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戦勝国史観マトリックス

2017-08-23 11:59:13 | 戦勝国史観



  「 歴史を鏡とし未来に向かう 」というのは中国共産党の日本に対するお題目。「日本は中国を侵略した歴史を直視して、中国に遠慮し、言いなりになれ」という意味だが、彼らの主張する歴史とは、彼らに都合の良い捏造された歴史観なので、そんなものを日本人が直視する義務など更々ない。とはいえ、中国版戦勝国史観は、欧米の戦勝国史観に準じているので、中国の歴史観を頭から否定しようとすれば、たちまち欧米と共同戦線を張って日本に圧力をかけてくるのでやっかいなものである。

 歴史とは総じて勝者によって書かれるものだから、多かれ少なかれ戦勝国史観になりがちだが、どんな権力者も永遠に生きることは不可能であり、どんな王朝・帝国もいつか終焉を迎えるので、新たな時代の誕生と共に、古い時代の戦勝国史観は徐々に見直しされ、客観的な「歴史」に熟成していくものである。関ケ原の合戦後、勝者である徳川家康は、江戸時代260年に渡って神として崇められてきたが、徳川幕藩体制を覆した明治政府の誕生後、家康を神として祀る東照宮は徐々に減少し、家康をずる賢い「タヌキ親父」として描くことが増えて行った。徳川家を倒した明治政府が昭和の代で大敗北し、明治以降の全ての功績が否定されるようになってから、家康に対する評価もまた微妙に変化し、現代では甲乙半ばする評価になっている。

 問題は第二次世界大戦後に作られた戦勝国史観。英仏の植民地帝国やソ連が崩壊したとはいえ、アメリカ合衆国も中華人民共和国も健在であり、五大戦勝国を基盤とする国連が未だに不変である以上、この戦勝国史観を見直すことは現状ではかなり困難である。米英仏中露に安全保障理事会の常任理事国として特権を付与する理由は、この五カ国が「正義の戦争に勝利した」ことにあり、その正義を証明するものこそ、ホロコーストや南京大虐殺など、敗戦国の「戦争犯罪」である。これを否定することは、国連のシステムそのものを否定することとなり、最早、歴史学者だけで采配できる問題ではない。

 このように第二次世界大戦に関する戦勝国史観は、現代の世界秩序に直結する政治問題でもあるので、それ以前の見直しが行われた「歴史」とは違って、プロパガンダのまま様々な嘘を内包している状況にある。ホロコーストや南京大虐殺をちょっとでも否定しようものなら、忽ち「歴史修正主義」と罵られ、学問的な議論さえ許されないのが現実である。賢い人は、「所詮、戦勝国史観は嘘っぱち。表面上、従っていればいい」と割り切ってやり過ごしているものだが、中には「戦勝国史観こそ真実の歴史」だと妄信し、そこから教訓を得て未来図を描こうとするあまり、大失敗を犯す愚か者が結構いる。嘘の歴史から有益な教訓を導き出せるはずもないのだが、嘘だと思わず妄信していれば話は別。戦後70年の間、その種の愚かな事例が少なからず発生しているので、幾つか取り上げてみたいと思う。

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 一番、深刻な失敗は、ジョージ・W・ブッシュ元大統領によるイラク戦争だろう。ブッシュ政権のネオコンたちは、圧倒的な軍事力で「衝撃と畏怖(shock and awe) 」を加えれば、敵は米軍を神のように敬うようになり、早期に勝利できると信じていた。これは第二次世界大戦の絨毯爆撃と原爆投下で、日本人が屈服したのみならず、戦後、猫のように大人しくなり、アメリカに従順な従属国になったことから「学んだ」戦勝国史観に基づく発想である。だが、日本が降伏するまでには、中国との長い戦争に対する厭戦気分と、300万人に及ぶ犠牲があったわけで、ただ派手にミサイルをぶっ放すところを見せれば、敵が屈服すると甘く考えたら大やけどをする。そもそも、現代のような人権尊重時代に第二次世界大戦の時のような無差別爆撃を実施できるはずもなく、トマホークやバンカーバスターを駆使したところで、十分な恐怖を与えることができない。フセイン政権崩壊後、イラク人の反米ゲリラ闘争が本格化したのは当然の結果であり、ネオコンたちの「作戦」は絵に描いた餅に過ぎなかった。

 アメリカはベトナムでのゲリラ戦に敗北し、軍事力行使への自信を長く失っていたが、1998年の映画『プライベート・ライアン』や、2001年の『パール・ハーバー』、『バンド・オブ・ブラザース』など、第二次世界大戦映画ブームの中で、徐々に自信を回復していった。スピルバーグ監督の作品は古い戦争映画と比べてはるかにリアリティがあるが、その基盤にある戦勝国史観に大した変化はなく、映画にリアリティがあるだけに人を騙しやすい問題点がある。彼の映画を見て、「もう一度、『正義の戦争』をやってみたい」と思ったアメリカ人も多かったことだろう。ベトナムでの経験に学んでいれば、イラク戦争を起こさなかったはずである。だが、アメリカ人は負けた戦争の映画を見ることに辟易して、スピルバーグの映画を大歓迎し、イラク戦争を熱狂的に支持した結果、ベトナム戦争と同様、ゲリラ戦になって泥沼化した。

 ドイツ・メルケル首相の難民歓迎政策も、ナチス時代のユダヤ人排斥の「反省」に基づくものだったが、その「反省」が反論を許さない脅迫的な戦勝国史観に基づくものであったため、当然のように国民の反発を喰らい、排外主義の復活を招いた。ホロコーストは無論、許されない犯罪行為ではあるが、ヒトラーの人種差別思想が人種のるつぼと化したウィーンで育まれたことに鑑み、多文化共生が如何に困難で排外主義を生む土壌になり得る現実について、客観的に考察する必要があった。だが、戦勝国史観は反論を許さない。ホロコーストは絶対悪であり、人種差別も絶対悪、移民排斥も絶対悪、と思考停止に陥り、綺麗ごとだけのポリティカル・コレクトネスが蔓延する結果を招いた。綺麗ごとはいつか本音に敗北する。
 
 中国共産党が国共内戦に勝利したのは何故か?ソ連崩壊後、多くの機密資料が暴露された結果、中共がソ連から莫大な資金援助を受けていたことが判明しているが、冷戦時代はそんな裏話も分からず、『農村から都市を包囲する』などという中共のプロパガンダばかりが「歴史」としてまかり通っていた。そんな「歴史」を学んで、「いつか必ず日本国民も一斉蜂起する」と信じて日本赤軍や極左は戦っていたが、当然のことながら一般国民は見向きもしなかった。「憲法9条のお蔭で日本は侵略されなかった」とか、「日本軍が韓国女性を強制連行した」とか、その種も話も戦勝国史観を悪用した左翼の嘘に過ぎない。嘘やプロパガンダから教訓を学び、未来に生かすことなぞ、できるはずもないのである。

 現代において、戦争国史観はマトリックスの如く世界中の人々の思考を縛り、判断を誤らせている。その弊害は敗戦国・日本より、戦勝国の方が遥かに深刻かもしれない。「人種差別のナチスに勝利した」ことを誇りにする国々は、移民や難民の流入を止めることができない。「絶対正義の戦争に勝利した」ことを誇りにするアメリカは、戦争に正義や悪などない、国益の衝突に過ぎない、という単純な現実を直視できず、「正義の戦争」を求めて迷走する。絶対悪の大日本帝国に勝利したことをレゾンデートル(存在意義)として掲げる中共は、日本への挑発行為を止めることができない。「犠牲者史観」をナショナリズムの根幹に据える韓国は、只管、日本人に嫌われることを繰り返す。どちらかというと、保守より左翼の方が戦勝国史観を振りかざす傾向があり、平和と人権を唱えながら、結果として世界中に憎悪と対立を生み出している。

 そもそも、第二次世界大戦の真の原因は、世界経済恐慌後、英米が始めたブロック経済、保護貿易主義である。自国だけ経済恐慌から脱出するために、他国の製品に高関税をかけて締め出す。その結果、世界貿易が停滞し、資源や市場を持たない貿易立国は、自ら資源と市場を求めて支配圏を拡張せざるを得なくなる。それを、「絶対悪」のナチスと日本が侵略したことが戦争原因だと考えるような浅い発想だから、只管、ナチスと日本さえ叩いていれば戦争を防げると勘違いする。戦争の真の原因は経済である。それを理解できないようなら、未来の世界大戦を防げるはずがない。

 戦勝国史観の根幹は、妄想の正義。「正義」こそ、諸悪の根源だったりする。


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