水にただよう浮草日記

自称文人、でもあっちへこっちへ行方定まらない。そんな浮草が芝居、映画、文学、美術、旅に関してのコメントを書き連ねます。

「琉球の風」と「木の上の軍隊」

2016-11-29 10:22:54 | 日記・エッセイ・コラム

駒沢公園では「肉フェス」が終わり、静かになった。中央広場の鉄塔、その下の池にいたカルガモがいつの間にか一羽もいない。強い風に水だけが揺れている。黄金色の銀杏が散ってランニングコースを覆う。建設中のバレーボール体育館の、屋根のアーチの間から見える雲が茜色に変わって、早い夕暮れがやってくる。もののあわれだなあ。

沖縄に関する芝居について二本。

東演 「琉球の風」作~中津留章仁・演出~松本祐子

沖縄の過酷な状況を知っていますかと問いかける。島津藩からの侵略の歴史、本土決戦を避けるための捨て石をなり地上戦で40万人が死んだあの戦争、そして本土復帰といいながら、なお米軍基地に占領されている現実、とりわけオスプレイ配備、普天間基地と高江のヘリパット建設について問いかける。

そしてなによりも我々本土の人間の傍観者としての無責任な態度と無関心、それこそが問題であると訴える。

舞台は受付カウンターを備えた旅行代理店の事務所、事務員たちが新しい沖縄ツアーの企画を練っている。沖縄出身の女子事務員、そこに現地対応してくれるという女子事務員の兄と称する男性が、アロハを着て事務所を訪れる。実はこのツアー、辺野古や高江を回ることで一般参加者たちに反対運動に理解を求める狙いがあるものだった。いろいろな人物が次々と吉本新喜劇風に登場する。沖縄について無知な同僚、ツアーに申し込んた大学の先生、環境庁係官、島袋さんという東京で辺野古基地建設反対運動をしている人など。すったもんだののち、ツアーは行われるものの、沖縄の現状は変わらず、旅行代理店は何もなかったように、普通の観光を求めてカップルが立ち寄って平和な日常が続く、で幕となる。

新聞やテレビがやらない問題提起をきちんとやって東演は立派だと思う。

 

こまつ座 「木の上の軍隊」

沖縄、伊江島、舞台には幾重にも枝が伸びツルが絡み合った巨大なガジュマルの樹。観客を南の島へ誘い込む。

激しい地上戦が行われ、二人の兵士がこの巨大樹木へ逃げ込み身を隠した。一人は本土出身の上官、もう一人は伊江島出身の新兵。

あと木の生霊のような女が語り部として登場する。

その樹の中という閉ざされた空間での密室劇のように二人の会話が続く。沖縄戦の話、戦争へ駆り出されたいきさつや生い立ち。食料を巡るいさかいや力関係の逆転などを経て、二人は戦争が終わったことに気がつくが、木から下りることができない。

沖縄という風土、戦争という人間を限界に追い詰める状況を語っていると思う。

 


劇団チョコレートケーキ「治天の君」

2016-11-16 21:36:43 | 日記・エッセイ・コラム

劇団チョコレートケーキ「治天の君」

三軒茶屋 シアタートラム

この劇を見てから一週間以上経ってしまった。

驚きのあまり言葉が全く出なかったのだ。劇場を後にしたとき、背筋が寒くなるほどだった。この劇の作者古川健という人は天才だなあと思った。タブーであると思っていた天皇のことを堂々と描いた、その勇気に驚いた。若いのにりっぱだなあと強く思った。

つくづく演劇というのは見る人のイマジネーションで創られると思う。

舞台には赤い玉座が一つだけ。そこに天皇や皇后、侍従や政治家が登場して家族間の話や政局などの話を展開する。

我々はその状況の中で自分の持っている天皇や歴史についての知識や情報、そして自分の感性に基づいて妄想をひろげていく。その妄想がどのように広がっていくかはその人次第。我々は大正時代のあと、昭和で何があったかその歴史を知っている。だからこそ、「ああ、天皇というのはこうして創られるのか」と開いたパンドラの箱を覗いたような気になり、恐怖で言葉を失うのだ。

情報の少ない大正天皇を驚くべき発想と想像力で生き生きと現出させた。

優しい心の持ち主で人間らしく生きたいと願いながら、「天皇とは現人神であらねばならない」という父である明治天皇からの厳しい叱責、日露戦争、第一次大戦などの勃発により西洋の列強に加わった富国強兵の日本、その政治と謀略に巻き込まれ、優しさゆえ、我が子である裕仁に摂政として権力を奪われ、失意と病の中で短い一生を終えたという設定だ。父と子の軋轢、病弱な自分へのコンプレックス、夫婦の愛など家族のドラマを主のテーマとしながら歴史と政治を描き、見る人に天皇制をありようを考えさせる。

明治天皇にとっての孫の裕仁に、現人神としての日本国に君臨する使命が託された。そこで劇は終わる。

しかし我々にとっては、これから本当の劇が始まるのだ。昭和天皇の時代はどんな時代であったか、我々は知っているから、さまざまに思いを巡らせ、歴史の本をもう一度開いたりすることになるのだ。

 以前見たこの劇団の「追憶のアリラン」でも感動と驚きのため言葉が出なかった。日本の朝鮮半島支配の問題を、歴史の中に埋もれ知られていない立場の人間を通して、事件や出来事の多面性を浮かびあがらせ、様々な人間を登場させ様々に発言させた。そして見る人間の想像力を掻き立て、考えることを訴えてくるものだ。「さあ、あなたの持っている知識と感性を動員して考えてください、必要であればもっと勉強してください、朝鮮半島であの時代何があったのでしょうか」

この劇もまた問題提起があった。「天皇制において明治時代とはどのような時代であったのでしょうか、大正天皇とはどのような天皇だったのでしょうか。そして、あの神として崇拝され、国民を大戦へ導いた昭和天皇裕仁はどのように神格化されていったのでしょうか」

触れてはならないと思っていた天皇について、どうどうと語る作者の勇気は本当にりっぱであると思う。また、明治天皇、大正天皇、昭和天皇を演じた俳優が自信に溢れそれらしく見え立派であったと思う。