アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

youth comes but once

2012-06-24 | Weblog


 Youth comes but once.


 中学生のころ、3歳上の従兄に教えてもらったフレーズだ。直訳は「若い時代は一度きり」。意訳すれば「今を大切に生きよう」といったところだろう。


 その従兄が、6月初めに亡くなった。葬儀のために久しぶりに上京した。


           ◇


 自分の人生をこれからどう進めていくべきかー。


 親しい人が亡くなると、いつも考える。「死」を身近に感じるとき、「生」についてより真摯になるのは当たり前のことだが…。


 特に、今回はその思いが強い。


 母同士が姉妹で、家も近所。いつも一緒に過ごしていた。幼児期から彼が大学に入るために上京するまでの約15年間、極めて近しかった。お互い「男の子」から「少年」になる時期である。人間として最も濃密な時期を、兄弟同然の関係で過ごした。


 小学校の頃、彼も私も走るのは学年で一番だった。特に彼のスポーツ万能ぶりは校内でも有名だった。


 2人とも短距離ではリレーのアンカー。でも、私は最終コーナーで抜かれて同級生をがっかりさせたが、彼はいつも最終コーナーで先頭に立ち同級生を大喜びさせていた。


 長距離も2人とも速かった。マラソン大会の表彰式では、優勝者同士として彼と並ぶことが誇らしかった。


 自慢の「兄」だった。


           ◇


 彼が上京してからは、幼少期とは一転、接触する機会はほとんどはなかった。


 告別式からの帰りの新幹線。車窓を流れていく街の光をぼんやりと眺めていたら、急にトンネルに入って瞬時に焦点が自分の顔に切り替わった。


 涙が流れている自分に気付いて、驚いた。


           ◇


 彼が上京してからの35年間。会ったのは、親戚の葬式くらいで、多分、2回か3回。会っても話すことがなかった。大人の男が2人、仲良かった子供時代の話などするはずがない。


           ◇


 スポーツ雑誌の編集長をしていたとは聞いていたが、それが何の競技なのかも知らなかった。


 葬儀会場には、福井烈やクルム伊達公子、松岡修造、薬師寺保栄、ガッツ石松など、私でも知っているほどの有名アスリートの名札が並んでいた。


           ◇


 都内の住宅街に居を構え、仕事でも一定の評価を得、高校3年生の息子と中学3年生の娘を立派に育てあげた。いや、それはまだ途中か。


 ネットで名前を検索すると、病気に伏す前の署名コラムが出てきた。


 その文章から、好きなスポーツにかかわる仕事への情熱がうかがえた。


           ◇


 さらに驚いたのは、プロ野球の入団テストを受けていたということ。葬儀のアナウンスの中で知った。1次テストはパスしたというので驚きが増した。


 中学時代は野球部に所属していたが、高校では硬式テニス部。インターハイには出たが、テニスはテニス。野球は中学時代の軟式だけだったはずなのに。


 ずいぶん前の、親戚のだれかの葬儀のあとで2人だけ酒席をもった。そのとき「おれは俊足巧打の、うるさいタイプの選手になれる。ヤクルトにいた飯田のタイプだ」と話していたことを思い出した。



 本気だったのか。


           ◇


 病床に伏して2年。今年4月、死から2か月前の文章。


 「リハビリの重要性を認識。回復したらリハビリの指導者を目指す。53歳、おれはまだまだ終わっていない」


           ◇


 熱血のコラムを書くし、プロ野球選手を本気で目指すし、病床でも次の夢を考えてるし。


 随分と差がついていたんだなぁ、俺とは。


           ◇


 「はじめの一歩」を踏み出せない理由なんて、おれはいくらでも考え付く。でも彼は、いつも踏み出していたんだ。


 一度きりの人生。もっと真剣に対峙し、もっと誠実に生きよ。


 遺影の彼は、笑顔でそう励ましてくれる。


 Youth comes but once.


 心に留め置きます。
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