池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

小杉陣屋の史跡巡り

2019-09-04 17:49:53 | 散歩

本日、予報ではそんなに気温が上がらないようなので、一昨日予定変更した小杉陣屋あたりに行ってみました。

と言いますか、もう残暑もお終い?

丸子橋を越えて、中原街道を進みますが、

川崎歴史ガイド・中原街道ルートというものがあって、各名所旧跡には案内板が立っています。

(川崎市のHPの名所旧跡ー中原区ーも参照して行きました)

まずは、先日、等々力緑地に行く時に、通りがかった立派な門のところから、と思って、地図で調べると、それらしい場所に、安藤家長屋門というのがありましたので、それだったか、と思ったのですが、

行ってみると、原家の陣屋門(主屋は平成3年に日本民家園に移築・復元)とありました。

生田緑地の日本民家園に行った時、入口にあった最も立派な家(右上)でした。

そして、全景を唯一撮り洩らした家屋でもありました(汗)

日本民家園のHPにある、原家住宅の写真はこちらになります。

こんな立派な家がここにあったのですね(驚)

豪農?

現在は、門と、その裏にお社、

樹齢350年の神木があります。それほど大きくはないのですが(ないからか)、カッコいい欅です。

 

そして、その先の路地を入ったところが、安藤家長屋門でした。

安藤家は名主の一つで、旧家に歴史的に貴重な古文書、絵画が残されていると。

 

中原街道からちょっと北に逸れて、小杉陣屋町中公園に向かうと、その手前、住宅地の中にちょこんと、お社があります。

「小杉陣屋と次大夫」という案内板があるのですが、

徳川家康から、二ヶ領用水の建設を命じられた、代官小泉次大夫が陣屋を設け、それが現在の町名に由来すると言うことですが、ここがその陣屋のあった場所?かどうかの説明はありませんでした。が、そう言う事なんだと思います。

 

そこから、徳川秀忠が建てた小杉御殿跡に向かって、西明寺の方へ向かうと、

超立派な家が!これ?と思いましたが、

これは、お金持ちの方の家で(こんな庭を維持できるなら、お金持ちかと)、

当の小杉御殿跡は、住宅街の路地奥にひっそり。

先ほどの「小杉陣屋と次大夫」もそうですが、この辺一帯(西明寺境内)が小杉御殿跡で、このお社の場所が「主殿跡」らしいのですが、お社をランドマークにする意味は?

 

中原街道に戻って、街道が防衛の為に「カギ」形に曲がったところが、西明寺の入口です。

小杉御殿は西明寺の境内にあったので、小杉御殿跡の石柱が立っています。

さあ、西明寺に入ります。

なんと言いますか、、、綺麗なところです。

先ほどの「安藤家長屋門」の安藤氏は、元は後北条氏の家臣で、秀吉の小田原征伐の後、帰農して名主になったようですが、

(信長の野望(ゲーム)には、安藤良整という武将が出てきますが、それかな?)

そういう事もあって、門には、三つ鱗(北条鱗)が掛かっています。

と、この時は思ったのですが、

鎌倉幕府の執権、北条時頼(時宗の父親、出家して最明寺を名乗った)の信仰が篤く、最明寺を名乗った時期もあるという由緒書きがあったので、

形は平べったいので早雲公以来の後北条氏の北条鱗ですが、北条氏との関わりは、後北条氏ではなく、鎌倉時代の北条氏に遡るようです。

ちなみに、私が棺に入れて欲しい小説「炎立つ」「火怨」「風の陣」「天を衝く」の作家、高橋克彦さんの小説「時宗」では、父親の時頼(最明寺)が前半の主人公みたいでしたね。

大河ドラマでも、前半は時頼(渡辺謙)、後半は兄の時輔(渡部篤郎)が主役っぽくて。まあ、時宗は、元寇の時、たまたま執権でしたが、太宰府で自ら防衛した訳でもありませんし、史実的には謎が多いこともありますけどね(大河は、配役にも問題が。。。)

 

さて、西明寺の境内に戻ります(苦)

鐘楼。

観音堂。

弁財天(池)。

本堂。

弘法大師像。川崎は、川崎大師もありますし、真言宗の流れが強いのかな。

大田区は日蓮宗(総本山があって)が強いとすると、鎌倉時代は多摩川を挟んで随分と軋轢があったのでは。

それにしても、綺麗な境内です。

芝生だからですかね。

庭園の雰囲気ではなく、なんか、ゴルフ場のゲストハウスの小綺麗さのような(笑)

なお、こちらは、先日の大楽院のお仲間で、川崎七福神の大黒天との事。

二人お参りしましたが、残り五人の神様のうち、地図上、歩いて行けそうなのは無量寺の寿老人くらいかな。

 

中原街道に戻って、近場の史跡を抑えます。

 

「小杉駅」というのは、鉄道の駅ではなく、宿場の駅「宿駅」跡という意味です。

中原街道(江戸と平塚の中原を結ぶ)の宿駅ですが、脇街道であったので、東海道のような整備はされなかったものの、混雑している主要幹線である東海道を避けたバイパス、貨物輸送の需要があったようです。

 

江戸時代の庚申塔。「油屋」の屋号を持つ小林家の角にあったことから「油屋の庚申塔」と呼ばれたとのこと。

 

庚申塔の先の交差点を、右に曲がると、小杉神社の脇門に行き当たります。

御祭神は天照皇大神。

天照皇大神と天照大神は別の神様のようです(どう違うのかよくわかりませんでしたが)

天照皇大神は、夢見ヶ崎動物公園の墳丘に神社がありましたっけね。

拝殿の獅子と龍の彫刻がなかなか秀逸です。

天満宮もありました。

脇門から入り、正門から出て、帰路につきます。

 

最後は、往路では通らなかった中原街道沿いにある「明治の醤油づくり」の案内板。

お隣に明治3年に醤油の醸造を始めた石橋醤油店があります。

大樽などが残っているようですが、現在は、小さなお店があるだけ。

歴史ガイドには「ガイドを見て訪ねてくる方が何かと質問するため、石橋醤油店が迷惑しています。」との注意が。。。

 

以上、小杉陣屋のあたりの史跡めぐりでした。

歴史ガイドをみると、中原街道を進んで、小杉十字路、二ヶ領用水の先にも色々あるようですが、

これで、家に帰っても、16,000歩以上歩いたので、

巡るとすれば、中原街道ルートのエンドにある南武線の武蔵中原駅まで電車で行って、歩いて帰ってくるとか、往復の移動はちょっと考えないと辛いかな(レンタサイクルは、大田区と川崎市、多摩川を跨げないので、ちょっと面倒)

あと、漫画寺(常楽寺)は予約しないと中を見られないようなので、こちらもちょっと考えものです。

まあ、焦る必要はないので、追々ですね。

その前に大田区の自然観察路)かな。

ではでは



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (cforever1)
2019-09-04 19:12:26
クリンの広場からまいりました、クリンです🐻✨
いつも、くわしいかいせつ(解説)とともに、おもしろい・まち歩きのブログをありがとうございます✨✨
うちの家ぞくはれきし(歴史)が好きで、まち歩きも大好きなのですが、忙しくてなかなか自分たちでは行けないので、こちらのブログをたのしみにしています🎵

これからも、どうぞよろしくおねがい申し上げます❗

クリンより🌼
返信する
Unknown (chayank)
2019-09-04 19:37:13
@cforever1 クリンさん、とても嬉しいコメントありがとうございます。
退職を機に、高所から見た歴史だけでなく、足元の歴史を見て歩こうと思っています。
クリンさんの、私には新鮮なライフスタイルに刺激を受けており、これからもどうぞよろしくお願いします。
返信する

コメントを投稿