もう10年以上前のことになるが、アメリカの医師 Robert Buckman氏の著書 「How to Break Bad News: A Guide for Health Care Professionals」を読んで感銘し、その頃たまたま参加したアメリカの癌学会で彼の講演を聴くことができ、ぜひ日本語に翻訳したいと申し出たことがあった。
「Bad News」とは、治癒不可能な病気の診断名や、その予後についてなど、患者さんにとって悪い知らせのことを指し、それを伝えることを「breaking bad news」と言う。
最近の医学教育現場では、患者さんに「Bad News」を伝えるのに必要なコミュニケーションスキルというものをきちんと教えるようになったようであるが、その頃はまだそういうことは日本ではあまり行われていなかった。
けれど日々の診療のなかで「Bad News」を伝えることの難しさや、そのときに受ける医師である自分自身へのストレスというものを常々痛感していたから、「Bad Newsを知らされた患者はもちろんショックを受けるけれども、だからといって貴方は自分を責める必要はないんだよ」という著書の中のBuckman氏の言葉は、バイブルのように心に響いたのであった。
講演後に駆け寄って話しかけたBuckman氏から、すでに日本語の訳本が出ていることを教えてもらい、やはり上には上がいるものだと、そのときはガッカリしたが、キュブラー・ロス女史の「死ぬ瞬間」と並ぶ医療界におけるブレイクスルー本ではないかと思っている。
そんなことを思い出したのは、昨日、ある患者さんに泣かされたからだった。
その人は肺がんを患っており、機会あるごとに主治医である私に「自分の予後はどれくらいなのか?」と尋ねてくる。
1年前の診断時から肺がんであること、病気がどのような状況かを説明してきたし、その後も完治しない状態であることや、治療の結果がどうだったのか、今後の治療にはどのような選択肢があるのかなどの説明は何度もその都度時間をかけて行ってきたつもり。
Bad Newsを受ける側としては、信じたくもない話だし、一度聞いただけで全てを理解するのは困難な場合も多い。
夢であったら・・・と願うのも当然だ。
けれど、現実を知り、それを受けとめなければ、その先、限られた時間を有意義に過ごすための方法などは考えることができない。
Bad Newsを伝える意味はそこにある。
予後(死を迎えるまでの時間)について、初回の説明時から伝えることはあまりないけれど、患者さんから要求されれば、言及する。
よくドラマなんかだと、「あと3ヶ月」とかって偉そうに医者が「宣告」している場面が出てくるけれど、医者は神さまでも預言者でもないのに、それってどうなのよ?って思うから、具体的な数字を提示することはしない。
けれど、社会的責任のある人や、”本当に”残り時間を知りたい人が困らないように、「時間のものさし」は提供するようにしている。こんなふうに・・・
『病気の進行のしかたにも個人差があるので、具体的な残り時間を数字で提示するのは難しいですが、残り時間を測るものさしの長さや目盛りの細かさは私の持っているものと合っているかどうか確認しておきましょう』
なぜなら、「完治不可能な病気であって、いずれその病気がもとで死ぬことになることは理解している」と患者さんが言っているとしても、統計学的にみても予後は一年未満である病態なのに、「あと10年も生きられれば満足」などと勝手にカンチガイしてしまっている人は意外と多いのだ。
「時間のものさし」の話をすると、たいていの人は理解してくれる。
現実を受けとめて、前を向いてくれる。
そして、「時間の長さ」ではなく、「時間の質」に目を向けてくれるようになる。
ところが、その患者さんは何度も、何度も、何度も、私に訊くのだ。
「私の予後はどれくらいですか?」って。
なんで、毎回、毎回、予後の話になるんだろう?
何度も時間をかけて説明してるのに、なんで理解してくれないんだろう?
なんで眉間にしわ寄せて後ろばっかり向いていて、前を向いてくれないんだろう?
しかも昨日は、検査で脳転移が見つかってしまった。
新しいBad Newsを伝えなければならなかった。
だから昨日は思わず泣きそうになりながら言っちゃったのだ。
『そうやって予後のことを尋ねられるのは、何か整理しないといけないことがあって、具体的な数字がわからないと困るから、とかですか? 脳に転移してきてしまったのはとても残念ですが、このことをお伝えするのは私もつらいんです(泣)』
「はあ・・・人生80年っていうじゃないですか・・・でも、この病気になったから、80まではムリだなって思うんです。だけど、あと4年したら私は70です。70まで生きられたら、どうにか満足できるかなと思って、訊くわけです・・・」
『なるほど。でも、お持ちのものさしが長すぎます。2~3年などという時間は残っていません』
「えっ、じゃあ、1年ですか?」
はたして1年残っているかどうかもわからない。
でも、あれだけ説明してきたのに、まだ4年も残っていると思っていたなんて!
色々な意味で絶句してしまった。
でも、ここで話を終わりにしてしまっては、患者さんは「見放された」とまたカンチガイしてしまう。
「時間の質」の話をまた一生懸命して、放射線治療のための入院の申し込みをして帰ってもらった。
入院したら、また、そういう話になるんだと思う。
きっと彼とは、死ぬまでそういう話をすることになるんだと思う。
「Bad News」とは、治癒不可能な病気の診断名や、その予後についてなど、患者さんにとって悪い知らせのことを指し、それを伝えることを「breaking bad news」と言う。
最近の医学教育現場では、患者さんに「Bad News」を伝えるのに必要なコミュニケーションスキルというものをきちんと教えるようになったようであるが、その頃はまだそういうことは日本ではあまり行われていなかった。
けれど日々の診療のなかで「Bad News」を伝えることの難しさや、そのときに受ける医師である自分自身へのストレスというものを常々痛感していたから、「Bad Newsを知らされた患者はもちろんショックを受けるけれども、だからといって貴方は自分を責める必要はないんだよ」という著書の中のBuckman氏の言葉は、バイブルのように心に響いたのであった。
講演後に駆け寄って話しかけたBuckman氏から、すでに日本語の訳本が出ていることを教えてもらい、やはり上には上がいるものだと、そのときはガッカリしたが、キュブラー・ロス女史の「死ぬ瞬間」と並ぶ医療界におけるブレイクスルー本ではないかと思っている。
そんなことを思い出したのは、昨日、ある患者さんに泣かされたからだった。
その人は肺がんを患っており、機会あるごとに主治医である私に「自分の予後はどれくらいなのか?」と尋ねてくる。
1年前の診断時から肺がんであること、病気がどのような状況かを説明してきたし、その後も完治しない状態であることや、治療の結果がどうだったのか、今後の治療にはどのような選択肢があるのかなどの説明は何度もその都度時間をかけて行ってきたつもり。
Bad Newsを受ける側としては、信じたくもない話だし、一度聞いただけで全てを理解するのは困難な場合も多い。
夢であったら・・・と願うのも当然だ。
けれど、現実を知り、それを受けとめなければ、その先、限られた時間を有意義に過ごすための方法などは考えることができない。
Bad Newsを伝える意味はそこにある。
予後(死を迎えるまでの時間)について、初回の説明時から伝えることはあまりないけれど、患者さんから要求されれば、言及する。
よくドラマなんかだと、「あと3ヶ月」とかって偉そうに医者が「宣告」している場面が出てくるけれど、医者は神さまでも預言者でもないのに、それってどうなのよ?って思うから、具体的な数字を提示することはしない。
けれど、社会的責任のある人や、”本当に”残り時間を知りたい人が困らないように、「時間のものさし」は提供するようにしている。こんなふうに・・・
『病気の進行のしかたにも個人差があるので、具体的な残り時間を数字で提示するのは難しいですが、残り時間を測るものさしの長さや目盛りの細かさは私の持っているものと合っているかどうか確認しておきましょう』
なぜなら、「完治不可能な病気であって、いずれその病気がもとで死ぬことになることは理解している」と患者さんが言っているとしても、統計学的にみても予後は一年未満である病態なのに、「あと10年も生きられれば満足」などと勝手にカンチガイしてしまっている人は意外と多いのだ。
「時間のものさし」の話をすると、たいていの人は理解してくれる。
現実を受けとめて、前を向いてくれる。
そして、「時間の長さ」ではなく、「時間の質」に目を向けてくれるようになる。
ところが、その患者さんは何度も、何度も、何度も、私に訊くのだ。
「私の予後はどれくらいですか?」って。
なんで、毎回、毎回、予後の話になるんだろう?
何度も時間をかけて説明してるのに、なんで理解してくれないんだろう?
なんで眉間にしわ寄せて後ろばっかり向いていて、前を向いてくれないんだろう?
しかも昨日は、検査で脳転移が見つかってしまった。
新しいBad Newsを伝えなければならなかった。
だから昨日は思わず泣きそうになりながら言っちゃったのだ。
『そうやって予後のことを尋ねられるのは、何か整理しないといけないことがあって、具体的な数字がわからないと困るから、とかですか? 脳に転移してきてしまったのはとても残念ですが、このことをお伝えするのは私もつらいんです(泣)』
「はあ・・・人生80年っていうじゃないですか・・・でも、この病気になったから、80まではムリだなって思うんです。だけど、あと4年したら私は70です。70まで生きられたら、どうにか満足できるかなと思って、訊くわけです・・・」
『なるほど。でも、お持ちのものさしが長すぎます。2~3年などという時間は残っていません』
「えっ、じゃあ、1年ですか?」
はたして1年残っているかどうかもわからない。
でも、あれだけ説明してきたのに、まだ4年も残っていると思っていたなんて!
色々な意味で絶句してしまった。
でも、ここで話を終わりにしてしまっては、患者さんは「見放された」とまたカンチガイしてしまう。
「時間の質」の話をまた一生懸命して、放射線治療のための入院の申し込みをして帰ってもらった。
入院したら、また、そういう話になるんだと思う。
きっと彼とは、死ぬまでそういう話をすることになるんだと思う。
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