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常識を変えよう! Change commonsense

常識が変われば 世界はもっと広がる

人間とは何か? そして何が人間か?

2013年06月26日 | 日記

科学や技術が行き着く先は、最終的には「人間とは何か?」でしょう。しかし、哲学の最大の目的は「何が人間か?」に思われます。

iPSや人工知能、ヒューマノイド(人造人間)の研究は・・人間とは何か? との問いに 新たな定義をもたらそうとしていますが、それは「人は細胞やイオン・電気作用の集合体だ」という見解かもしれませんよ。なぜなら、もはや時代は 初期化された細胞は何にでも変化し、イオンや電気の流れはPCに思考を生じさせ、自分そっくりのもう一人の人間(クローン)に、自身の身代わりとなる PCやロボットまで作り出せるようになってきたからです。しかるに このような世情になれば、次の疑問は「何が人間なのか?」になってくるのも当然ではないでしょうか。人と同じ行動が出来る人造人間や、人間と同等の思考をするPCが現れれば、それらと人間との違いも曖昧になってしまうのですから。

このような時代背景と世界事情から窺い知れるのは・・やがて「人間とは何か?」は 科学技術の発展によって明らかにされるであろう! という事。しかし その反面「何が人間なのか?」についての哲学は消滅しかけている! ということかもしれませんね。もし誰かに「人間とは何か?」と問えば・・動いたり考えたり 心があるもの。そして 最低の人権を有し 支え合って生きるもの。といった答えが返ってくることでしょう。しかしながら「何が人間なのか?」について問うたなら、明確に述べられる人はあまりいらっしゃらないようにも感じられるのです。

このような同じ言葉にも思える まったく逆の「人間とは何か? 何が人間か?」という問いかけには すべてが含まれるような気がします。これを簡素に表現すれば、ほとんどの方は「人間としての機能は備えてはいるが その取扱説明書は持っていない」と言い変えられるのでは? 要するに「人間とは何か?」を紐解くのが科学技術であり「何が人間か?」を知るための学問が哲学というこですね。「人間とは何か?」の定義は、やがて科学技術の進歩によって勝手に変わってしまっても「何が人間か?」については、このままでは変わる可能性さえなくなりつつある。なぜなら、哲学ある人物が 次第にこの世から消え去り、それらを受け取る機会も 学び取るモデルも 年々少なくなってきている現状がつぶさに見て取れるからです。

具体的に申し上げれば、ITの進化で すべての物が自宅で作成でき、ライン作業やルーチンワークが存続不能となり、移動せずとも あたかもそこにいるようなバーチャル世界が一般的となれば、人の仕事はデザインと創造のみ! となるに決まってますが・・その時には 人間の趣旨が自ずと「何が人間か?」に絞られてくることが容易に予測されるということです。労働は機械がするもの。サービスも機械が施すもの。そうなれば「何が人間か?」への理解こそが最大の価値になってくるのも当然の事でしょう。

今うちに・・そして 哲学ある方が存命のうちに、より多くの方に哲学を持っていただく。それが教育ビジネスの真の意味と目的かもしれません。「人間とは何か?」と「何が人間か?」は全く異なるものです。哲学ある人って「何が人間か?」を、自らの手で果てしなく永久に探求し続けてきた人を称するのかもしれませんが、時代の変わり目には 新しい哲学が必須! 新しい時代に 古い哲学は役に立たないと思われます。