池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

【じんけんカフェ】学びとはなにか 第4回

2019-11-23 17:05:06 | 地域情報

今日は一日、冷たい雨が降っていました。

雨量が多くはなかったものの、霧雨のような雨が風に吹かれて、横殴りに当たってくるので、傘をさしても、ジーンズが膝上からずぶ濡れになり、朝の散歩は早々に断念しました。

 

さて、昨日も冷たい雨の中、いつもの大田区消費者生活センターへ、おおた区民大学【じんけんカフェ】学びとはなにかの第4回(最終回)に行ってまいりました。

第4回は、「生きることは」と「学ぶこと」と題して、東京大学名誉教授 佐藤 一子(さとうかつこ)さんから、「学習権・教育機会の平等・教育の保障とはどのようなことなのか、人にとって学ぶということはどのような意義をもつのか、自分のこれまでの学びも振り返りつつ学ぶ」内容です。

佐藤さんは、大学生の時、学歴社会に疑問を持って、社会教育学を専攻し、市民活動に参加しながら、学習権(学習の自由)、学校以外の学びの意義(学校教育で学ぶことができなかった人にとって、社会教育で学ぶことが生きる支えになる)を研究されてきたようです。

九条俳句訴訟にも携わって、勝訴を勝ち取ったと、、、正直、全く知りませんでしたが、集団的自衛権に反対する俳句が、市職員の忖度によって公民館便りに掲載されなかったことから、ありのままの自分の思いを表現する自由が損なわれたと訴訟を起こし、最高裁で違憲が確定され、市から賠償金が支払られたと言うもののようです(なお、賠償金は、5000円だったと。アメリカでは懲罰として高額になったりしますが、日本では賠償金が科せられるかどうかに意味があるくらいですからね)

 

ところで、講義の内容ですが、

細かい文章が埋まったパワポで進められたのですが、、、どうもとらえ所がなくて(苦)

お話の内容は分からなくはないのですが、学習する権利や生涯学習の意義に関しては、専門的なキーワードを並べ、組み合わせたような文章とお話で、、、

まあ、技術論ではないので、専門的と言っても知らない単語が使われているものではないものの、多分、そのキーワードが普段使われる背景とかを知らないからか、キーワードだけ頭に残っても、文脈、前後の繋がりがどうも頭に入りずらかったです。

なんだか、大学の講義を久しぶりに聞いたような感じでした。

公民館の役割に注目しているようでいて、あまりその取り組みの説明はなく(イタリアの事例とかはあっても)、第2回の講義、第3回の映画で観た夜間中学校との対比とか、シナジーの話もなく、全4回の講座の流れからも、ちょっと独立した内容で、頭に入りずらかったのかもしれません。

タイトルの「生きること」とはも、お話の中で特に出てきたように思えませんし(まさかSDGにおける地球、人類の存亡???)

これまでの「学び」と「生きる」の関係性は、生きていくために必要な知恵をお互いに学び合うというものでしたが、今回は、「生きる」ことは「学び」続ける生涯学習のことのようで、講座の最後に来て、話が変わってしまった感もあります。

まあ、講師本人も、「失礼ながら、テーマが狭すぎて驚いた」とQ&Aでコメントした人に対する回答として、これまで夜間中学に随分フォーカスしている理由がよく分からず、大田区の夜間中学の取り組みが長いからかしら?とか、ご自身の内容も、専門的な角度に絞ったものなので、ボランティア活動の取っ掛かりとか、どうすれば参加できるか、とかを期待して来られるとちょっと違うとは言っていましたが。。。(すごい直球コメントと、驚きましたが、多かれ少なかれ、私のモヤモヤ感もそこにあったように思え、代弁していただきありがとうございますと心の中で唱えました)

が、ハンドアウトと自分のメモを頼りに、私なりにコンテキスト、重要な補足をまとめてみると、

  • 「学びとはなにか」を問う3つの視点
    • 自分の生活・人生において「どのような学び」が意識化されているか。
      • 学校教育の観点ではなく、生活において。意識していないで、知らないうちに身に付ける学びもある。義務教育とは、子供に教育を受けさせる親の義務で、子供にとっては憲法27条で守られた権利。
    • 成人のための学習権の保障
      • 大人にとっても、現代教育を受ける権利がある。Right to Educationではなく、Right to Learning
    • 持続可能な社会づくりを支える「学校以外の学びの場」の協同創造(地域間、世代間)
  • 自分の生活・人生において「どのような学び」が意識化されているか。
    • 大田先生の教育学の復習
      • 人間は弱く生まれるが、柔軟な適応力があり、自らが自らで変わっていく。動物は本能で危険を避けるが、人間は危険から学び、傷ついても治癒する力が強い。
      • ヒトは共同体の力によって人(一人前)になる。子供を仲間・集団で育てる。
      • 教育はドラマ、アートである。教えようとして、教えられたようには育たない。お互いに響き合って育つ。
      • 生涯学習。どこで成熟したのか設計図は書けない。
    • 「自己」と「社会」を結ぶ「学び」
      • 自己と社会のつながりの中で学び必要性。社会の中で生きる時、何を学ぶ必要があるのか考え、選択する。
      • 自己教育と相互学習の循環。多様性とか環境適応。
        • しかし、日本社会では、人は孤立しがち、若者は簡単に自己否定する。家族や学校の教育は管理的な側面が強い(学校で、給食や掃除の時間の私語が許されないなんて、、、と言っていましたが、そんな息苦しいの今の学校って?)。社会もマイノリティーに厳しく、個人の自由な生き方、多様性を許容しない。
      • 生活する共同体そのものが学びを必要とする
        • 社会も成長のために学ぶ必要があり、社会を担う人を育てる必要がある(農村共同体、企業組織など)
    • 生涯にわたる生美の諸形態
      • 生涯にわたる学習の継続。学校では年齢で区切ったり、何かをマスターしたら卒業させてしまう。
      • 学校外の多様な学びの場、機会。Non-formal(非学校形態)。Formalは制度化されたもので、世界で通用する(大学の卒業証書とか)が、Non-formalは通用しないものの実際的な能力(生活知、経験知、身体知)
      • 社会人として再び学校に戻る。しかし、学費の面でハードル高い(夜間中学は無料だけど、大学に入り直したり、専門学校に通うのは高くつく)。社会教育も財政危機を迎えている(とか、言われると、おおた区民大学来づらいなあ)
    • 自分で「選びとる」、学びの世界をひらく
      • 学校中心主義を見直し、職業中心生活より生き方の探究を。
      • 生き方の探究、人生に必要なもの、社会で担おうとする役割から、自分に必要な学びを選びとる。
      • ある学生が、子供の頃、こんな風に教われたらいいなと。学びの広さ(学校だけでなく)を中学辺りで認識すれば、学校での辛いことに耐えられ、不登校にならなかったかも(学校以外の学びはあると思いつつ、学校でも学びも尊重するならいいですけど、学校以外もあるからと安易にドロップアウトしたら拙いとは思いますけどね)
  • 成人のための学習権の保障(教育権の保障)
    • 条約、勧告、宣言の紹介なので省略しますが、近年、増大する移民の教育が問題になっていると。労働力の移動にあたって、自国の教育を十分に受けているかの問題に加えて、第2外国語としてその国の言語を習得しなければならず、グローバル社会は、非識字者を生み出す社会になっている。
    • 移民の国イタリアの生涯学習センター(語学、職業技術を学ぶ)の外国人総数は7万6千人だそうで、日本の夜間中学の外国人数はわずか1,500人。日本の人口はイタリアの人口の倍なのに。
    • そして、ざっくりと、憲法や教育基本法の話、原爆被災後の広島に公民館が作られた話、学習を保障する公共的な条件整備としての公民館の発展の話、先にあった、九条俳句訴訟の話がありました。(このあたりの薄さが、コンテキストに違和感を感じた理由かも)
  • 持続可能な社会づくりを支える「学校以外の学びの場」の協同創造(地域間、世代間)
    • むすびとして、いろいろな現代的課題(生命、健康、人権etc)、重点課題(リカレント教育、ドランティア活動支援etc)の紹介(キーワードだけ)、多文化共生社会に向けての法整備(教育機会確保法)、夜間中学校の設置etc。なお、不登校者累計は100万人を超えているし(驚)、外国人労働者の子供は、義務教育の対象ではないので、学校に行かなくてよく、バイトで生計を助けたりしていると。
    • 国連の定めるSDG達成に向けて、包摂的(Social Inclusion)な社会づくりを推進。生態系、海、陸の問題以外、人も取りこぼさない社会づくりを。諸問題を解決するのは人間なので。
と言うお話でした。

まあ、この回だけ聴講したら、違和感なかったのかもしれませんが、なにか消化不良感が残ったのは冒頭に書いた通りでした。

ただ、外国人労働者の子供のケアがないこと、生涯学習で自己を実現することが生きることとしても、日本は排他的で個を尊重しない社会であると、まずは社会の矛盾をなんとかしないといけないんじゃないかな、と印象には残りました。(その社会を変えるのは、個であるとも言えますが、鶏と卵だな。。。)

 

これで、おおた区民大学【じんけんカフェ】学びとはなにかも修了。

残るおおた区民大学の秋季講座は、東京工科大学提携講座】折り紙建築の手法をいかした<折り>のデザイン講座~自分だけのオリジナルなポップアップカードをつくってみよう~の応用編、来週末です。

 

タイトル画像がないので、

昨夜午前様であった奥さんがお土産に買って帰ってきた、Krispy Kremeのクリスマス仕様のドーナツの写真をどうぞ。

「可愛くて、食べられない〜」などとは、と場見学の後は言いにくいですね(苦)

ところで、私はKrispy KreamがCrispy Creamでないのは、オランダとかドイツの会社なのか?と思っていたのですが、

アメリカの会社で、しかも、なぜCでなくてKなのかははっきりしていないと。

疑問に思ったら、思い込まずに、都度、調べてみるものですね。

ではでは



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