Chan-de-lier(シャンデリア)のギタリストのBlog

挨拶は必要?不要?

2024年06月16日 20時54分00秒 | 日記
前々から書きたかった挨拶のお話。


少し前に、誰かが主張した挨拶は何も生まない、不要だ!という発言が炎上?したような気がしているところだ。


正直内容はくだらないのだが、結構みんな挨拶が好きなようなので、これについて何か言いたいと思った。

さて、挨拶は何も生まないし、利がない、というのは何気に同意な僕。



いやいや、気持ちいいだろう。した方が。




いや、まぁそれはそうなのだが、別にそれが物理的に何か利益とか成果に繋がるのならば合理的なのだが、

挨拶完璧な人間が仕事できなかったらそいつは出世させないだろう?


みたいな話だと思うのね。

まぁ、一部挨拶もできないやつは人間に問題がある、というレッテル張りはできるかもしれないが笑(意外とレッテル張りではないのかもしれない…)




で、じゃあ、挨拶は廃止した方がいいのか?という話になってくるのだが、


実はそういう部類の何となくした方がいいことって世の中にはいくらでもあると僕は考えているところで、

例えば、いただきますとかごちそうさまとかありがとうございますとかも何か物理的に利益に繋がるようなものではなくても、存在するわけ。

で、

おはようございます!

お疲れ様です!


っていうことが蕁麻疹が出て病気が出るほど嫌ならやらなくてもいいと思う笑




要は、そんなことをしたら僕は人生の敗北を感じる!死んでしまう!というほど嫌なのか?という話なのである。



話は逸れるかもしれないけれど、君が代歌うのが嫌だ!(調べてみてね)という人も場所を弁えれば主張してもいいと思うから。式典の妨害等をしなければね。




文化的に意味のないことはどんどん辞めるべきだー!!(占いとか縁起のいい日とか)っていうのは何となく僕は同意なのだけれど、どっちでもいいよね。となることが大事だと思うわけだ。


挨拶はしてもしなくてもいいよ。となることである。


挨拶は少なくとも集団の気持ちいいコミュニケーションの一部として定着してしまっているため、何となくしているところであるのはその通りなのだが、


おはようございます!

と言われて…



『…』

↑こういうのは頭おかしいと思うんだよね。(無理に自分の信念で嫌われに行かなくてもね)

これは、ちょっとしたコミュニケーションの中で気遣いとか簡単な言葉のキャッチボール等、そういったことが全くできないやつだ!と言われても仕方ないと思う苦笑


で、そういうプライドどうこういう面倒くせえやつは…

だいたい仕事できない問題児である。(これは偏見かもしれないけれど、言わせてもらいたい)


集団で生活する中では思想やプライドを時に包む必要もあるのだ。

私達は集団で生きていかないといけないからだ。




そんなに嫌ならひとりで会社立ち上げて思想展開すればいい。
会社のポリシーなら問題ないし。



そんな感じだね。


挨拶しなくてもいいけど、挨拶されて返さないのは性格悪すぎ。


みたいな感情論で終わって申し訳ないが、『そんなに挨拶するの嫌か?』




と言いつつ、挨拶返せない人はあぁ、こいつこういう奴なんだな、ってそういう評価を僕が付けるだけなんだけどね。

勝手にすればいいぐらいだけれどね。


以上




ネイピア虚数円周率

2024年06月16日 12時27分00秒 | 日記
eiπのことについて深く知らないことについて情けないなと思っている今日この頃。



公式とか等式を見た目とかで覚えるの嫌なんだよな。

何でそうなるのか、を知りたいんだよな。🥱





サインコサインブイサイーン(懐かしいなこのセリフ)

フラグ回収?夢に出てきた人の話

2024年06月16日 08時38分00秒 | 日記
やたら夢にある女性が出てくる。



フラグ(ここでの意味は前触れ)か?




ちなみに過去、思いがけない人が夢に出てくることは多々あったが、

結局それがフラグになることは思い返す限り全くない。(全く?かどうかは記憶だが)

ということは別に意味はない。



夢から現実になる!というのは映画やアニメでちょこちょこあるが、

まぁ、déjà-vu (ラララララー!何のためにー生まれてきたーのかーをー!by LUNA SEA)等も雰囲気は似ているな。

あれ?
おねいさん?どこかで?会った?(マジで居るもの、そういう人)

デジャヴ(もうフランス語で書かないのかよ!)について語ると長くなるから書かないけれど、記憶のエラーのような脳の能力によるもののような既視感のようなそんな感じです。(適当)

まぁ個人的には、あの時の出来事を人間が覚えていなかったり、こうやっていたはずだ!のように、記憶を呼び出す辺りの能力ってバグがあるのだろうな。というところかとまぁデジャヴは置いておこう。


さてさて、君は

フラグなのか?



まぁ、たまたまだろうな。


夢占いでは、おっとこの話をするととてつもなく長くなるからやめよう。

異性の場合は後付け恋愛(なんだそりゃ)みたいなのがあって、夢で見たから気になり始めるみたいなのがそうなのだが。



僕はドライだからそれは無いなぁ…🥱


思春期の人達はそれでキャッキャしてるのかもね、若い。



そんなこんなで夢の話をするのは面白いな。




ん?夢で何をしたの?





それは内緒だ。🤪



夢は夢のままーでー
get out from the shell)

久々にアドラー心理学の話『嫌われる勇気』

2024年06月15日 10時53分00秒 | 日記
※タイトルを嫌われる勇気に修正しました。

ふう…



やっぱり休日はいいな。休日は好きなことに没頭できるし、文鳥と戯れることだってできる。(実際いつも文鳥にキュルルル!!って威嚇されているだけだが)

アドラー心理学の話をしようと思う。



メジャーな嫌われる勇気だ。(最近メジャーよりポピュラーって言った方がいいのかななんて無駄なことを考える。)


人間の残念な理想的な考え、心理が、万人に好かれたい!と思うことである。
これは人という感情を持った生き物である以上避けられないもの。


誰にでも愛されたい。



これについて掘り下げよう。



確かに誰にでも好かれることは理想かもしれない。しかし、まずはそれは理想だということを理解しなければいけない。

例えば、どんな相手にも好かれるという合理的手法があるのならば、人はどんな人とでも結婚できるみたいなトンデモ論も可能であるからである。
さて、あえてここは不可能という言葉を使わずに説明したい。

そもそも他人が自分を好きと思うかどうかは他人の考えであり、自分がどうこうできるものではない。(これがアドラー心理学で一番言われている説)
しかし、上で言ったように不可能ではないかもしれない。それは相手が求める自分に100%なりきれた場合である。

なんだ?
できるんじゃん。


そう思った人は結構人生において自分がしたいことベースではなく、他人に好かれたいであったり、他人に言われるがまま生きている人である可能性が高い。



相手が求めることというのは、いわゆる自分がしたいことではないのだ。

まぁ、完璧にあらゆる意見が合致した2人が結ばれてめでたしめでたし。という物語もあるのかもしれないが…(そんなやついないだろ)



他人に好かれるために自分のやりたくないことをして他人の理想的な自分になる。という人生を否定はしないが、これは仮に恋人になれた後も相手の顔色を伺いながら生きていく(要は無理をしている)ことになるため、精神面でどんどん疲れていってしまうのだ。

例では恋人としたが、友達も同じである、嫌われたくないからと自分がやりたくないことを他人ベースで行い続けていると、そのうち必ず『うわああああああ』である。


さて、何となく理解いただけたかと思うが、じゃあどうすることが健全なのか。



自分が本当にやりたいことを優先して生きることである。その結果自分のスタイルが嫌いな人が現れても仲良くなろうとはしなくて良い、嫌われても良い。気にしなくて良い。と考えることである。
何故か、それは他人が自分を好きになるかどうかは相手が決めることであって、私のことをどうか好きになってくださいとお願いするようなことではないからである。



とまぁ、述べたところでアドラー心理学には補足が必要と僕は思っている。

この考えは健全に生きるためにはとても必要で効果的であるのに対して、

悪く言えば自己中心的な考えを持てということである。



ここについては人は何らかの集団で生きていく以上、自分のわがままを突き通して生き続けることもまた不可能である。

協調性やその辺りの話になるのだが、



私のように聖人になると(は?)もはや感情を消すことができるため、例えばそもそも自分がやりたいかに併せて駄々を捏ねてまで意固地になるような物事ではないことは捨てて問題ないと考えるのである。
↑この辺りアドラー心理学を知っている人がどれだけ理解しているか知らないが


嫌われる勇気は

自ら自己中心的になって集団の中で嫌われに行け!と言っているわけではなく、


他人にばかり合わせて生きるのをやめよ!


という、うったてを与えているのである。




人間は時に我慢も必要だし、理性も必要である。そういったことが理解できない人にはあまり向いていない心理学だといえる。


この辺り、感情に左右されない仕事であったり、他人を変えるより自分を変えよ!と言ったような考え方等を併せて取り入れることで理解できてくるのだが、

嫌われる勇気だけが一人歩きしているように思う。





自己中心的に生きても良いが、人間は集団で生活する以上、コミュニケーションを円滑にするために様々な努力が必要であること。ここは忘れないでいたいなと思う。




以上。



その薬、本当に必要ですか?

2024年06月15日 00時53分00秒 | 日記
最近病院にかかって診察を受けたこの僕であるが、これを言いたい、といった内容があったため、今日はそれを書いて行こうと思う。

タイトルからは何となく察するとは思うが。




さて、病院で診察を受けたあとにいただくもの、

薬。



僕は症状を医師にとりあえず伝えたのだが、結果的にただの風邪。
医師が処方箋に書いた薬はそれらに全て関連するものだったのだが、なんと5種類もあった。


正直、は?

という感じであった。



これは本当に必要な薬なのだろうか。

とメジャーなカロナールを二錠飲んで思うばかり🥱であった。(もちろん葛根湯とかいろいろ出されたから飲んだよ)



うーん。



そんなにいる?


トンデモ論者ではないのだが、例えば咳止めの薬なんかは💊医者によっては不要な薬であると説いている方もいる。みたいな話なのだ。


僕は必要な人に必要な薬が届けばいいなと思う。永久に空から降ってきていつでも手に入るような存在になっているようでとても悲しい気持ちになる。
これで医療費削減とか言っているのだから正直ばら撒き処方はやめて欲しいと肌で感じたという話である。




ハッキリ言ってカロナール以外はいらない🥱と僕は思った。

が、この現状が世の中はスタンダードなようで、患者が少しでも楽になればそれは薬があることのベネフィットである。





まぁ、そのようなばら撒かれているお薬。どんな厳しく管理されているか!?


それは!!!!!!




誰かが説明してくれるだろう!!(逃げるなてめえ!!💨)