前々から書きたかった挨拶のお話。
少し前に、誰かが主張した挨拶は何も生まない、不要だ!という発言が炎上?したような気がしているところだ。
正直内容はくだらないのだが、結構みんな挨拶が好きなようなので、これについて何か言いたいと思った。
さて、挨拶は何も生まないし、利がない、というのは何気に同意な僕。
いやいや、気持ちいいだろう。した方が。
いや、まぁそれはそうなのだが、別にそれが物理的に何か利益とか成果に繋がるのならば合理的なのだが、
挨拶完璧な人間が仕事できなかったらそいつは出世させないだろう?
みたいな話だと思うのね。
まぁ、一部挨拶もできないやつは人間に問題がある、というレッテル張りはできるかもしれないが笑(意外とレッテル張りではないのかもしれない…)
で、じゃあ、挨拶は廃止した方がいいのか?という話になってくるのだが、
実はそういう部類の何となくした方がいいことって世の中にはいくらでもあると僕は考えているところで、
例えば、いただきますとかごちそうさまとかありがとうございますとかも何か物理的に利益に繋がるようなものではなくても、存在するわけ。
で、
おはようございます!
お疲れ様です!
っていうことが蕁麻疹が出て病気が出るほど嫌ならやらなくてもいいと思う笑
要は、そんなことをしたら僕は人生の敗北を感じる!死んでしまう!というほど嫌なのか?という話なのである。
話は逸れるかもしれないけれど、君が代歌うのが嫌だ!(調べてみてね)という人も場所を弁えれば主張してもいいと思うから。式典の妨害等をしなければね。
文化的に意味のないことはどんどん辞めるべきだー!!(占いとか縁起のいい日とか)っていうのは何となく僕は同意なのだけれど、どっちでもいいよね。となることが大事だと思うわけだ。
挨拶はしてもしなくてもいいよ。となることである。
挨拶は少なくとも集団の気持ちいいコミュニケーションの一部として定着してしまっているため、何となくしているところであるのはその通りなのだが、
おはようございます!
と言われて…
『…』
↑こういうのは頭おかしいと思うんだよね。(無理に自分の信念で嫌われに行かなくてもね)
これは、ちょっとしたコミュニケーションの中で気遣いとか簡単な言葉のキャッチボール等、そういったことが全くできないやつだ!と言われても仕方ないと思う苦笑
で、そういうプライドどうこういう面倒くせえやつは…
だいたい仕事できない問題児である。(これは偏見かもしれないけれど、言わせてもらいたい)
集団で生活する中では思想やプライドを時に包む必要もあるのだ。
私達は集団で生きていかないといけないからだ。
そんなに嫌ならひとりで会社立ち上げて思想展開すればいい。
会社のポリシーなら問題ないし。
そんな感じだね。
挨拶しなくてもいいけど、挨拶されて返さないのは性格悪すぎ。
みたいな感情論で終わって申し訳ないが、『そんなに挨拶するの嫌か?』
と言いつつ、挨拶返せない人はあぁ、こいつこういう奴なんだな、ってそういう評価を僕が付けるだけなんだけどね。
勝手にすればいいぐらいだけれどね。
以上