こんにちは。
昨晩、先輩が雑談で
「大谷選手は、家に帰ってから、かならずリビングを通り(家族と触れあい)部屋に戻り、テレビも一台しかないので、家族でテレビをみて、ごはんもみんなで食べていた(孤食ではなかった)」等と話しておりました。
(これはあくまでもわたしの想像ですが…)
例えば、大谷選手が自分にはできない!と思ったときにリビングでしょげた大谷少年に対して、家族は大谷少年と一緒にしょげることなく励まし、必要な分だけ手を貸したに違いありません。
野球以外で笑われること(馬鹿にされる)もあったかもしれないけれど、馬鹿にされたことに気がついたとき(馬鹿にされたときに気づくまでには時間がかかるものですから…)、悔しくて泣いたこともあったかもしれない。そして、そのことはなかなか親に言えないものですが、リビングでしょげている大谷少年に対して、家族は励まし支えてきたんだろうなあ…。と思うのです。
反対にいじめる側になった場合でも、思いやりの気持ちを復習する機会を持つことができたような気がします。
良いときも悪いときも、コミュニケーションをとり続ける環境って、本当に大事ですね。
わたしもコミュニケーションをとる幸運な機会に恵まれてますが、大人になっても失敗することもあります(😢)。
今朝は仕事で話をし過ぎて、もうわたしの体力気力はいっぱいいっぱい。それなのに先輩らはまだまだ笑いながら話をしていて…「すごいな😱❕」「それも才能だな」と思ったのでした。
わたしの場合一人の時間を大事にしてきたのでまだ持久力が足りないかもしれないけれど、少しずつ、この「いっぱいいっぱい」を「いっぱい」にしていきたす。
そして、近い未来にはコミュニケーションを楽しめる自分になっていたいと思います。