんてことはない。

一昔前、癌は不治の病家族が癌を発症した家の子に対して「癌がうつるから来るな。」と子供達の集まりに参加させてもらえなかったと初老の男性が話してくれた。差別を受けるほど忌み嫌われた癌は、今、患者が闘病記を発表し癌に対する受け止め方が変わた。癌の治療方法が発見され寛解率が上がったからだけでは無い。癌患者が治療時の身体の辛さ苦しさ、気持ちの苛立ち、不安、心細さを正直に吐露始めたことが、意味嫌っていた癌と向き合う機会を持たせ、感情で癌を見る事の不条理を考える様になったのだと思う。

認知症は、最終的に身体も動かせ無くなる不治の病。癌とは違うと異論を唱える人もいるでしょう。しかし、人は必ずその命が終わる時が来ます。老衰なのか、病死なのか、不慮の事故死なのか、原因は色々ある。病気なら治療方法を調べたり、名医がいると聞けば診察を受けようと連絡を取り生きる努をするでしょう。認知症は、病気です。なぜ誰にも言わず隠してしまうのでしょうか。隠すことが出来なくなった時、介護が大変と身内に言わせ、本人の意思など関係なく介護をしてくれる施設を探す。グループホームは、認知症の人達が協力し合って自立した生活を送る支援する為に作られた施設です。現状は、昼間は共同フロアーで指定された椅子に座り、食事が運ばれれば食事をし、お風呂の順番の声をかけられれば入り、夜になれば部屋に戻り寝る。小規模の老人ホームです。
2025年には、65歳以上の人の3人に1人が認知症になると、発言する研究者もいて誰にでも認知症が発症する可能性があります。認知症=精神病=廃人の考えを変えなければいけない


ACP:103万円の壁って

2024-11-28 12:03:33 | 日記

年末になると必ず聞く「103万円の壁」。今年は、これの引上げが国政の目になっている。選挙で、野党に生きのいい政党が出来たから。103万円の壁は、基礎控除が48万円+給与所得控除が55万円=103万円以内なら税金がかからない。超えると所得税、社会保険料、夫の扶養から外れ、配偶者手当がなくなる。各家庭の事情により、税金、社会保険料と色々納めなければならない。だから超える事の出来ない大変な壁。
生きのいい政党は、最低賃金が30年前と比べると、1.73倍に賃上げされているのだから、103万円×1.73=178万円にするべきと、声を上げている。そして今は、「103万円からどのくらい引き上げようか」の相談になってきている。そこで、基礎控除と給与所得控除の2つの控除とは、なんの意味があるのか?今さらながら調べた。
基礎控除=最低限の生活保障額
給与所得控除=給与を稼ぐための経費(企業で言う必要経費)なのだそう。
最低限の生活保障48万円?1年間?エっ!低くないか。せめて「基礎年金額」ぐらいにはならないか?日本国憲法第25条1項(すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。)を実践して欲しい。




ACPから 今のちょと先 ALP(なにしよう)へ

2024-05-07 13:31:10 | 日記
 最近のコマーシャルで思った。
高齢者向け保険のコマーシャル。「85歳まで入れます。」「持病があっても大丈夫。」「保険料は、一生変わりません。」
死亡した時に決まった金額が支給される死亡生命保険。保険をかけていた本人が受け取ることにない保険。
誰を受取人に指定するのだろう。人生最後の家族へのプレゼント「今までありがとう」。
それとも、「私のお葬式の費用にして」だろうか?

年金暮らしの中で少しは貯えがあるけど、その時が、いつになるか?今の貯えでたりるのか?
子供に迷惑はかけられない。頼れる知人が思い当たらない。人に迷惑はかけられない。だから、少しでも残そうと保険に加入する。
死亡後に自分の保険金●●百万円。

しっかりした信仰を持っているのなら、その信じている宗教の作法で行われる葬儀を想像して、安心して任せられる仲間がいるから、毎月2~3千円の掛け金は、今の生活に安堵と心の余裕をもてるのだろう。


●●宗●●教とか●●寺の檀家とか親類と縁の薄い一般人は、死亡後について漠然と頭の中で考える。
言葉で表せないモヤっとした思い。 具体性のない先の事、永遠に到達できない思い。

ACPは、 医療関係者が、患者が最期をどう迎えたいかの本人の意思を確認し、最期を迎えたいのか終末期の治療方法を組み立てる手段と決めつけていないか。
ACPと聞くと
死んだら、お葬式は?お墓は?自分が居なくなった後の事ばかり、漠然とネガティブな事ばかり考える。
だから、
今のちょっと先をALPで考えて見るといい。
A= あらかじめ
L= どんな生活を送りたいか(自分の生き方)
F= 望みの生き方の為にどんなことをしようか

たとえば、
A= ●●歳まで ●●をしたい。できれば、仲の良い友人と一緒に
L= 年金生活だから、もしもの場合も考えなければ、でも、出来るだけ自分らしく生活したい。
   モヤモヤしてしまう。
F= とりあえず、今、叶えられることから考えて見よう。身近な人と話し合ったり、調べたり、その時思ったことを
  書き留める。そうすると、だんだん形が見えてくる。

ALPは、今までの自分の生き方を振り返り、「●●歳までは、友人と●●したい。」「●●で退職したら、●●を始める。」
ちょっと先の目標を見つけて、それをどんな風に行うか、身近な人と、どう共有し協力し合えるかを考える手段。

そして、
そのちょっ先のALPの積み重で、自分の意思を見つめ直しこれからの自分に何が必要か、が解ってくる。

月々2~3,000円 ちょっと贅沢にお茶の時間、友人とおしゃべり。
それとも、近くの展示会や話題の映画を観に行く。
保険だけに決めつけないで、自分の楽しみに使う事を考えるのもいいのではないか。
ただ漠然と、今入れる生命保険に入っておこうかと、思えなくなるはず。

人は必ず死を迎える。どんなにあらがっても、、、、。それが何時になるのか?
わからないから