成瀬仁蔵と高村光太郎

光太郎、チェレミシノフ、三井高修、広岡浅子

井上秀と東條英機首相夫人・勝子 昭和16年 宣戦の大詔

2016年04月13日 | 歴史・文化
昭和16年3月、国民学校令が公布され、10月、東條英機内閣が成立すると、翌11月20日(木)、井上秀は、首相夫人勝子(国文学部7回生、豊泉寮生)を母校に招いている。
「思い出の目白に東條首相夫人 母校、御慰労と声援を捧ぐる日」というのは、「家庭週報」の一面トップの見出しである。ちなみに東條夫妻の長女は学園を中退(家政二類)、次女は在学中(家政一類)であった。
この歓迎・歓待に応えて、東條首相夫人・勝子は、4日後の11月24日、陸相官邸で晩餐会を開き、日本女子大学校に在学する東亜共栄圏の留学生(中国、満州、泰国の19名)、北米系留学生(4名)らを招待している。
 井上秀校長は、留学生を引率、大橋広、上代たの両部長ら共に、バスを仕立て、総勢55名で、陸相官邸を訪問している。
 一方、勝子夫人は、長女、次女と共に、井上秀の一行をにこやかに迎え、歓談、そこへ会議の合間をぬって、東條首相(陸相兼務)が顔を出し、一同、記念撮影の栄に浴したという。
 ちなみに前後するが、満州開拓農家支援活動でいえば、勝子首相夫人がかつて約三年満州生活の経験があり、出立日の昼、陸相私邸で壮行会をしてもらっている。
 井上秀校長と首相夫人・勝子との招き・招かれる蜜月関係の約半月後、12月8日、日本軍はハワイを空襲し、同時にマレー半島に上陸し、米英に宣戦を布告、太平洋戦争に突入する。
 宣戦の当日、学園では、定例瞑想会は「勝利への決心会」に変わり、成瀬講堂に集まった学生、生徒、園児(2千名)はラジオで「宣戦の大詔」のニュースを聞いたという。
 井上秀校長は、「家庭週報」巻頭で、「宣戦の大詔を拝して 銃後を守る桜楓会員の覚悟に望む」という檄文を載せ、翌年一月、決戦下の繰り上げ卒業式に於いて、戦局について縷々言及し、大東亜共栄圏の樹立について触れ、赫々たる武勲をたてた少年航空兵は諸子と殆ど同年輩で、彼の少年航空兵の決死行を送る母心と同じ心を以て、諸子の門出を送らんとしておりますと告辞している。


左より井上秀、東條勝子、右より上代たの学部長、三井高修夫人廣子、
学生報国隊の演習を参観している


東亜共栄圏留学生招待晩餐会、中央に東條英機首相




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