気ままに一筆

心に引っかかった居心地が悪い出来事や、心の隅で湧き上がってくる日本の風習への思いを感じるままにつぶやいています。

ACPから : ん?

2024-06-04 17:15:51 | 日記
『この歳になってはいれる保険が無い。』自称70歳の白髪の何処でもいる女性。『85歳ま入れる保険がある。』元気な声で若手の演歌歌手が唄う。白髪の女性は、途端に明るくなって元気に歌い出す。死亡生命保険。老後の生活に2000万円。そんな話を聞く。老後?いつから?
どんな日常生活を送って何歳で死ななければならないの。そして、死んだら〇〇万円の生命保険。孫に渡せたら良いオバァちゃん。皆んなそうなの。
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ACPから 今のちょと先 ALP(なにしよう)へ

2024-05-07 13:31:10 | 日記
 最近のコマーシャルで思った。
高齢者向け保険のコマーシャル。「85歳まで入れます。」「持病があっても大丈夫。」「保険料は、一生変わりません。」
死亡した時に決まった金額が支給される死亡生命保険。保険をかけていた本人が受け取ることにない保険。
誰を受取人に指定するのだろう。人生最後の家族へのプレゼント「今までありがとう」。
それとも、「私のお葬式の費用にして」だろうか?

年金暮らしの中で少しは貯えがあるけど、その時が、いつになるか?今の貯えでたりるのか?
子供に迷惑はかけられない。頼れる知人が思い当たらない。人に迷惑はかけられない。だから、少しでも残そうと保険に加入する。
死亡後に自分の保険金●●百万円。

しっかりした信仰を持っているのなら、その信じている宗教の作法で行われる葬儀を想像して、安心して任せられる仲間がいるから、毎月2~3千円の掛け金は、今の生活に安堵と心の余裕をもてるのだろう。


●●宗●●教とか●●寺の檀家とか親類と縁の薄い一般人は、死亡後について漠然と頭の中で考える。
言葉で表せないモヤっとした思い。 具体性のない先の事、永遠に到達できない思い。

ACPは、 医療関係者が、患者が最期をどう迎えたいかの本人の意思を確認し、最期を迎えたいのか終末期の治療方法を組み立てる手段と決めつけていないか。
ACPと聞くと
死んだら、お葬式は?お墓は?自分が居なくなった後の事ばかり、漠然とネガティブな事ばかり考える。
だから、
今のちょっと先をALPで考えて見るといい。
A= あらかじめ
L= どんな生活を送りたいか(自分の生き方)
F= 望みの生き方の為にどんなことをしようか

たとえば、
A= ●●歳まで ●●をしたい。できれば、仲の良い友人と一緒に
L= 年金生活だから、もしもの場合も考えなければ、でも、出来るだけ自分らしく生活したい。
   モヤモヤしてしまう。
F= とりあえず、今、叶えられることから考えて見よう。身近な人と話し合ったり、調べたり、その時思ったことを
  書き留める。そうすると、だんだん形が見えてくる。

ALPは、今までの自分の生き方を振り返り、「●●歳までは、友人と●●したい。」「●●で退職したら、●●を始める。」
ちょっと先の目標を見つけて、それをどんな風に行うか、身近な人と、どう共有し協力し合えるかを考える手段。

そして、
そのちょっ先のALPの積み重で、自分の意思を見つめ直しこれからの自分に何が必要か、が解ってくる。

月々2~3,000円 ちょっと贅沢にお茶の時間、友人とおしゃべり。
それとも、近くの展示会や話題の映画を観に行く。
保険だけに決めつけないで、自分の楽しみに使う事を考えるのもいいのではないか。
ただ漠然と、今入れる生命保険に入っておこうかと、思えなくなるはず。

人は必ず死を迎える。どんなにあらがっても、、、、。それが何時になるのか?
わからないから

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ACP:(最期は本名で…。)お墓ってなぁに

2024-02-08 16:04:08 | 日記
「さいごは本名で.…。」地方の工務店で、働いていた男性が病死した。「私は、✖✖です。」指名手配者の名を告白する。町の銭湯に通い、顔馴染みと世間話をする。どこにでも居るひとり暮らしのおじさんだった。行き付の飲み屋で「〇〇ちゃん」と呼ばれ、仲間の集まりでは、歌い、踊り、盛り上げ係として楽しんでいる姿がビデオに残っている。1年前位から、体調が悪かった様で、「道路でうずくまって居るところを自宅まで抱えて送った」と答える近所の人の映像がTVに流れている。

「私は、✖✖です。」と入院中の病院関係者に打ち明けた。約50年前に連続企業爆破事件を起こしたテロ組織のメンバーとして指名手配されている人物の名前だ。約50年近く前のその✖✖に関する本人確認の資料は無く、TVは「✖✖と名乗る男」と呼び、「親族にDNAの提出を求めている」「本人しか知り得ない家族構成などの事実を話した」と警察の発表を流す。

男性は、ごく普通の市民として地域に馴染みそれなりに楽しく暮らしていた。本名での生活の20年より、〇〇ちゃんと呼ばれ暮らして約50年間。〇〇としての人生があったはずと思う。最期が迫ってきたと感じた時、それらを全て無にしても本名に戻りたかった。

DNAは「✖✖と名乗る男」と親族とのDNAは、「親族関係に矛盾はない」と言う結果になった。99.999%の確率で親子関係を証明するドラマの様な事はなかった。男性は、✖✖と特定される事無く死亡した。「死ぬときぐらいは、本名で…。」これがこの男性のACP だったすると、男は自分の遺骨を親族の墓に埋葬して欲しかったのではないか。

親族は、遺骨の引き取りを拒否している。✖✖と確信できない遺骨を、また、本人だったとしても「◆◆家の墓」に入れようと思わない。日本の古い家中心の風俗が、男性は「✖✖と名乗る男」と扱われ遺骨は、行政機関で身元不明の遺骨と同じに保管される。
男性は、こうなる事を解って告白したのだろうか。
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ACP: (♪まかせて安心‥♪)お墓ってなぁに

2024-01-29 20:29:31 | 日記
 ♪まかせて安心・・・ お世話になりました~ なんでも相談・・・
TVから聞こえてくる。唄っているのは、1967(昭和42)年~1969(昭和49)年代、大流行したGSの超人気グループのポーカルだった男性。ステージを走りまわっていた男性である。
 高度経済成長期の担い手となったベビーブーマーの人達は「団塊の世代」と呼ばれ地方から都会へ集まり、大阪万博、海外旅行、GS、目新しい外国文化と彼と一緒に高度成長期を走っていた。

平成、令和と時代が移り、団塊の世代も70歳代となった。
日本人の平均寿命まであと何年と指を折り数えられる歳になって、自分の最期の時を思う。
自分の葬儀は….。祖父母や父母もすでに他界して田舎とも疎遠になっている。
お寺との関係も分からない。
そのときは、葬儀社に頼むのか….。
僧侶を探し、良い戒名をつけ、式場を華麗に花で飾り、場合によっては都会に近い霊園公園まで紹介してくれる。
そのためには、いくらお金が必要?

 ♪まかせて安心・・・ お世話になりました~ なんでも相談・・・
優しくゆっくりと彼の唄声が聞こえてくる。
必ず来る最期の時
●●宗派の教えも檀家の意味も理解していない形式だけの葬儀を行うのか、
慣習にとらわれない自分なりの葬儀で縁のあった仲間達と思い出を作りたいのか。
自分なりの締めくくりが許される文化が生まれてきたのではないか。

 ♪まかせて安心・・・ お世話になりました~ なんでも相談・・・
彼の唄声が聞こえる。
昭和時代、存命の祖母がこのCMが流れたら、
『縁起でもない。テレビ消して!』と怒っただろう。
 










 





 
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ACP:(檀家)お墓ってなぁに

2024-01-21 15:01:25 | 日記
 都会に出てきた人は、祖父母や親の生活する家を実家、故郷、田舎と言う。
そして、実家には仏壇があって、昔からお寺の檀家になっている。
しかし、寺の宗派が何なのか、なぜ寺の檀家になったのか、説明できる人は少ない。
檀家とは、本来、仏教宗派の庇護者、後ろ盾になる事を表していた。
江戸時代にキリスト教を禁止する宗教統制政策により、特定の寺院の檀家になる事を強制し、
寺院にキリシタンでない証明として出身地、生年月日、氏名等を記載した「寺請証文」を発行させた。
信仰とはかけ離れた村の統治をお寺の責任とした。
 明治になり宗教統制政策は廃止されたが、お寺の定めたお盆・お彼岸・お正月・回忌法要は祖先の崇拝行事として残った。

 昭和、平成、令和と時代が進み、仏壇を持たずに都会に移り住み家庭を創った人達は、
実家のおじいさん、おばあさん、自分の両親達が他界し、
お葬式は、村の親族が「貴方の家は、●●宗だから菩提寺は、●●寺」と
都会人になった子供は、村のシキタリの流れのまま
お寺との繋がりも、檀家の意味も、解らず、葬儀がすすみ終わらせる。

都会の葬式は、葬儀社に頼み、面識のない僧侶が戒名を付けて、お経を唱える。
仏教の教えも、宗派の意味も分からない葬儀社が進行する葬儀。

「葬式仏教」とある大学の教授が表現した。

霊園という墓地が、仏壇を持たない都会人の注目を浴び、各々墓を建て、自分の墓とし、田舎のお寺とも疎遠になった。

家単位の「檀家」と言う言葉は、「死語」になってゆく。

一人暮らしが多くなっている現在、自分の死後の処理を考えなければならない時代になってきた。






 















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