映画「ROMA」
最初NETFLIXでしか見れなかったというのが、渋谷のユーロスペースでかかっていたので、見ることができた。白黒、昔のドキュメンタリー映画のよう。1970年メキシコ、ある裕福なファミリーの住み込み家政婦のある日常のひとこまを切り取って、メキシコの1970年代にあった経済格差、地震などの災害、反政府デモなどの事件を淡々と描いたもの。ただただ切なく哀しい。主人公のクレオ、という女性がフェリーニの「道」に出てくるジェルソミーナのように哀れで切ない。
同じメキシコ人で、西欧人のような人と先住民族系の人がいて、西欧人風のほうは上流階級で、先住民風の人は住み込みいで家政婦として雇われている。
先住民族のクレアは小柄で、おとなしく無口。一言も不平も言わず黙々とご主人様の洗濯、掃除や4人の子供の面倒を見る。水のすくない乾燥した貧しい農家に生まれ、実家に帰ったところで歓迎されることはない。休みの日、同じ先住民族の男に誘われ言われるがままになり、妊娠して、逃げられ捨てられ、男を追っかけて、やっと見つけたと思ったら「嘘をつけ、家政婦のくせに」を悪しざまにののしられ、その男が反政府デモに交じってゲリラのようになっていた。 そのデモの混乱の中、破水して病院へ行くが、苦しみ抜いた出産の末、死産。ご主人の奥様のほうは、旦那が浮気して、こちらも逃げられてしまった。クレアが色々な出来事や運命をあるがままに、感情をこらえて引き受けているのに対して、ご主人様の奥様は何か起きるといちいち一喜一憂し、わめいたり泣いたりして、対照的だ。
クレアに感情がないのではなく、いかに忍耐強いか、最後の海辺でつぶやいた、「生みたくなかった」の一言で分かる。私はクレアがかわいそうでならない。そういう映画。日本でいれば幼くして子守り奉公に出されていた農村の原風景。経済格差の問題、女の持つ産むという存在の在り方をそのまま観客の前に晒した映画。
なぜラストのエンドロール、洗濯物をもって屋上へのぼったまま、クレアが戻ってこず、そのまま屋上へつづく建物と階段を延々と写し続けていたのか、さっぱり分からない。タイトルがなぜ「ローマ」なのか?、メキシコシティーにローマという場所があるらしいが、それでしょうか。