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常識を変えよう! Change commonsense

常識が変われば 世界はもっと広がる

日本独自の哲学

2013年02月15日 | 日記

「愛とは知の極点である。花が花の本性をあらわした時に最も美なるが如く、人間が人間の本性を現した時に、人は美の頂点に達するものである。」これは日本の哲学者 西田幾多郎氏の言葉ですが、本当に美しい表現ですね。今回は【西洋哲学も東洋哲学も超越した“日本独自の哲学”】を構築しようと試みた 西田幾多郎氏の哲学について検証してみます。

●主客二元論 ~ 主観と客観のギャップ 人がリンゴを目にした場合【私は主観。見ているリンゴは客観。】ですから、誰もが「私とリンゴは別のもの」と二元的なとらえ方をせずにはいられません。また、同時にたいていの方は「リンゴは赤い」と簡素な理解をしてしまうものですよね。ゆえに 次に 「リンゴはどんなもの?」と問われれば、即座に「赤い」と答えてしまうでしょう。でも本当にリンゴって、本当にすべて赤いのでしょうか? 実際には、青っぽいものや黄色っぽいものがあり“赤くないリンゴ“はたくさんあるのです。このように人には、そういった“たった一度の経験”で得られた認識に基づいて“リンゴは赤いもの“と断じてしまう傾向がみられますが、これが主客二元論による問題点となるのですね。

●純粋経験 ~ 経験と自己の統一 人間は “あらゆるものを二元的にとらえる 生まれながらの性“ 主客二元論から逃れることができません。よって、物事を正しく認識するには、どうしても思い込みを防ぐ方法が必要になってきます。そこで “認識の前の段階“ を理解して、正しく自己構築いく方法として提示されてるのが、この純粋経験なんです。西田氏は 直接的な経験を“自覚“ とし、思慮的考察を“反省“と表現しました。この【直接的経験=自覚】と【思慮的考察=反省】のふたつがあわさったものこそが真の認識であり、その連続を止めないことが世界の動きをつかみとる【センス】を養うと考えたのです。つまり「リンゴは赤いもの」という自覚を反省して、再度「赤ではないものもある」との新たな自覚を生み出し、そこからまた「リンゴは限定された赤ではなかった」と反省して「もっと微妙な さまざまな赤がある」と深く知ってゆく。この一連の過程において生み出される“純粋な事実“を、主観と客観が生じる前の段階で、あらかじめ念頭に置いて経験しようと試みる行為。これを『純粋経験』と定義したわけです。

●円相図 ~ 無限の内包
上記を簡素かつ具体的にするならば 「私はこの事象をこう見る」 しかし「もっと他の見方もあるだろう」 だから、それをもっと深く考察して統一しながら、より良いものを・・・そして、さらにまた もっと役立つものを求めていかねばならない。これを西田氏は【ひとつの物事には多くのものが含まれる=無限の内包】と呼び、生命や自然は「まるで円のような【円相図】だ」としたのです。

●矛盾的自己同一 ~ 一にして多の生命 この自覚を再度反省するといった純粋経験の繰り返しによって 当然起きてくる“矛盾”を統合するのが矛盾的自己同一です。人間は “一つの身体と多くの細胞” が同時に存在する『ある種の矛盾した存在』ですが、彼は国というものも“種と種の自己矛盾的同一である”と考えました。哲学とは、こういった「あらゆる矛盾に対して、現実的な共通原理や解決策を導き出すもの」で、もし 多くの方が人の身体の構成原理と、国の成り立ちが共通であると理解できたなら、人のあり方も自ずと自然に則してゆくでしょうし、共生の観念もたやすく実行されるのかもしれません。しかし、人って 最初の認識から なかなか脱することができないもの。そしてまた、新しい認識を得たなら「これこそが真実だ」と再度思い込みを深めてしまい、その“思い込みの種類を変える“に留まってしまいがちなのです。なぜなら、誰もが主客二元論を意識せず、純粋経験を経ず、矛盾的自己同一を行ってはいないからですね。つまり、思い込み(主客二元論)の中で、不純な経験を積み上げ、人生を矛盾の中で過ごしてることになるわけですが・・・だからこそ、まずは哲学を知り、これらを余すところなく生活の中へ取り入れ、自然に出来るよう身につけていく必要があるように思われます。

西田氏は“問題解決のための主体性を持つ事=哲学”だから「革新的な新秩序には、新しさだけでなく、そこに立派な道徳と文化が加味される必要がある」ともおっしゃっています。もし、人が真の知性を身につけ、西田氏が示したように【批判する行為は稚拙な行いと自覚し、誰もが問題解決のための主体性を持ちながら、立派な道徳と文化を新しく作っていこう】と試みたなら どんなに素晴らしいでしょう。

哲学とは、認識の前の瞬間における認識形態そのものを変えて、野放図な認識の暴走を防止すると同時に、それは【自分自身に新しい秩序をもたらしてくれるもの】でもあるのでしょう。知性や智恵とはきっと『自然に備わっている自己矛盾を主体的に解決する唯一の手段として、私たちを より純粋な経験へと導き、自己の中に同一をもたらしてくれる宝物』なのかもしれません。


ポートフォリオとコミットメント

2013年01月28日 | 日記

ポートフォリオ(Portfolio)とは・・英語で『書類を運ぶ平らなケース』イタリア語で『札入れ』を意味する語句で、金融業界においては投資家が “自らの資産を複数の金融商品に分散投資する事“ を指します。しかし 現代では 貨幣市場そのものを事業として取り扱うために、金融経済学や数理ファイナンスを用いた金融工学によってはじき出される「安全資産と危険資産の最適保有率」を、リスクマネージメント的に考慮する手法として、このポートフォリオという言葉が使われるケースが多くなりました。

つまり、収益がある程度確定していて、リスクの少ない安全資産(預金・国債など)と、市場価格の変動による キャピタル・ゲイン(capital gain)【債券や株式などの資産価格上昇による利益のこと】とキャピタル・ロス(capital loss)【逆に価格が下がって損をすること】が発生するリスクの高い商品との“組み合わせ”を論理的に事業化する事。これがポートフォリトと呼ばれてるわけです。

その反対の言葉として、コミットというものが使われたりしますが、これは正確には コミットメント(commitment)となり、誓約・約束・公約・確約・義務・深入りなどの意味を有し、経済用語では「決意表明」と訳されることも多いようですね。これを簡単に申し上げれば、責任を伴う約束になり、この中には、責任を負う者の約束に対する強い決意や覚悟が含まれていて、近年では多くの企業トップが、株主、顧客や従業員、あるいは広く社会に対して自社が果たすべき役割をコミットメントと表明しています。

さて、ここからが本題ですが、人生にとって このポートフォリオとコミット。どちらが大切なのでしょうか? もちろん両方とも重要ですね。簡単に言えば、ポートフォリオは数学や科学であり、コミットは人の内面を示す自己認識と表現できるかもしれませんが、コミットの分析に面白いものがありますので、参考までに記載しますと・・・ 外部からの強い圧力で形成されたコミットメントは、十分に機能しない可能性が高い。なぜなら、外部からの圧力には、コミットメントが実現されなかった場合の人事的評価や処遇だけでなく、実現された場合の魅力的な報酬も含まれるからだ。つまり 昇給や賞与の増加である。要するに これらは 外部からの圧力に答えるための動機を外部の評価や物に求める行為であり、あくまで一時的効果しか生み出さないものである。よって 外部からの圧力は、一時的に人に何かをさせることはできても、本人の責任感を引き出すことにはつながらないものなのだ。社員のコミットメントを引き出すには、以下の5つのパターンがある。(1)組織のミッション、価値観、誇りを共有させる(2)業績・業務プロセスの透明性を高める(3)社内に幅広くチャンスを提供して起業家精神を鼓舞する(4)社員の個人的なビジョンの達成支援を行う(5)あらゆる機会を通じて社員の成果を認め称える 企業特性に応じて、これらのアプローチを組み合わせて実施することで、社員の内発的なコミットメントが促されるが、重要なのは、あくまで外部からの圧力ではなく、自らの意志で判断したのだと感じさせるプロセスを経て初めて、本当の意味でのコミットメントが形成されるという点である。そのようにして形成されたコミットメントを通じてはじめて、社内の意気高揚も長期的に効力が発揮されることになるだろう。

上記の分析で最も重要なのは『外部からの圧力ではなく、自らの意志で判断したのだと感じさせるプロセスを経て初めて、本当の意味でのコミットメントが形成される』という箇所でしょう。つまり、継続性を持ちえるための真の目的設定とは 【自らの意志で決意したコミットメント】ですから、これを第三者が自立支援する場合には相手に「これは自分自身が判断したことである」と感じてもらう事が重要とされるのですね。だからこそ、自らの意志でコミットメントしてもらうためにポートフォリオが重要となってくるのでしょうが・・つまり、ポートフォリオとは『安全資産と危険資産の最適保有率を、リスクマネージメント的に考慮する手法』ですから、この安全資産とは・・現状維持であって、従来から続く事象の保全にあたりますし、危険資産とは・・まさしく新しい事であり、以前とは異なる行いに挑戦していくことを指します。そして、以前に申し上げた通り、Risk management とは・・不測の損害を最小の費用で効果的に処理するための手法なので、これらをまとめますと【現状維持と新しい事とのバランスをとりながら 効果的に人生を送る】ことこそが、個人においてのコミットメント&ポートフォリオと成りえ、そのどちらが欠けても現実適応は困難を要するように思われるのです。

しかし、たまたま戦後からの数十年間「預金は勝手に増えていく。給料は年々増加する。土地は勝手に値上がりする。インフラ上昇で 借金はタダ同然になる」といった時代が続いてきたので、幸か不幸か 世間のスタンダードは安全資産を維持することだけに偏ってしまいました。でも 現代はどうでしょう? 預金は増えないどころか、給料は年々減少し、年金も健康保険も破綻寸前で、土地の価格は下がり、デフレで国や個人の借金はいっこうに減っていきません。どの職も産業も長続きせず、数年後には存在するかどうかさえも危うくなってきています。したがって、今後はこれまで不要だった ポートフォリオやコミットメントがどうしても必要になってくるはずなのですね。

ゆえに、これまでは受け身で良かった。しかし、ここからは能動的でなければ生活が成り立たない!ということになりますが、いったい何を現状維持し、どこを変えていけばよいのか? そういった選択と集中。自発的な自己啓蒙のやり方について、日々のあり方そのものを検証していくための指針として、ポートフォリオとコミットメントを活用するのも有意義なことではないでしょうか。


スティーブ・ジョブズ氏のスピーチ〜スタンフォード大学にて

2013年01月19日 | 日記

2005年にスタンフォー ド大学の卒業式で語られた スティーブ・ジョブズ氏のスピーチには興味深い教訓が満載。その骨子は以下の3点ですが、改めて検証してみたいと思います。

Connecting the dots
「点と点とのつながりはあらかじめ予測できません。あとで振り返って、それらのつながりに気づくのです。だから、今やっていることがどこかにつながると信じてください。何かを信じてください。あなたの根性・運命など、それは何でもかまいません。点がどこかにつながると信じていれば、たとえ他の人とちがう道を行ったとしても自信を持って歩んでいけるからです。この手法が私を裏切ったことは一度もないし、私の人生に大きな違いをもたらしてもくれました。」

未来は点でしか予測できません。あらかじめ予測できる“つながった線形の未来“なんてどこにもないのでしょう。だから描いた未来予測が正解かどうかは、後で振り返って検証するしか術がないように思います。人は堅実だからと【他と同じ道を歩みたがります】しかし、じつはそれさえも【実際には存在しない未来】です。どう考えようと、何を選ぼうと、どうせ未来が不確定ならば「君が描いた点が美しくつながる未来を信じて 人生を楽しむべきだ」と、ジョブズ氏は呼びかけてるような気がします。

Love and Loss
「私は自分の始めた会社を首になりました。しかし自分の仕事をまだ好きだったのです。追い出されはしたが、まだ愛していたのです。いま思うとAppleからの追放は人生最良の出来事でした。結果的に成功者としてのプレッシャーを、初心者の気軽さに変えてくれたからです。自信は失いましたが、同時に最もクリエィティブな時期を私に与えてくれました。この時期にNextとPixarを立ち上げ、将来の妻にも出会いました。のちにAppleはNextを買収。その技術はAppleの再建に寄与していきます。私がAppleにずっといたなら、これは起こらなかったことでしょう。とても苦しい処方箋でしたが、私にはこの出来事が必要だったように思います。どんな困難に出会っても自分だけは見失わないよう。あなたも愛することを見つけましょう。 それが恋愛でも仕事でも。自分の仕事が最高だと思いましょう。まだ見つかっていないなら探し続けましょう。愛すべきものが見つかった時はピンときます。なぜならあなたはそれをわかっているからです。」 

「失う」という想いはプレッシャーしか生み出しません。何かに固執してきた人物が、すべてを失った後に成功するケースが多くみられるのも【失うという想いから解放されて】そこにリラックスが生じたからでしょう。集中とはリラックスの中にある! ジョブズ氏が示す Lossとは喪失、プレッシャー、義務感。つまり恐怖や不安かもしれません。これに対して、Loveとは感性を指すように思います。人生をジョブズ氏が推奨する“自分本位にさえ思える”あふれる感性にまかせた時、あらゆる出来事は豊さへとその色あいを変えるのではないでしょうか。

death - Stay hungry Stay foolish
「毎日を人生最後の日だと思って生きよう。いつか本当にそうなる日が来る。私は毎日 鏡の中の自分に問いかけます。今日が最後の日だとしたらどうするか? それが何日もNoなら、何かを変える時なのです。間もなく死ぬことを覚えておくのは、私が知る限り、人生の重要な決断を助けてくれる 最も重要な道具に思えます。なぜなら、ほとんどすべてのこと・・・つまり、他人からの期待やあらゆる種類のプライド、恥や失敗に対するさまざまな恐れ、これらは死を前にしては消えてしまい、真に重要なことしか残らないからです。あなたは初めから裸なんです。失うものは初めから何もありません。」

死生観とは まさしく哲学の神髄。美しさとは自然の中にあるもの。もちろん変わらぬ自然なんてどこにもありません。期待・プライド・恥・失敗などは すべて恐れに属するものです。ゆえに真に重要なのは、恐れが何であるかを知ること。やがてくる死は誰にとっても事実だし、哲学的解釈では 自己の存在以外に事実はありません。つまり、上記の【自己の存在(生)と自己の喪失(死)】だけが、この世にある唯一確かなことのように思われます。




他人の人生を生きて、時間を無駄にしてはいけない。
きわめてシンプルに表現すれば・・・彼が伝えたかったのは、まさしく自己と現実における関係性だったのかもしれません。人生を楽しみたいなら、是非ともリアリストになるべき。夢想家は、他人の人生を生きますが、現実主義者は自分の人生を生きようとします。つまり、他人や社会の置いた“点“に准じて生きるのか? 自らが信じて自らの手で置いた“点”に則して生きるのか?の違いでしょう。自らの感性に則して生きることを、彼は 『感性=Love』 と表現しています。そしてまた、そういった感性は ときには『Loss=喪失感』 によっても生み出されると。この喪失感の最大のものが死であり、それを受け入れる事こそが感性を磨く最良の術だと。もし毎日を “人生最後の日” と感じて生きるなら、人は時間を無駄に過ごすだろうか? 自身の人生を他や社会に委ねたりするだろうか? その答えがNoだったなら 「あなたはあたかも・・・人生の時間が永遠であるような錯覚の中を生きてることになりはしないか?」 彼は学生たちにそう問いかけているような気がします。


デザインの意味と重要性

2013年01月15日 | 日記

設計図がない建物ってたてられるでしょうか? ちょっと難しい気がしますよね。同じように 設計図がない企業や人生はどうでしょう? 臨機応変といえば聞こえはよいですが、これもちょっと・・という感じですね。もちろん 建築以外にも保険業界などで人生設計(ライフプラン)はたいへん重要視されてますが、このライフプランが会社や企業になると、事業計画(ビジネスプラン)へと名称が変わるわけです。

しかし 本当に設計って最も大切なんでしょうか? むしろ 設計する前のほうが肝心では?なんて思ったりもしますが・・そういった設計の前にくるのがデザインなんです。

たとえば、お家を新築される場合【建築プランを規定の設計重視で決めてしまう】とワンパターンになりがちでしょう。これは人生設計や事業計画においても同様のことが言える気がしませんか。なぜなら “最初に設計ありき! では何事もありきたりにならざるを得ない” からです。よって従来のパターンを打破するには、必ず斬新なデザインが必要になってきます。

具体的に申し上げれば、デザインが斬新だったら できあがった住宅も斬新になります。その反対に設計そのものが斬新だったら、かならず構造上の問題が出てしまうのは請け合い。だから、デザイン先行で これを設計に反映できるかどうか? が肝心で、設計を決めて置いて これを後からいじると制限が生まれたり、その構造物自体に欠陥が出てしまう。このように、建築においては無理な設計変更が役には立たないとわかっていても、それがこと人生設計においては、まさに上記と同じような考え方に陥りがちかもしれません。

では 設計とデザインって どこが異なるのか? それは部分と全体の違い。もちろんトータルデザインなんて殊更に言わなくても、デザインがトータルなのは当たり前のこと。だからデザインは全体のバランスを基準に成されます。またバランスとは違和感の有無で判断されるものでもあるでしょう。しかし、設計はどうか? あちこち つじつまをあわせて修正されるものですから、きっと それでは違和感だらけになるのも仕方ないのではありませんか?

にもかかわらず、誰もが人生のつじつまをあわせがち。簡素に申し上げれば、違和感とは矛盾。つまり、あちこちいじって、無理やりつじつまあわせをしていても、矛盾のみが新しく生じるだけであって、いつまでたってもスッキリしないように・・人生もビジネスも設計変更では何も変わらないどころか、いじればいじるほど違和感の塊になるのも当然に思われます。

だったら、頭の中だけでもリセットして、まさしく一度ゼロベースで再構築し直したほうが合理的では? それが ライフデザインへの最初の一歩。つぎはぎだらけの人生をスッキリさせるには、ほころびがきたものをリフォームするのはあきらめて、新しくデザインされた 時代にマッチした装いへ着替えることこそが肝要になるわけです。

 


やがてくる ティピング・ポイント

2013年01月12日 | 日記

流行のプロセスを見ていると、どんな物事にも『ある一定の値を越すと一気に全体にいきわたる』そんな状態が顕著に表れていますが、この一気に全体に波及する分岐点をティッピングポイント(沸点)と呼ぶのですね。米国は 70年代までの「ものづくり」から90年代の「金融」ヘ。そして リーマンショックを経て、現在は「イノベーション産業の鼓舞」へと舵を切りましたが、このイノベーションへの国を挙げての喚起が ティッピングポイントの到来そのものを加速させる要因にもなってるような気がしますよ。

先頃、米Appleは【リキッドメタル合金】を開発した企業の買収へ踏み切ると同時に、ジルコニウム、チタン、銅、ニッケル、ベリリウムという5つの要素から出来たLiquidmetal Technologiesの非晶質金属合金(リキッドメタル合金)の利用について、家電製品分野での独占的利用権利をAppleへ与える契約を結びました。このLiquidmetal Technologiesが所持するリキッドメタル合金は、加熱すればプラスチックのように容易に加工でき、冷却速度が遅いので、なんと厚さ10分の1ミリ超の構造を形成することも可能にしています。しかもそれほど加工が容易であるにも関わらず、ステンレスより3倍も高い硬度も持っているそうですよ。

これまでAppleは、酸化皮膜処理したアルミニウムを製品に使い、本体強度とデザインを確保するために1枚のアルミ板を削りだしたボディ形成を行っていましたが、それは同時に 1枚の板から削りだしてボディを作ることになるわけですから、これは削りカスが大量に発生して捨てる原料が多くなるということでもありました。つまり、捨てる原料が多いという事はコストにも跳ね返りますし、地球環境的にも良い事ではありません。今後、Apple製品の製造にリキッドメタル合金が利用される事で金型に流し込むだけで、1枚の板から削りだして作るボディと同等以上の強度とデザインが創出できるようになれば、大幅なコスト削減が望め、価格的にも性能的にも、アジアの製品よりたいへん大きなアドバンテージを得るようになるでしょう。

この記事が公になった当時、メディアは 次期 iPhoneは、薄くて頑強で よりデザイン性に富んだものになると書きたてました。しかし、Appleがその後 “米国特許庁” に申請した内容は、そんな世間の予想を遥かに超えた驚愕に値するものだったのです。アップルが取得した第7862957号の新特許によりますと、注目のリキッドメタル合金は燃料電池の製造に活用されると明記され、水素でクリーンなエネルギーを生み出すとうたわれています。これは理論上、その新電池が搭載されたiPhoneやiPadは、フル充電状態から最低30日間はチャージ不要な超ロングバッテリーを実現するということでもあるのですが・・もしこれが市場に出回れば 世界のエネルギー事情も一変することになるでしょう。

このように、技術革新は 産業の再編成だけでなく、国や経済のあり方まで【そのたったひとつの技術】で一変させてしまう力を有してるわけで・・余談ですが、他にもAppleは、このリキッドメタル合金によってナノレベルのコーティングを施すとの特許申請もしています。要するにこれは、たとえば従来の防水加工サービスでは実現出来なかった生活防水レベル以上の効果が得られることを示し、製品内部にも防水加工ができることを表します。将来は 深海の撮影にも カメラではなく iPhoneが使われる。そんな時代がやってくるのかもしれません。

さらに Appleは以下のような特許申請もしています。●スクリーン上に触感を再現 する ”触感フィードバック” これは タッチパネルなどのディスプレイを指で触ったときに、そのパネルに映し出されている物体の表面をあたかも触っているような触覚を提供する技術です。●効果音が振動などの触感でも伝わる“4D体感” これによって、触感が音や映像の一部になったような感覚を受けることでしょう。つまり、視覚障害者もボタンやキークリック、スライドバーなどを、触感を確かめながら操作することが可能になるわけですね。上記の技術は、将来的には・・・たとえば オンラインショッピングで服を購入する際に、商品の肌触りや質感などをタッチパネルで確認して、実際にお店で買う時と同様の感じが味わえることを示しているのかもしれません。

ここからわかることは、GoogleやAppleが目指す未来が バーチャルリアリティー。つまり、人間工学の粋であり、大規模インフラの消滅であるのは明らかで、人が移動しなくても、その場で体感的にリゾート地を味わえたり、大きな発電所を作らなくても家庭で電気が効果的に蓄えられるようになったり、自分で車を運転しなくても勝手に目的地に着いたりするようになれば、もはや社会インフラそのものが不要になるということを指し示します。したがって、彼らイノベーターが目指すのは、国や地域・資源・大企業といった すべての川上経済の不要化であり、私たち個人という川下が、そこで自己完結し、あらゆるインフラ資源を循環サイクルできる!といった世の中なのは間違いありません。

しかるにイノベーションとは個人。もしくは個人の集団というイノベーション企業が起こすものであり、その“個人による変化が促される時期“には、反対に 団体が疲弊する事態がどうしても起きてしまう。要するに、変える側の個人と変えられる側の集団には、かならず時間差があり・・そうなると当然、変化の時期には、革新的な個人が富み、保守的な団体は疲弊する状況が生まれてくるというわけです。従って 現在は『新たな産業革命の夜明け前』であって、全体がその革新の恩恵をこうむるのは、もっと先であると言えるような気がします。

だから問題は・・後に来る 新たな産業革命のインフラが全体に行き渡って、世間が安定するまでの期間を、私たちがどのように乗り切っていくのか? ではないでしょうか。変化が完成するまでには必ず混沌の時代が訪れます。こういった流れを現実として捉える! そんな姿勢こそが重要で【現実逃避】とは、未来を直視しない事と同じ意味になるでしょう。ティッピングポイントが到来すれば『先んじて行動することではなく、何もせず ただその時期を迎えることこそが真のリスクになる』のかもしれません。


科学(science)と工学(Engineering)について

2013年01月05日 | 日記

科学(science)とは・・一定の目的のもとに種々の事象を研究する認識活動。または、その成果としての体系的知識であり、その研究の対象・方法によって、自然科学・社会科学・人文科学へ分類されます。一般に哲学・宗教・芸術とは区別して用いられ、広義には学問、狭義では自然科学のことを指します。

ここで重要なのは、目的がなければ科学ではない!という事。そして、そこに成果がなければ、これも科学ではない!という点でしょう。つまり「何のために?」が明確に提示され、なおかつ「その目的に向けての成果がみられない」のなら それは科学ではないということになります。

また 工学(Engineering)とは・・基礎科学を工業生産に応用するための学問で、機械工学・土木工学・電子工学などのほかに、人間工学など、その研究方法を援用した【自然科学以外の分野のもの】を指しますが、他には科学知識を応用して、大規模に物品を生産するための方法を研究する学問としても捉えられ、ある物を作り出したり、ある事を実現させたりする方法・システムなどを研究する学問の総称としても用いられます。

つまり【工学とは自然科学以外の科学】であり、これは社会科学や人文科学に准じて駆使されるものなのですが・・よって 工学とは過去から踏襲された 従来の基礎科学の活用を意味します。要するに 現代人の言動や思想は、ほとんどが この工学を目的として行われていることになりますが、真の教育においては この工学の意味も広義ではなく、狭義で追及していくことが必要でしょう。それは従来の目的を『自然科学を排除した工学』におくのではなく 『自然科学から派生する工学応用』へ置く事に尽きるように思われます。これは工学の使用用途を工業生産の効率化や収益におくのではなく、個人や社会の未来へと転換し、それらを達成するために工学を用いる!といった方向へ変化することに他なりません。したがって 工学とは本来、新しい目的と成果のために用いるものであって、個人や団体の利益に利用するとした その動機自体が間違っているかもしれないということなのです。

たとえば、自動車を その従来からの使用用途に限定して、ただ効率化だけを目算したとしましょう。すると、その工学用途は当然、製造会社の利益に合致したものとなり、結果的に自動車という製品が新しい社会インフラへ発展する目さえ積んでしまうことになりかねません。つまり、この事態は、既存の巨大自動車メーカー(現在 最も効率化が図られている大企業)の既得権益保護につながり、結果として 異業種の業界参入を阻む事態を生じさせる現況ともなるわけです。したがって、もしアントレプレナー的に新規事業を考えるのであれば、この広義の工学概念を壊すところから始めねばならないでしょう。すなわち これは自動車という既存インフラを、従来とは異なる視点でとらえ直すことを指しています。

こういったことはグーグルが開発した 無人自動車などにもよく表されていますが、この概念を家電に応用すれば グーグルメガネに。流通になれば 3Dプリンター。工業生産となれば ロボット開発になってくるわけで・・これらの工学に対する概念変化は デファクト・スタンダードを生み出すことにも関連してくるでしょう。

上記の例は、すべて科学から工学へ! を定義している。つまり上記は 新たに設定した任意の目的と成果(科学)から、それらを実際に世に送り出すための工学へと進化させようと試みてきた典型例と感じるのですね。よって 個人の生活を改善したい人にとって 今後必要な概念は、自然科学への深い造詣であって、真の意味でのサイエンスに基づく 正しい工学認識となるかもしれませんが、これは同時に、科学という第一義の認識がなければ、工学にも意味を持たせられない!という 本来の趣旨に基づく観念にも思われます。

目的と成果をあげるには、まず 既存の社会科学と人文科学を頭から排除し、一切の倫理観と美学を消し去るところから始めねばならないかもしれません。ゼロベースシンキングを行うには科学に准じた生活習慣が不可欠。それは自らの未来地図を目的とし、ここへ向けての成果を求めていく。まさしく進化・向上・発展といった 人間本来の自然な行いによって成されるような気がします。


MBA用語から考える 今後取るべき最良の方策

2012年12月16日 | 日記

今後、私たちが取るべき最良の方策を MBA用語を参考にして、経営的側面から考えてみることにいたしましょう。※以下の文章は「MBA経営辞書」から引用

まずは・・未来は今の延長ではありませんから、当然 自分自身も今のままでは未来を見誤ってしまいますよね。では、その自分とは何でしょう? これを経済用語では【mind set】教育・経験・先入観などから形成される 思考様式および心理状態。暗黙の了解事項、価値観、信念、思い込みなど。と呼びます。ならぱ、未来を紐解くには、この mind set を変えるための指針を新たに設定しなければなりませんが・・それが【roll model】具体的な行動技術や行動事例を模倣・学習すべき対象となる優れた人材。になります。

しかし、その際にはあらかじめ【contingency plan】起こりうる不測の事態、特に最悪の事態を想定して立てる計画、対処法。が規定されていて、なおかつ【best practice】ある結果を得るのに最も効率のよい技法、手法、プロセス、活動。最善慣行。が予測できていなければなりません。つまり、しっかりした【risk management】不測の損害を最小の費用で効果的に処理するための経営管理手法。が立てられていなければ、何を目指してどうしていくのかも明確にはならないわけです。

とかく世間は【economy of scope】何らかの経営資源を持つ企業が、その強みを生かして そういった経営資源を他にも共有できるような事業を構築できれば、より経営の効率化が図れる。と思いがちですが、いくら【supply chain】ある製品の原材料が生産されてから、最終消費者に届くまでのプロセス。にばかり気を配っても、時代のインフラそのものが技術革新によって根底から覆ってしまったら、すべては無駄になってしまうでしょう。就職面接のみならず、何かをプレゼンテーションする場合にも、人は【value chain】事業活動のどの部分で付加価値が生み出されるか?自社の強みと弱みの分析。を訴えがちですが、それはあくまで現時点での話であり、あまり将来の可能性については言及しないケースがほとんどかもしれません。

よって そういった思い込みを払拭する方法として、しばしば【KJ editor(KJ法)】問題解決のアイディアを出す手法。ブレーン・ストーミングで出された事象を1つずつ書き出し、グルーピングにより、さらに小さなグループにまとめて、それらを中グループ、大グループに分類し、様々な関連する事象を組み立てて図解化していく。これによって、課題に対する解決策やヒントのきっかけを生み出しながら、周辺情報を幅広く収集して、解決すべき問題の正体を明確にしていくことが目的。が用いられますが、スタンフォードのアントレプレナー講座などではディスカッション時に【So what?】情報に対してメッセージを抽出する際に使う。【So why?】相手に考える力や考える習慣を身につけさせる。【True?】主張の根拠となっている事柄が事実かどうかを確認するために投げかける。に留意しながら、つねに【zero base thinking】既存の枠組みにとらわれずに考える事。が求められます。

市場からみれば、私たちはつねに 何らかの【segment】市場の中で共通のニーズを持ち、製品の価値づけ・使用方法・購買に至るプロセスが同じで、購買行動において似通っている顧客層の集団。に分けられていて、単一的な【issue】「論点」「課題」「問題」などを集約し、その場で何を考え、論じるべきか決める。しか持ちえないとされています。

そこで、それらの思い込みやワンパターンな言動を払拭するために【decision tree】ディシジョン・ツリーとは・・とりうる選択肢や起こりうるシナリオを樹形図の形で洗い出し、それぞれの選択肢の期待値を比較検討した上で、実際にとるべき選択肢を決定していく手法。ここでは、まず【誰が意思決定者か?】を確認した上で、意思決定者にどのような選択肢やアイデアがあるかをリストアップすることが重要。次に、それぞれの選択肢における「起こりうる不確定要素」をすべて列挙し、そのリストアップされた事象それぞれについて、それらが起こりうる確率とリターンを求めていく。こういった確率試算を行う際のリターンでは、その成果を金銭に換算して定量化し、ある選択肢内の合計確立をなるべく目標の100%になるよう近づけていくことが望ましいとされ、このような作業を経て、起こりうるシナリオを可視化し、ツリー全体に不備がないことを確認した上で、最終的に 各選択肢の期待値の計算を行い、それに基づいて意思決定を行っていくのである。

ただ 実務で ディシジョン・ツリーを用いる場合に難しいのは、本来 不確実であるリターンの額や、その発生確率を定量化するというところにある。そのため、ディシジョン・ツリーを直接的に意思決定へ応用しているのは、製薬や石油発掘など、リターンや発生確率を比較的推定しやすい業界に限られ、ほかには金融工学の考え方を応用した リアル・オプションのプロジェクト評価でも応用されるケースが見受けられる。を活用していくのですが、ここで新たな問題が持ちあがってきますよね。

それは、いくら上記のような経営上の複雑な分析を駆使したとしても、成果が100%にはならないというところでしょう。ですから、私たちはむしろ原点に立ち返って考えていくべきなんです。つまり mind setを行うために roll modelをいかに選択し、それらをどのように活用するか? を再度、認識し直すということです。物事はいつも「そもそも論」にこそ答えがあるような気がしてなりません。次の章では この“そもそも”という視点から、mind setやroll modelをとらえなおしてみたいと思います。 


まじかに迫る 人工知能の実用化

2012年12月05日 | 日記

これまで未来を指し示す出来事や 将来を考える上でヒントとなりそうなことをいくつか述べてきましたが、もうひとつ「人工知能の実用化はもうすぐ」という興味深いニュースをご紹介しましょう。

1997年に IBMのコンピューター「ディープ・ブルー」が、チェスの世界チャンピオンに勝利した時、識者たちは「チェスはたんなる論理ゲームにすぎないから この勝利は驚くべきことではない」との論評を繰り返していました。当時は “コンピューターに比喩やユーモアなど人間が持つ機微を習得する“ なんてできっこないと思われていたのですが、2011年に IBMが生み出した新型コンピューター「ワトソン」は、こうした課題を見事に克服し、まさしく人間の機微そのものを再現してしまったのですね。その実力は、米人気クイズ番組「ジョパディ!」で勝利した事からも窺い知れるでしょう。

『技術の進歩を見事に言い当ててきた人物』として世界的に知られる 発明家で未来学者のレイ・カーツワイル氏は、新著「How to Create a Mind(知性の作り方)」の中で、人間の脳を完全に解明して 人工知能を作り出せる時代は、多くの人が予想してるよりも、はるかに近いだろうと述べています。これまで「人間の脳はあまりにも入り組んでいるため、理論的に理解するのはほぼ不可能」と考えられてきましたが、最先端技術は【人間の脳は未来を描くことで初めて機能する集合体である】と もはや解明してしまった!と伝えているのです。

この仕組みは、我々が【視覚イメージの断片を組み立てる際に行っているシステム】で説明できるそうで・・私たちが視覚イメージを組み立てる時「受け取った外部情報は最初、基本的なパターン認識機能から取り入れられ、瞬時に高次の抽象認識へと統合されます」が、その後、この高次の抽象認識は 再度パターン認識に下りてくるのです。重要なのは、この“再度 高次の抽象認識からパターン認識に下りてくるとき” で【もし その再度下りてくる過程で 従来の視覚イメージに欠けている部分や既存認識とは異なる部分があった場合】には、本来 全体に修正をかけて再認識するのが普通でしょうが、人間は そういう間違いについても【事前にパターン予測した結果しか導き出さないように出来ている】のだそうですよ。

つまり、私たちは わからない事であろうが知らない事であろうが、それらを事前に自分勝手に予測した上で “つねにアバウトで間違った集約“ をしてしまう!というわけなんですが、ゆえに たとえ導き出した結論がまるで整合性のないものだったとしても、あらゆる事象を “自分が知っているつもりの簡素な結論へと【パターン認識しながら】すべてをステレオ・タイプにしてしまう” それが人間であるということなのです。

この『普通にしてると必ず陥ってしまう“脳の誤作動”』というジレンマに対して、カーツワイル氏は「驚き」という処方箋を提示しています。人は 自身のこれまでのパターンでは測れない事象を目の当たりにした場合、当然 驚きを感じますよね。まさに その驚きという感情そのものが、再度 脳の高次の階層を働かせるカギだとしているわけです。要するに、つねに新鮮な変化を求めて驚いていないと 脳は退化していき、その結果として あらゆることを以前のパターンに押し込めて認識してしまい、やがては その本来の機能を失ってしまう。ここで明確にしておくべきは、これらが、もはや いい加減な未知の理論ではなく、すでに最先端科学で立証された 歴然とした事実であり、すでに実用化されつつある技術であるというところでしょう。

私たちがそういった未来予測に基づいて思考しているならば、人工知能にも そういった機能を持たせれば実用化できる。そして、その際に新鮮さや驚きを感じられるようにすれば、誤作動は防げるかもしれないのです。私たちも未来を考える際には、新鮮な驚きや興味をもって望むべきかもしれません。従来の延長に押し込めることなく、未来には 今とはまったく違う自分の姿を描いてみるのも大切なことではないでしょうか。なぜなら、今のままの自分や現在の延長線上の環境に驚きなんて感じられるはずがないのですから。


自らを合理化から刷新へと導くために

2012年11月19日 | 日記

私たちは「今後の活動の元になるのは、これまでの積み重ね」と考えがち。つまり【過去に習得してきた ある種の知識や技術こそが自分の強み】だから、それらをつねに生かすべきだ!と感じてるわけですが、こういった思いを 経済論に置き換えてみると、まさしく economy of scope そのものになるでしょう。

economy of scopeとは『何らかの経営資源を持つ企業が、その強みを生かして そういった経営資源を他にも共有できるような事業を構築できれば、より経営の効率化が図れる』とした経済理論です。たとえばの例を挙げれば、乳酸菌を売りにする企業が、それを飲料へ活用するだけでなく、健康食品や化粧品にも応用できれば さらに利益があがる!といったものになるでしょう。

つまり 私たちは 人生における supply chain(ある製品の原材料が生産されてから 最終消費者に届くまでのプロセス)を合理化して無駄を省きながら 自らのvalue chain(事業活動のどの部分で付加価値が生み出されるか? 自社の強みと弱みの分析など)を模索し続けてるのが実態なのですが・・就職活動でも これまでの学業的な知識から派生したものをさらに伸ばそうと努力したり、それらの過程を合理化しようとしますし、面接の場では 自身の付加価値(どこの学校を出て、クラブ活動はこんなのをして 特技や趣味は何か?)と、他との比較(自分には こんなにやる気があるとか、情熱なら負けないといったこと)を訴えたりしますよね。けれど、それでは成果が上がらず、結果的に 他とあまり遜色ない自分にしかなれないのはご承知の通りでしょう。

よって成果を挙げたいなら、むしろ大胆に視点を変えてみるべきではないでしょうか。例えば「是非あんなふうになってみたい」そんな roll model(具体的な行動技術や行動事例が模倣・学習すべき対象となりうる優れた人材)を任意に選択して、自らをそこにあわせて mind set(教育・経験・先入観などから形成される 思考様式および心理状態。または 暗黙の了解事項、価値観、信念、思い込みなど)を再構築していくような多様性を身につけることさえできたなら、いつでも自分自身もリニューアル可能になると思うのですね。

もはや『economy of scope・supply chain・value chain』などの創出が通用しない時代になってきたのは、これらを頑なに追求し続けてきた 日本の家電メーカーの衰退が如実に証明済みではないでしょうか。実際、彼らは時代のroll modelを見誤り、mind setの一新を行ってこなかったように感じられます。要するに、これらの企業は、最初に申し上げたように「これまで積み重ねてきた経験こそが 今後の活動の原資になる」といった考えを頑なに堅持したために 未来が見えなくなっていた! という事でしょう。

だからこそ、これからは自分だけを見ていてはいけないのでは?【自らの常識を変えるために過去ではなく未来を見なければなりません】自身のmind setをつねに刷新していくために・・そしてまた 来たるべき未来へ適合すべく、それに適したroll modelを選択しながら、あらゆる多様化をはかっていく! そんな姿勢が求められるような気がします。もし roll modelを GoogleやAppleに置かれるなら、彼らのmind setは、de facto standard(デファクト・スタンダード)とか、Think different(シンク・ディファレント)といったものになるかもしれません。革新を生み出すなら、まず自らの中へ。そのためには、これまでの経験を一度 横においてみる!そんなことが必要な時代なのかもしれません。


ライフプラン作成のためのリスクマネジメント

2012年11月08日 | 日記

経営の現場では リスクマネジメント(risk management)という言葉が良く使われます。この考え方を なんとか一般生活へ応用できないものでしょうか?

リスク・マネジメントとは【不測の損害を最小の費用で効果的に処理するための経営管理手法】これを個人に置き換えた場合、企業経営との最も大きな相違は、それが組織ではないという点に尽きます。つまり、大勢で行う事業なら不測の事態が起こるのも仕方ないけれど、個人なら それらはあらかじめ十分把握可能となりえる。当たり前の話ですが、多人数の組織体であれば、それだけ混沌は生まれやすく、個人では そういった要素が少ない分だけ、より管理・把握がしやすいはずですよね。その際に参考となるのが、contingency plan と best practice の概念ではないでしょうか。

contingency plan - コンティンジェンシー・プランとは、起こりうる不測の事態、特に最悪の事態を想定して立てる計画・対処法です。これは、極端な経済要因の変動や法的要因の変化、技術変化、国際紛争、新しい競合企業の登場、極度の売り上げ不振などから派生する事態をあらかじめ予測しておくことから始まりますが、いずれも、その状況に陥ってから対応し始めるのでは既に遅い。よって「どれだけ最初から織り込み済みにしておくか」が重要になってくるでしょう。

best practice - ベストプラクティスとは、ある結果を得るのに最も効率のよい技法・手法・プロセス・活動などのことで、最善慣行、最良慣行とも訳されます。これは「仕事を行う際には、即座に思いつく方法以外に、さらに効率のよい技法、手法などがあるとつねに考えておく」という経済指針であり、物事に対して、適切なプロセスを確立して チェックと検証を怠らなければ、問題の発生や予期しない複雑さを低減させて望ましい結果は得られるはずなので、いつもその都度 最善を再構築していく姿勢が大切だと示してるわけなんです。

しかし ここで気をつけなくてはいけないのは「それらの対処法はありきたりではない」という点ですが、歴史を見れば その最良の方法として【業界標準を受け入れなかった人々の成功例】を多数あげる事ができますよ。産業革命以来の様々な大きな技術革新は この事実を如実に証明してますが・・たとえば これは自動車が発明された後も、馬を最良の交通手段とする人は少ない事。走り高跳びにおいて 背面飛びのほうが記録は向上するのに、あえて従来の飛び方へ固執する選手がいない事などと同じなんですね。したがって、本来のリスクマネージメントとは「他の人たちはどうしているか?」ではなく「何が可能か?」でなければならない。要するに、今の既存の対処方法は リスクマネージメントにはつながらなということであり、むしろ そんなケース・スタディ学習を繰り返すより、未来を目算した上で その未来において何が可能か?を考えるほうが有益になるということなんです。

だから 最良の技法・手法・プロセス・活動とは【未来世界を想像し、何が可能か?にしたがって創造する行為】であり、また 個人の活動においては、そういった【時代の流れによって変化する当たり前の事を的確に把握して いかに不測の事態を少なくしていくか】が大切になってくる次第で・・このように ライフプランとは ライフデザインであって、視点を 現在から未来へ転換するところから始まるものとも考えられますが・・

おそらく こういった認識の変化なくしては きっと何もわからなくなってしまうに違いありません。なぜなら、それでは成果をあげることができないから。成果があがらなければ、その過程が正しいかどうかの検証もできませんので、判断の基準さえなくしてしまうことになる。すなわち もし、あなたが今にこだわって 今あるものから答えを探すなら、それは『何もわからなくなる』そんな事態を招くことにもつながってしまうわけです。 

人は自身の既存ベースに何かを積み上げるのに一生懸命ですから「もしかしたら 最初の段階で間違っているのでは?」なんて想像しにくいのかもしれません。けれど、思考には初めから枠がある。その枠を変えていかないかぎり、何を見ても何をしても そこから得られるものも限定されてしまうでしょう。もし あなたが、そんな枠の中にいらっしゃるのなら、視点を【現在・既存】から【未来・未知】へ変化させるだけで その枠は自然に打破できるのではないでしょうか。このように、経済とは社会のあり方そのものですから、個人の生活や考え方にも十分応用できるもの。ならば、これを使わない手はないと思われます。


未来へ向かって生きる私たちだから

2012年10月28日 | 日記

未来へ向かって生きる私たちだからこそ・・グランドデザイン【grand design】に基づいた ライフデザイン【life design】が重要になってきます。つまり 結婚や子育て・お仕事・暮らし・老後などの個人的な事象についても、私たち一人ひとりが「長期にわたる大規模な社会全体の未来像」に従った「独自の人生計画を立ててゆかなければならない」ということですが・・

しかしこれまで こういったライフプランについては、たいてい他人まかせで、政治や行政・経済人にメディア、はたまた保険会社の方など、いつも第三者に設計してもらってきたのが常ではないでしょうか。でも ここで留意すべきは、彼らの提案には まず間違いなく“何かしらのバイアス”がかかっているという点かもしれません。

つまり、政治家なら選挙。経済人なら自社の利益。メディアなら広告主。保険会社なら営業マンの成績。というふうに“そこには必ず彼らの利益が盛り込まれている”ので、他人まかせにする行為はすなわち「私たちの益ではなく 提示した側の益を優先させる」ということにもなりかねません。もちろん こういった事には 私たちも薄々感づいてるのでしょうが、だからこそ これまで私たちはいつも“そこそこマシな選択が賢い選択だと思い込んできた”節がある。でも選択って 本当にそれでよいのでしょうか? 

コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授は「選択にも方法がある」と【選択を科学】していらっしゃいますし、スタンフォード大学のティナ・シーリグさんは「ありふれたものに価値はない」と学生に【デファクト・スタンダードの創出】を求めて日々熱弁をふるっています。彼女たちの描く若者像は、自ら想像した未来を自らの手で創造するといったものであり、誰かの手で作られた未来を何も考えず ただ生きることではないとしています。

しかし「でも」と誰もが考えることでしょう。そういうのは優秀なアントレプレナーたちが習得すべきものであって、一般の人には関係ないと。もし そうだとしても・・前述したように、のちに成長したアントレプレナーたちが提示するものも「まさしく彼らの益に准じたもの」に違いはなく、それを享受する側の益とは成りえないのは同じ。要するに、自身の益は自分にしか作れない! それが現実ということになります。

では、他人まかせにせず 自身の力でライフプランを立てるためにはどうすべきか? それにはまず リスクに対する考え方を学ばねばならないでしょう。IMFのクリスティーヌ・ラガルドさんは「すべてを一度に手にすることはできないのだから、人生のどの時期に何を得るためにどんなことををするか? そういった優先順位を決めるべきだ」とおっしゃっていましたが、まさしく そのとおり。

つまり“人生設計とはトータルで描くものであり、全部を一度に得るために立てるものではない”と明確に自覚しておく。これがリスク・マネージメントの基本になると思われます。これは男性ならば「サラリーマンと経営者のスタンスを一度に叶えるには、出世して取締役になるしかない」と考えるだけでなく、一時期 サラリーマンをやって、その後 退職してから経営者になるといった道筋だってあると想像することだったり、それが女性なら「子育てと家事と仕事の両立ではなく、最初からすべてのバランスを目算して、それぞれの時期で重点を置くべき点を考慮したライフプランを立てておく」といった感じになるかもしれません。


すなわち、選択を単一的にして、その場の状況に応じ臨機応変に生活してるような“行き当たりばったり”はやめて、あらかじめ外枠の大きなガイドラインを設定したうえで、その中身をその都度 詳細化していけるような生き方を学ぶということになりますが、その際には当然「何ためにそうするのか? といった目的」を明確にしておく必要がありますし、同時に「その時期ごとに、どこへ重きをおき、何をしていくのか? という時間設定」も決めておくべきなのです。

もう気づきのように、上記の二点【目的と時間設定】がないと、すべてが その場しのぎの人生で終わってしまいかねません。なぜなら“はっきりしていないものには リスクの取りようさえない” したがって それでは自然発生的に すべてを一度に手にしようとしていることと何も変わらなくなってしまう。つまり“何も決めないことこそが最大のリスク”であり、きちんと自分の人生を自分で決めるために何を学ぶのか? が最も重要になってくるように思われます。

シーナ・アイエンガー/コロンビア大学 ビジネススクール教授。クリスティーヌ・ラガルド/フランスの政治家、弁護士。国際通貨基金(IMF)専務理事。ティナ・シーリグ/スタンフォード大学 アントレプレナーセンターのエクゼクティブディレクター。


2030年の世界

2012年10月20日 | 日記

今から18年前・・・1993~94年頃、携帯電話をお持ちの方は 全体のわずか4%にすぎませんでした。同じくパソコンやインターネットの普及率も、試算によると 当時は12%ほどだったとされています。しかし今はどうでしょう? ほとんどの方の生活の中へ これらは当たり前のように溶け込んでいます。

このように技術の進歩は「その時代には想像もできなかった暮らしぶり」を実現してくれますが、こういった変化は私たちにとって都合のよいものばかりとはかぎりません。ライフスタイルが変われば、当然 社会のニーズも変化する。その都度 仕事も含めたいろんなものが 根底から様変わりするのは避けられない。よって 私たちは「いつまでも このままではいられない」といった現実も見えてくるからです。

もし ずっと以前のままでいたいのなら、環境のほうが勝手に私たちを追い越していってしまうだけ。望むと望まざるとにかかわらず、私たちは過去ではなく 現在から未来へ向かって生きている。ならば 是非とも豊かな想像力を駆使して、来たるべき時代を歓迎しながら暮らしてゆきたいものです。

このように時代を捉えるなら、私たちのスタンスも二者卓越ですよね。環境より先んじて変わるか? それとも 環境に流されて変わるか?そんな迷える私たちのために、ダヴィンチ・インスティチュート代表で 未来学者のトーマス・フレイ(Thomas Frey)氏が重要な提言をされてますが、以下に 彼がトルコで行なった 衝撃的かつ興味深い「技術革新によって2030年までに、いま存在している仕事の50%が消えてしまう!」というスピーチから抜粋してご紹介いたしましょう。

技術の進歩は目覚しく、その影響はあらゆる分野に及んでいます。そして、技術革新によって多くの仕事が機械化・自動化されて、将来 人間の仕事はなくなっていくのです。2030年までに技術革新によって全ての仕事の50%が消滅します。以下に 社会の変化と「消える仕事」「新しい仕事」をまとめてみました。

●自動車産業 運転は 時間・エネルギー・お金の無駄です。また、自家用車の稼働率は現在も10%しかありません。しかも毎年500万人が交通事故で死傷しています。しかし “自動運転車” によって これら全てが解決します。未来では、自動運転車によって輸送技術が格段に進歩し、自動車の台数自体が減少します。すでに グーグルは自動運転自動車を開発しているのです。



●製造業 立体的なものを製造できる3Dプリンター技術の進歩によって、これまでのようなネジでとめたり溶接したり、塗装したりという仕事は不要となります。また、大企業にしか作れなかったものも、中小企業でも製造可能となり、あらゆるものが3Dプリンターで製作されるようになるでしょう。これは自動車や機械などは言うに及ばず、衣服などを扱う軽工業から建築などの建設業、あるいは食品産業といったあらゆる産業で応用可能です。また、この3Dプリンター技術によって「店で商品を選んで買う」という概念も消えさり、未来ではネットでボタンを押せば、工場で自動的にあなたのサイズにピッタリの製品が必要な数だけ作られて配送されてきます。そのため、ほとんどの製造業者と小売業者の仕事はなくなりますが、そのかわり製品の設計やデザインなどの需要が拡大するでしょう。



●ロボット 人間の労働を代替してくれる機械装置ロボットの分野では、日進月歩の開発が進み、より複雑でより多機能なロボットが多く生み出されています。それらは最終的に、人間の仕事の全てを行ってくれるようになるでしょう。高性能ロボットの開発によって、ほぼ全ての物理的な仕事をロボットが行うようになり、人間の仕事は精神的、知的なものだけに集中していきます。



●電力業界 現在の発電は、高価なうえに非効率で一方向へのエネルギー供給しか行えません。しかし2030年には、エネルギー供給源と消費施設をもつ 小規模なエネルギー・ネットワーク「マイクログリット」が普及することで大規模な火力発電所などは消えてしまうでしょう。「マイクログリット」でのエネルギー供給は分散型電源であり、太陽光発電、風力発電、バイオマス発電、コジェネレーションなどの組み合わせですから、発電会社や電力輸送網を維持・運営してきた会社の仕事はなくなります。

●学校教育 インターネット上にある教材で学習し、自力で勉強できるようになりますから学校はなくなります。このシステムが普及すれば、これまでのような画一的な授業は不要となり、体系化された学習システムを、生徒たちは教師ではなくコンピュータから学び、専門的で複雑な問題だけを専門の教師から習得するようになるでしょう。また、わざわざ高い授業料を払って学校に行かなくても、同じ内容を低価格で享受し、自分には必要のないくだらない授業を聞かなくてもよくなります。未来では、これまでのように一方的に教え込むような仕事はなくなり、学習する人間をサポートする仕事のみが必要となります。

これら以外にも新しい技術が生まれることで、より多くの仕事は消え、その代わりに新しい仕事も生まれてきます。このように あらゆる技術革新は、単純な仕事を真っ先に消し去ってしまうでしょう。しかし問題は、職を失う人の多くが これらの単純労働の従事者なので、今後は 労働の需要と供給をいかにして一致させるか?といったことが大きな課題となるに違いないという事。まさしく技術革新によって「人間の再定義」が迫られているのかもしれませんね。また、ここに挙げた多くの技術は【将来実現しそうなものではなく、すでに実現しているもの】であり、今後も研究されていけば、上記のような形になる可能性がきわめて高いのです。だから もっと未来と対話しましょう! 未来は人々の頭の中で形作られます。そして、まさに人々の対話の中で未来は交換されていくのです。そして、それらがより活発になれば 未来創造はそれだけ加速していくでしょう。もしかすると、一番変えるのが難しいのは人間の意識なのかもしれません。

いかがでしょう? これらが【すでにある技術】そして、その延長線上に ほとんどの仕事がなくなってしまうということ。現時点でも十分に想像できる“フィクションじゃない未来” があるわけですが、人の再定義とはいかに? 人間の意識を変えるのは困難なこと? いやいや逆に、じつは一番変えるのがたやすいのも人の意識といった解釈だって出来るのかもしれません。