@CatNewsAgency

twitterまとめ投稿

日本国憲法の父?鈴木安蔵とハーバート・ノーマン

2018-06-19 10:25:12 | 戦勝国史観


 憲法改正を何がなんでも阻止したい護憲派メディアは、「押しつけ憲法」というネガティブなイメージの払拭に躍起になってきた。その筆頭格・NHKは、頻繁に憲法特集番組を放送してきたが、その全ては、現行憲法を礼賛し、改憲を阻止するための世論操作を目的として作っているとしか思えない。視聴者から強制徴収した受信料を湯水のように使ってNHKが作る番組は、日本国憲法を「戦争を反省した日本人が自発的に作った」かの如く歴史修正する番組ばかり。長年、違憲状態で放置されてきた自衛隊関係者の心情や緊迫する尖閣問題、国際平和維持活動の必要性などの観点から憲法問題を考える番組は皆無である。そうしたメディアが好んで繰り返し礼賛するのが、戦後まもなく発足した「憲法研究会」。そこで日本人が作った憲法草案要綱こそ、現行憲法の原型だと喧伝しているのである。

jsjgalsdjgasdfkadlfka;d



 周知の通り、日本国憲法は、マッカーサーが指示した基本原則「マッカーサー・ノート」に基づき、GHQ民政局の憲法起草チームが約1週間で草案を作成し、それを日本側とも協議・修正した上で完成した。それ故に「アメリカ製」「押しつけ憲法」と言われてきたわけだが、護憲にトチ狂った人々は、GHQが憲法研究会の草案を基にしてGHQ草案を作ったから、「日本製」だと言いたいわけだ。

j;ldkglasdk;lfak;dlfkadfk;d


 憲法研究会とは、戦後、新憲法を日本人の手で作るべく、進歩的な学者、ジャーナリスト、知識人らが集まって結成した民間の団体とされている。そこで中心的に憲法草案要綱を書いたのが、マルクス主義者の憲法学者、鈴木安蔵。彼らは国民主権などを定めた自由主義的な憲法草案要綱をまとめてGHQに提出した。日本人民間人が勝手に作った草案だったはずなのに、なぜかGHQはこれを直ぐに英訳し、精査した結果、「民主的で受入れ可能」とポジティブに評価している。一方、日本政府が正式に組織した憲法問題調査委員会の松本私案は、日本を君主国と規定するもので、GHQは「極めて保守的」とバッサリ。その結果、日本政府に任せられないと判断したマッカーサーは、GHQ自身が草案を作るよう民政局に指示した。僅かな時間の中で他国の憲法草案を書く羽目になった民政局は、鈴木らの憲法草案要綱だけでなく、アメリカ憲法やソ連憲法、ワイマール憲法など、世界中の憲法を参考にして、泥縄式に草案を仕上げたのだった。

<textarea class="script_source"></textarea>
 なぜ、鈴木安蔵は、政府からの委託を受けたわけでもないのに憲法草案を書こうと思い立ったのか? 実は終戦直後、GHQの高官がジープに乗って鈴木の自宅を訪問しているのだ。カナダ外務省からGHQに出向していたハーバート・ノーマン(Egerton Herbert Norman)である。ノーマンは、牧師の息子で日本生まれの日本育ち。日本史研究の専門家であり、鈴木とは戦前、明治史研究会で知り合った。隠れ共産主義者だったノーマンは、鈴木に大日本帝国憲法の問題点を指摘し、民主的な新憲法を起草するよう強く勧めたとされている。新憲法制定は、GHQにとって喫緊の課題であり、マッカーサー自身も元首相の近衛文麿に別途要請していたが、日本の守旧勢力を憎悪するノーマンは、近衛の戦争犯罪を糾弾する報告書を書き、戦犯に指定させることで近衛ルートを潰すのにも一役買っている。

<textarea class="script_source"></textarea>
 NHKの憲法特集番組では、ノーマンの存在や役割を完全に省いてしまっているものが多い。上に掲示したETV特集では、ノーマンを登場させているものの、「日本近代史研究家で外交官」とだけしか説明しておらず、共産主義者であったことや、後に悲惨な運命をたどる話などは完全に省かれている。制作統括の塩田純は、ETVで左翼的な番組ばかり作っているディレクター。知らないはずがない。全てを知った上で、敢えて視聴者を騙す番組を作っているのだろう。下で紹介する映画では、鈴木とノーマンの再会シーンを更に美化して描いている。

<textarea class="script_source"></textarea>
 GHQ職員がジープで突然現れるエピソードには既視感を感じる。優生保護法が成立した背景でも、全く同じような光景が繰り広げられていた。戦前の日本による対外侵略の原因が多産にあると考えていたGHQは、人口増加に歯止めをかけなければ、将来また、膨張主義が復活する、と危惧していた。そこで、戦前に産児制限の普及運動に取り組んだ加藤シヅエに目をつけ、GHQ民間情報教育局の二世職員が加藤の自宅をジープで訪問。国会議員に立候補するよう強く説得した。産児制限を認める法案を日本人女性議員に提出させ、中絶を事実上合法化する優生保護法を日本人自身の意思で法制化した、ということにするためである。(出典:『日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉』)

 優生保護法と日本国憲法成立の共通点は、中絶と戦争放棄という、当時のアメリカでは絶対に制定不可能なルールを日本人に押し付ける際に、「命令」ではなく「自発的な制定」を偽装したことにある。GHQによる命令や強制は、「日本国国民が自由に表明した意志」を尊重せよ、というポツダム宣言第十二項に違反するのである。だから、発案は目をつけた左翼日本人にやらせる。それを可決する際には、天皇の戦争責任や早期独立の可否をちらつかせて政府や議会に圧力をかけるという手法を使ったのであろう。ノーマンと鈴木安蔵には、二つの共通点があった。キリスト教徒で共産主義者。鈴木もまた、クリスチャンの両親に育てられ、青年期になってマルクス主義にかぶれていった(出典:日本の憲法・人権思想にキリスト教の影響)。ノーマンのハーバード大時代の親友で、後に一橋大の学長になる都留重人もキリスト教徒で共産主義者。終戦後、来日したノーマンを早速、鈴木の自宅に連れて行ったのは、他ならぬ都留だったのである。敗戦直後の混乱した状況を利用して、左翼的な憲法を作るべく、キリスト教徒で共産主義者の人脈が機能していたわけだ。ノーマンと都留は、20万人に及ぶ公職追放の人選にも関与しており、一種の「敗戦革命」を企んでいたと思われる。彼らの「革命」は、冷戦の激化とアメリカの対日政策大転換、所謂「逆コース」によって頓挫することになる。

JASKLFJKDLJGALDJFLKAJLAJDLF


 マッカーシーによって始められた赤狩りがアメリカで吹き荒れ、ノーマンにも共産スパイの嫌疑がかけられると、ノーマンの後ろ盾だったカナダのピアソン外相はノーマンを庇い続け、アメリカと対立することになる。FBIはノーマンの友人だった都留を尋問し、共産主義者であったことを自白させる。それで窮地に追い込まれたノーマンは、赴任先のエジプトで自殺した。日米戦争の切っ掛けになったハル・ノートを書いた財務省次官捕・ハリー・ホワイトも、共産スパイの嫌疑をかけられて自殺しているが、後に、ソ連のスパイ活動を暴いたヴェノナ・ファイルの公開によって、スパイだったことが確定している。だが、ノーマンの場合、ファイルに名前が登場しなかったため、未だに真相は藪の中。赤狩りで最大の標的となった反日活動家・オーウェン・ラティモアもファイルに登場しない。このラティモアこそ、ノーマンをGHQに推薦した張本人である。ノーマンとラティモアは、コミンテルンが牛耳っていたNGOの反日団体「太平洋問題調査会」で繋がっていた(【参考】オーウェン・ラティモアと太平洋問題調査会の暗躍)。ノーマンは、ケンブリッジ大学留学中、ソ連のスパイ網「ケンブリッジ・ファイヴ」に加わっていたという情報もあるが(【参考】ノーマンと『戦後レジーム』―近代日本を暗黒に染め上げた黒幕)、カナダ政府は、未だにノーマンのスパイ説を頑なに否定している。ノーマンがクロだと、ノーベル平和賞を受賞し「カナダで最も偉大な首相」と評されるピアソンの素性まで疑われるからだ。

<textarea class="script_source"></textarea>

 鈴木安蔵の憲法草案要綱は、国民主権を規定するなど、確かに自由主義的であったが、GHQがどこまでそれを参考にしたかは判然としない。GHQ民政局に鈴木案を参考にするようノーマンが根回しをしたと鈴木自身が証言しているが、GHQは合衆国憲法やソ連憲法など、他国の憲法も参考にしてゴチャマゼに取り入れているので、鈴木らの草案は参考資料の一つに過ぎなかった。そもそも、肝心なものが欠けている。憲法9条に相当する戦争放棄、戦力不保持の規定が無かったのである。キリスト教的人道主義やマルクス主義の観点から発案しても、「戦力不保持」というラディカルな発想は出てこなかった。

jklsjkdjgaljflkasjkdjslkdL
マッカーサーとノーマン


 では、9条はどこから来たのか? マッカーサーが明示した「マッカーサー・ノート」であり、敗戦国・日本を二度と軍事大国にさせないための懲罰的色彩が濃厚だった。だが、この点でも護憲派左翼は、もっともらしい言い訳を用意している。幣原首相がマッカーサーと会見した時、幣原の方から戦争放棄の考えを提案したから、「日本人が発案者」=「押し付け憲法ではない」という詭弁である。憲法を強制的に押し付けたことにしたくない当時のアメリカ側と、改憲を阻止するために「自主憲法」だったとアピールしたい今の護憲派左翼は方向性が同じであるため、それっぽいエピソードはいくらでも見つけてくることは可能だが、大局を左右するような話ではない。オーストラリアや中国など、他の連合国から天皇訴追の声が高まる中、天皇制を維持する唯一の方法は、とても民主的で平和的、かつ天皇制を残した憲法を、日本人の手でできる限り早く可決することだった。天皇の命運をチラつかせて圧力をかけるGHQに対し、占領下の日本政府はあまりに無力だったのである。当時の日本国民は、外国人が書いた草案を基に憲法が作られたという事実さえ全く知らされず、国民投票さえ行われなかった。こうした事実に鑑みれば、「自主的な憲法」などとても言えた代物ではないのは明らかである。『日本の憲法は我々が書いた』と発言したバイデン元副大統領は正しい。

DdFjKD-VAAIHdqqkkk


 日本国憲法制定後、冷戦の激化に伴い、GHQは対日占領政策を大転換する。自衛隊を設立し、日本を共産主義への防波堤にしようとした。岸信介らが主導して結成された自民党は、憲法改正を党是に掲げるものの、戦争の記憶が生々しく、左翼勢力が大暴れしていた時代に改憲するのは困難であった。日本国憲法を書いた主役が、キリスト教徒でマルクス主義者の鈴木安蔵であったのか、GHQ民政局の左翼的なニューディーラーたちだったのか、断定するのは困難であるが、どちらにせよ左翼が作った左翼的な憲法だからこそ、その後もずっと、左翼やキリスト教徒が既得権益として必死に守り通してきたのである。国会前で反安倍デモをやっていたシールズも、コアメンバーはキリスト教愛真高校の出身者。日本国憲法は彼らにとって、「神聖にして侵すべからざる聖典」なのである。


<textarea class="script_source"></textarea>


初稿:2018年6月12日



追記1:戦時中、二等兵だった都留重人は、戦後、ノーマンと再会した後、GHQ勤務を経て、1947年に35歳の若さで経済安定本部総合調整委員会副委員長(次官待遇)に大出世している。翌年、一橋大学教授に就任。1972年に一橋大学長。恩人のノーマンが悲惨な最期を遂げたのと対照的に、順風満帆な人生を送った。退職後は、朝日新聞社論説顧問。叔父で牧師の都留仙次が院長をしていたキリスト教系の明治学院大学教授となり、国際学部を創設している。因みに、シールズの奥田愛基も牧師の息子で、キリスト教愛真高校→明治学院大学国際学部→一橋大院。

追記2:憲法研究会の実質的なトップは、鈴木安蔵ではなく、東大教授の高野岩三郎。高野は、天皇制廃止を主張していたが、鈴木は時期尚早と考えて憲法草案に入れなかった。それにノーマンは強い不満を示している。その後、高野は、GHQによる検閲を担う日本人グループの長として暗躍。その功績で、初代NHK会長に就任した。

追記3:公職追放された保守派学者の筆頭、慶應大学の憲法学者で枢密院議長だった清水澄は、新憲法施行後、明治憲法に殉じて自殺している。遺書で『新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團體及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戰爭責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ』と嘆いているが、天皇制廃止を強く主張する高野岩三郎が、新憲法にも飽き足らず、別途発表した日本共和国憲法私案要綱を指すと思われる。





コメント

「死の商人」とプロパガンダと世界大戦

2018-06-19 10:18:31 | 戦勝国史観


 第二次世界大戦は大変複雑な戦争であり、様々な側面がある。先発帝国主義国(英仏米)vs後発帝国主義国(日独伊)、欧州覇権争い(英仏独)、反共国家(日独)vs共産国家(ソ連)+アメリカ容共政権(ルーズベルト)、反ユダヤ国家(独)vs親ユダヤ国家(英米)、帝国主義国家vs植民地独立運動(日中戦争)、国共内戦(中国)、太平洋覇権争い(日米)、油田争奪戦(バクー油田、蘭印油田)、などなど。

 だが、第二次世界大戦を精査する上で、見落とされがちであるものの影の立役者として、「死の商人」の存在がある。「死の商人」とは、狭義では兵器や軍需品を作る会社に対する蔑称だが、広義では戦争当事国に戦費を融資する銀行、投資家を含む。1961年、アイゼンハワー元大統領は退任のスピーチで、軍産複合体の危険性について説いた。軍産複合体とは、「死の商人」である軍需産業やウォール街の金融業者と大学、軍部などが一体になって、それぞれの利益のために国家を戦争に引きずり込むシステムなのだが、アメリカに軍産複合体が誕生した切っ掛けこそ、第一次・第二次世界大戦だった。だが、第二次世界大戦では、その輝かしい勝利に幻惑されて、「死の商人」が果たした邪悪な役割について語られることは極めて稀である。

<textarea class="script_source"></textarea>
 1914年、第一次世界大戦が欧州で勃発した当時、アメリカの対独世論はそれほど悪くなかった。だが、勝利のためにアメリカの参戦を必要としたイギリスは、アメリカ国内で反ドイツ感情を煽る様々なプロパガンダ工作を行った。「レイプ・オブ・ベルギー」と称して、ドイツ軍がベルギーで住民を虐殺したと喧伝したりもしている。「レイプ・オブ・××」や「リメンバー・××」など、第二次大戦の時と全く同じプロパガンダの手法が使われた。やがて、英仏に巨額の戦費を貸したウォール街の銀行家たちも、政府にアメリカの参戦を求める圧力をかけるようになり、1917年、遂にアメリカはドイツに宣戦布告する。

jdjsjljfeiieiiefslkdjlsk


 戦争そのものは、陰惨で地味な塹壕戦であり、アメリカ人にとって勝利の感激も薄く、ただ多くの若者たちが死んだだけの不人気な戦争だった。だが、1934年、アメリカで“Merchants of Death”というノンフィクション本が出版され、実は多くの軍需産業、金融業者があの戦争で莫大な利潤を得ていたことが社会問題となった。「死の商人」という言葉が広く使われるようになったのは、これが切っ掛けである。

jhlhklklggfgfjkkk
 
jsdlgjsljeflsejfaijsefia


 その“Merchants of Death”が、第三章を丸々使って詳しく説明しているのが、火薬メーカーのデュポンである。デュポン一族は元々、フランス出身だが、アメリカに移住後、南北戦争など数々の戦争を通じて「死の商人」として成功していく過程が描かれている。そして、第一大戦中、デュポンは連合軍が使用した火薬の実に40%を供給し、莫大な利益を上げた。こうした「死の商人」に対する国民の怒りと疑惑の高まりから、アメリカの参戦に軍需産業が関与していたか否かを調査する「ナイ委員会」が議会に発足し、デュポンなど多くの「死の商人」たちが公聴会に呼び出された。

<textarea class="script_source"></textarea>
 こうした最中の1935年、今度はアメリカ海兵隊の退役少将、スメドレー・バトラーが、“WAR IS A RACKET”(戦争はペテンだ)という小論を発表する。バトラー将軍はその軍人人生を通じ、中南米、フィリピン、中国、欧州など、アメリカがこれまでしてきた帝国主義戦争のほとんどに参加し、数々の栄誉を受けた伝説的な英雄だったが、自分がアメリカ企業の金儲けの走狗に過ぎなかったことを悟り、退役後、反戦運動家に転じることになる。この本の中で、バトラーは「死の商人」デュポンについてこう言及している。


 例えば我らが友、爆薬メーカーのデュポン。最近、その代表の一人が上院委員会で、「デュポンの爆薬で戦争に勝った」だの、「民主主義のために世界を救った」だのと証言したのを覚えているだろう。第一次大戦で、この会社は何を得たか。(中略)一九一四年から一八年までの第一次大戦中、なんと、年間5800万ドルの利潤をあげている。通常の一〇倍近い。通常でさえ、かなり良い利益を得ていたのに、それが950%以上も増えたのだ。


 「死の商人」は、新聞経営にも大きな影響を持っている。多くのローカル新聞社を所有し、大手メディアでさえ広告費の名目で報道をコントロールすることができた。報道機関が「死の商人」や国家の戦争宣伝に使われる実態をバトラーはこう語っている。


 大戦では、われわれは若者たちが徴兵に応じるよう、プロパガンダを使った。入隊しないのは恥だ、と思わせたのである。戦争プロパガンダは醜悪で、利用できるのは神様さえ利用した。ごく少数の例外を除いて、聖職者たちも「殺せ、殺せ。殺せ」という合唱に参加した。ドイツ人を殺せ。神はわれわれの味方だ。ドイツ人が殺されるのは神の意志だ、と。ドイツでも、よき牧師は、神を喜ばせるために敵を殺せ、と人々に説いた。これは、人々の戦意と殺意を高めるための、一般的なプロパガンダだった。
 死ぬために戦場に送られる若者たちのために、すばらしい理想が描かれた。「すべての戦争を終わらせるための戦争」とか、「世界を民主主義にとって安全にするための戦争」とか。彼らが戦場にでかけ、彼らが死ぬことが、莫大な利益を生むことを誰も彼らに言わなかった。彼らは、国内にいる自分たちの兄弟が作った銃弾で倒れるかもしれないのに、それは誰も彼らに告げなかった。彼らの乗った船は、米国の特許を得て建造された潜水艦によって撃沈されるかもしれないのに、誰もそれを言わなかった。彼らが言われたのは、「すばらしい冒険」になるということだけだった。


 巨利を求める「死の商人」がアメリカを戦争に引きずり込むカラクリに気づいてしまったバトラー将軍は、来るべき日米戦争も予見していた。真珠湾攻撃の約6年前である。


 
 1904年の日露戦争で、我々は旧友ロシアを見捨て、日本を支持した。当時、極めて寛容な米国の銀行家たちが日本を財政的に支援した。ところが、今は、反日感情をかきたてようという方向に向かっている。(中略)

 対中貿易を救うため、あるいはフィリピンへの民間投資を守るため、我々は反日感情を煽られ、日米戦争をけしかけられる。何千億ドルかかるか、何万人もの米国人が命を失い、何万人もの人が身体に障害をきたすか精神のバランスを失うかも知れないのに。
 もちろん、この損失と引き換えに、メリットもあるだろう。何百万ドル、何億万ドルもの利益が入るだろう。ごく少数の人々にだけ。兵器メーカー、銀行家、造船業者、製造業者、精肉業者、投機家。彼らは大もうけできる。彼らは、次の戦争を待ち焦がれている。当然だろう。戦争はいい商売になるのだから
 しかし、殺される男たちは何を得るのか。彼らの母親や家族、妻や恋人たちは、どんなメリットがあるだろうか。彼らの子どもたちは?
 戦争で大儲けするごく少数の人々以外に、誰が儲かるだろうか。

 
 幸か不幸か、バトラー将軍は、真珠湾攻撃の前年にガンで亡くなった。

MEME-Smedley-Butler

 


<textarea class="script_source"></textarea>1937年、デュポン一族の令嬢エセル・デュポンが、時の大統領・ルーズベルトの四男と結婚する。戦争に利潤を求める「死の商人」と、ユダヤ系で容共・反ナチスのルーズベルトは、同床異夢の関係だった。真珠湾攻撃後、デュポンは原爆を開発するマンハッタン計画に参加する。「死の商人」として国民の恨みを買うことを恐れたデュポンは、実費を除いた利益を僅か1ドルとする契約をアメリカ政府と結び、「愛国者」をアピールする。戦後、ソ連との協調路線が破綻し、冷戦が勃発すると、デュポンは共産主義を敵とする冷戦の中に新たな商機を見出していくことになる。

原爆開発マンハッタン・プロジェクトに参加した「死の商人」たち


 

 第二次大戦後は第一大戦後と違って、「死の商人」への批判はあまり発生しなかった。敵が無条件降伏するまで徹底的に破壊し、戦後、敗戦国の「戦争犯罪人」を断罪する法廷ショーを強行することで、完全勝利のカタルシスを国民に与えたからであろう。アメリカ以外の全ての工業先進国が戦争で破壊されたことにより、戦後、アメリカのGDPは世界の半分以上を占めるに至り、経済的メリットも計り知れないものがあった。「正義」の戦争に勝った栄光と、経済的成功の両方を得ることができた戦争だった。普通なら戦争に反対する左翼リベラルも、共産主義国と組んでナチスと戦った戦争を「正義」と見なした。かくして、第二次大戦はアメリカで「良い戦争」(The Good War)と呼ばれるようになる。多くの米兵が死傷したが、家族を失った者も、障害を負った者も、「正義」の戦争に参加したことを誇りに思い、正義の戦争の熱心な信奉者となった。世界大戦で巨利を得た「死の商人」を恨む者はほとんどなく、バトラー将軍の反戦主張や「死の商人」批判は、ほとんど忘れ去られてしまった。ただ、彼の名前のみ、沖縄の米軍基地の名称として残っている(キャンプ・バトラー)。反戦活動家が、危惧していた日米戦争の「報酬」として得た軍事基地に名前を残すとは、何という歴史の皮肉だろうか。

 
 戦後間もない1948年、有名な歴史家、チャールズ・A・ビーアドの“President Roosevelt and the Coming of War”(邦題:ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕)が出版され、ルーズベルトが日本を石油禁輸で追い詰めて戦争に追い込んだ事実が暴露されたが、戦勝気分に沸くアメリカでは、激しい反発を受け、不買運動にまで発展した。
 
 その後、ルーズベルトの「良い戦争」は、敗戦国の「戦争犯罪」を糾弾する「被害者」によって絶対正義にまで昇華されることになる。戦争中、敵を悪魔化するために使われたプロパガンダは絶対不可侵の史実となり、ユダヤ人強制収容所における蛮行の呼び名には、「ホロコースト」というテレビドラマの題名が、南京大虐殺には、「レイプ・オブ・ナンキン」という小説まがいの本の題名が使われるようになった。これらを否定する者には、問答無用に「歴史修正主義者」のレッテルが貼られ、異論を許さない完全な思想統制が世界中で敷かれつつある。
 
1942xthis_is_the_enemy_us_2-228x300kkk
 
 アメリカは東京大空襲や原爆投下など、民間人の無差別大量虐殺を犯したが、こうした戦勝国の戦争犯罪を免罪とする魔法の論理として「南京大虐殺」は機能している。プロパガンダで敵の残虐行為を喧伝すれば(大概は、虐殺かレイプ)、原爆を投下しようがジェノサイドをやろうが正当化できてしまう、そんな悪しき前例が「南京大虐殺」。戦争に反対する日本の平和主義者ほど、「南京大虐殺」の信者になるもの(バトラー将軍「戦争はペテンだ」の和訳をネットで掲載している左翼活動家も然り)。彼らは、軍産複合体を批判するくせに、「死の商人」が第二次大戦で果たした役割やプロパガンダについて全く無頓着で、「日本が先に悪いことをしたから、罰が当たった」というような単純な因果応報史観に陥って、せっせと日本軍の粗捜しをしては「虐殺の証拠だぁ」と喧伝する。アメリカはそんな邪悪な日本に罰を下す神なのか? 世界大戦でボロ儲けしたアメリカの「死の商人」にとっては、正に「役に立つ馬鹿」( useful idiot)といったところだろう。
 
 第二次世界大戦は、アメリカに勝利のカタルシスと経済的メリットと世界のリーダとしてステイタスを与えたが、ルーズベルトが思い描いた当初の目論見は完全に崩れてしまった。ルーズベルトは、戦後の世界を米英ソ中で支配する「四人の警察官構想」を持っていたが、彼の死後、ソ連との関係は急速に悪化し、中国の共産化により中国利権を全て失い、挙句の果てに朝鮮戦争が勃発する。ソ連がスパイを使って原爆の情報をアメリカから盗んでしまったため、朝鮮戦争は勝利なき限定戦争に陥り、アメリカ史上最も不人気な戦争になってしまった。あれほど経済援助してきた中国と戦争する羽目になったことで、アジアを中国に任せるプランはご破算になり、結局、日本を反共のパートナーとして中国と対峙せざるを得なくなる。中国の覇権を巡って争った日米戦争はいったい何だったのか。
 
american-anti-japanese-propagandakkk
 
 戦勝国や「死の商人」が敵国を貶めるために広めた戦時プロパガンダが、不公正な戦犯裁判によって権威づけられ、それを自称被害者国が悪用し、敗戦国の左翼によって根強く支持されているのが、戦勝国史観の実態である。戦争は国益と国益がぶつかりあいにすぎず、「死の商人」にとっては大きなビジネスチャンスでもある。正義や悪などは、無知な国民を戦争に駆り出し、人殺しをさせるためのマヤカシに過ぎないのに、そんな嘘の歴史観にいつまでも捕らわれ続けるのは人類の不幸と言えよう。未だに多くのアメリカ人が第二次大戦を絶対正義の「良い戦争」だと信じ、「夢よもう一度」とばかりに、「良い戦争」の再現を追い求め続け、そして失敗を繰り返す。結果、酷い目にあうのは、軍に志願する無知で貧乏なアメリカの若者たちである。「正義」の存在を信じる者は、嘘や綺麗ごとに騙されやすく、プロパガンダの格好の餌食になる。戦争をなくしたければ、まず、「良い戦争」の「正義」を疑ってみることが必要であろう。
 
 
初稿:2018年1月30日
 
コメント

オーウェン・ラティモアと太平洋問題調査会の暗躍

2018-06-19 10:17:22 | 戦勝国史観


 マッカーシズム(赤狩り)の最中、最大の標的となったにも関わらず、遂に最後まで尻尾を出さなかったアメリカ人の反日活動家、オーウェン・ラティモアは、1900年生まれ。中国の天津育ち。両親は中国で英語の教師をしていた。中国で新聞社や貿易会社勤務を経て、1933年、太平洋問題調査会(IPR:Institute of Pacific Relations)のメンバーになり、その機関紙『パシフィック・アフェアーズ』で編集長を務めた。

309945638_1280x720
ラティモア(左)と毛沢東 延安1937年


 IPRはYMCAを母体として、1925年にホノルルに設立されたNGOの学術団体。アジア研究の草分け的存在で、その太平洋会議に新渡戸稲造が日本代表を務めたことで有名だが、新渡戸の死後、共産主義者の巣窟と化し、反共国家にしてソ連、中国と対立する日本を目の敵にする反日組織へと変貌していく。ロックフェラー財団などから潤沢な資金を得て、反日パンフレットを大量に拡散し、アメリカの対日経済制裁を後押しする原動力となった。中華民国代表には、後に駐米大使としてアメリカ政府に対日強硬策を迫った胡適がいる。カナダからは、外交官のハーバート・ノーマンが参加。戦後、GHQで暗躍するものの、共産スパイの嫌疑をかけられ、エジプトで自殺している。日本太平洋問題調査会のメンバーの中には、その後、近衛文麿のブレーンになった者も数多くいた。1936年、朝日新聞の尾崎秀実もカリフォルニアで開催されたIPR総会に参加し、そこで西園寺公一と出会い親友関係となる。その後、西園寺の紹介で近衛文麿の朝食会にも参加するようになった尾崎は、41年、ゾルゲ事件に連座して死刑となった。

<textarea class="script_source"></textarea>
 1937年、ラティモアは共産主義的な色彩の強いアジア専門学術誌『アメラジア』一行と共に、中国共産党の拠点、延安を訪問し、毛沢東や周恩来、朱徳らと面会している。戦後、赤狩りの最中、『アメラジア』はFBIの家宅捜索を受け、多数の政府機密書類を隠し持っていたことが判明している。写真右端のトーマス・ビッソンは、後にIPRの編集を経て、戦後の日本でGHQの憲法制定や財閥解体に携わるも、ヴェノナ・ファイルの公開でソ連のスパイであったことが判明している。

kkljkgkjbjn,

 

 『パシフィック・アフェアーズ』や『アメラジア』でラティモアが親中反日の論陣を張る一方、親日的な本を執筆するアメリカ人もいた。『暗黒大陸・中国の真実』を著した元外交官のラルフ・タウンゼントや、『中国の戦争宣伝の内幕』を書いたジャーナリストのフレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズなどだ。ラティモアは彼らを舌鋒鋭く批判している。日本の真珠湾攻撃後、こうした親日家は日本のスパイの濡れ衣を着せられて逮捕されてしまうが、逆に親中派は米国政府に重用されていった。

 1941年、ラティモアはルーズベルト大統領から蒋介石の顧問に任命され、重慶に滞在。真珠湾攻撃の12日前、ラティモアはアメリカの対日融和外交に反対し、中国国民党軍の士気が危機に瀕しているとする電報をルーズベルト大統領の補佐官、ラフリン・カリーに送った。これを聞いたハル国務長官は、これ以上、時間稼ぎはできないと判断し、日本に強硬な要求をつきつけるハル・ノートを発出することになる。ハル・ノートを書いた財務次官捕のハリー・デクスター・ホワイトも、ラフリン・カリーも、ソ連のスパイであったことが後に判明する。

hllkhkgkkhlhll


 日米戦最中の1944年、ラティモアはアメリカの戦争プロパガンダ機関、戦争情報局(OWI:United States Office of War Information)の太平洋作戦部長となった。ジョージ・マーシャル参謀長がOWIに命じて作成させた反日プロパガンダ映画“The Battle of China”にもIPRが関わったとされる。この映画では、日本を悪魔化するべく、南京大虐殺と田中上奏文を描いているが、どちらも中国国民党が喧伝していた反日プロパガンダで、戦後、後者は捏造だと判明している。そもそも、日本が世界征服を企んでいた証拠とされた田中上奏文は、1929年に開催されたIPR京都会議で中国代表が持ち込んだものだが、信憑性が低いため、撤回された代物だった。が、その後、雑誌に報じられて注目を浴び、満州事変後は信憑性を帯びていると解釈され、遂にはアメリカの反日プロパガンダに採用されるに至った。現代の慰安婦問題と全く同じようなデマの一人歩きである。

 

 同年、副大統領ウォレスが中国を訪問した際にもラティモアは同行している。このアレンジを行ったのも、ルーズベルト大統領の補佐官でソ連のスパイだったラフリン・カリーだった。カリーはカナダ生まれのエコノミストで、真珠湾攻撃前、フライングタイガーの中国派遣に暗躍する。戦後、世界銀行創設に貢献するが、赤狩りの最中の1954年、コロンビア滞在中にアメリカ旅券の更新を拒否され、そのままコロンビア帰化を余儀なくされる。

<textarea class="script_source"></textarea>
 ラティモアは戦後の極東アジアについて、「天皇は排除されるべき」「朝鮮半島はソ連の傘下に置けばいい」「アメリカは中共政府を承認すべき」「国民党政府への援助を打ち切るべき」といった提案している。そんなラティモアが一番攻撃していたのが、アメリカ大使として日本に10年滞在した経験のある知日家のジョセフ・グルーだった。グルーは日米開戦を阻止することに尽力し、ルーズベルト大統領と近衛首相とのトップ会談を本国に強く要請したが、国務省内の極東局長で親中派の巨頭、ホーンベックに潰される。開戦後は帰国して1944年5月にホーンベックに替わって極東局長に就任した。その後、国務次官になったグルーは、天皇制を残すことを保証する降伏勧告を出す提案を行ったが、新国務相のバーンズに却下され、原爆投下、日本降伏後に辞任した。

 グルーは占領軍の一員として日本に戻ることを潔しとせず、ニューズウィークの外交問題編集局長ハリー・カーンら反共・親日グループを結集してアメリカ国内にアメリカ対日協議会(ACJ:American Council on Japan, ACJ)という親日ロビーを作り、財閥解体や公職追放者など極左的な日本統治に反対する運動を展開する。親中派のラティモアはそんなグルーを目の敵にして批判している。

 1945年末、国共内戦が勃発すると、トルーマン大統領はジョージ・マーシャル将軍を中国に送り、国共の連立政権を樹立させようとするが、失敗。国務省の中国専門家「チャイナ・ハンズ」から国民党に否定的で共産党を評価する情報を得ていたマーシャルは、連立失敗を国民党の責任と見做し、武器供与を禁止してしまう。結果、共産党が内戦に勝利し、アメリカは中国内の利権を全て失うことになる。1949年、中国共産党が国民党に勝利したことを受けて、ケネディ上院議員(後の大統領)は、中共に有利になる外交を続けた国務省とその顧問だったラティモアを激しく批判している。

 1950年、マッカーシズムの最中、「チャイナ・ハンズ」と呼ばれた中国専門家、外交官と共に、ラティモアは、中国を失った責任を厳しく糾弾され、ソ連のスパイであったか否か、議会で追及される。その結果、アメリカでの学究活動が難しくなり、1963年、イギリスへ移住した。「赤狩り」は長く続いた米民主党の容共政策を終わらせる足がかりとなった。「赤狩り」で名を馳せたニクソンやレーガンは、その後、大統領として共和党の反共政策を担うことになる。

sdjgalkdjfkadjlfaslkas


 上院の公聴会では、グルー大使の下で参事官を務めた大阪生まれの元外交官、ユジーン・ドゥーマンが証人に立った。ドゥーマンはラティモアが彼とグルー元大使を攻撃してきたことを不快に思っており、ラティモアが戦後の日本に対して「カルタゴの平和」(ローマ帝国がカルタゴにしたような徹底的な隷属化)を課すよう最も強く主張していた事実を証言している。具体的には財閥の排除と天皇陛下の国外追放だった。

sdklgjlsdgsrgosigpo
ロバート・ニューマン著『Owen Lattimore and the "loss" of China



 ソ連のスパイ活動を暴いたヴェノナ・ファイルからラティモアの名前は見つからなかったが、元ソ連軍参謀本部情報局のアレクサンダー・バーミンは、ラティモアがソ連のスパイであったと証言している。ソ連のスパイと親ソ的な共産主義者の識別は難しいが、ラティモアのケースは後者で、「正規のスパイではないが、ソ連の思惑通りに動いてくれ、並みのスパイより影響力の強い人物」といったところではないかと思われる。

 東西冷戦下、IPRは容共的団体と見做され、企業などからの財政援助が激減し、1961年に解散を余儀なくされた。機関紙『パシフィック・アフェアーズ』の編集部のみ、バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学に移転し刊行を継続している。

 ルーズベルト政権の12年間は、アメリカが最も共産主義的だった特異な時代であり、ソ連や中国共産党を過剰に美化し、日本の帝国主義的な拡張政策を目の敵にした結果、不幸にも日米戦に突き進んでしまった。帝国主義を憎むリベラルな政治思想に、白人のアジア人に対する人種差別が加わった結果が、本土空襲や原爆投下のような大量虐殺に結びついた。しかしながら、同じアメリカの中に親日・反共勢力も共存しており、冷戦の開始と中国の共産化で左右の力関係が逆転した結果、日本の占領政策を途中で軌道修正することができた。憲法9条はルーズベルト時代の容共姿勢を引き継いだGHQ民政局が失権する前に生み出した最後の負の遺産とでもいうべきものであろう。

ContentViewServletkkk


 IPRはNGOの学術団体ながら、ルーズベルト政権の対日経済制裁、日米戦争、中共政権誕生に大きな影響力を発揮した。現在、反日的なアジア研究学者やアジア太平洋ジャーナル:ジャパン・フォーカスの中に、IPRの残影を見ることができる。慰安婦像問題などで、外国メディアにおける反日言論を放置すると、取り返しのつかないことになることを、IPRの歴史が物語っている。


初稿:2018年1月3日

コメント

リンドバーグの反戦演説とルーズベルト政権

2018-06-19 10:11:53 | 戦勝国史観



 アメリカは何故、第二次世界大戦に参戦したのか?  誰がアメリカを戦争に引きずり込んだのか? 日米戦争に関しては、日本側だけに落ち度があったかの如く語られ続け、アメリカ国内の事情が全く頓着されない傾向がある。ある日突然、日本軍に真珠湾を攻撃されたから、已む無く参戦した、なんていうのは、子供向けのお伽話に過ぎない。アメリカという大国を動かす巨大な歯車は、真珠湾攻撃の遥か以前から戦争参入に向けてフル回転していた。そのカラクリと軌跡を知る上で、チャールズ・リンドバーグの有名な反戦演説を読み解いてみたい。

<textarea class="script_source"></textarea>
 1927年、大西洋単独無着陸飛行で一躍英雄になったリンドバーグは、第二次世界大戦前夜、アメリカの戦争参入に反対する所謂「孤立主義」団体・アメリカ第一委員会(America First Committee)の主要なスポークスマンになっていた。1940年11月、フランクリン・ルーズベルト大統領はアメリカ史上初めて3選を果たすやいなや、ナチス・ドイツと苦戦中のイギリスを支援するべく、軍需物資の大増産に舵を切る。だが、国民の大部分はアメリカの参戦に反対していた。そうした世論の代表格が、リンドバーグだったのである。真珠湾攻撃の約3か月前にあたる1941年9月11日、リンドバーグはアイオワ州デモインで演説し、アメリカを戦争に引きずり込む3つの勢力を声高に非難した。いわゆる反戦演説なのだが、ルーズベルト政権やユダヤ人勢力を真っ向から批判したため、演説会場はブーイングと拍手が入り乱れる殺伐とした雰囲気となった。



チャールズ・リンドバーグの『Des Moines Speech』を読み解く。
出典:http://www.charleslindbergh.com/americanfirst/speech.asp

❝The three most important groups who have been pressing this country toward war are the British, the Jewish and the Roosevelt administration.❞

『この国を戦争に引きずり込む最も重要な3つの勢力とは、イギリス人と、ユダヤ人と、ルーズベルト政権だ。』

 アメリカを戦争に引きずり込む3つの勢力の1番目はイギリス人。フランスの敗北後、イギリスは単独でナチス・ドイツに勝てないことを百も承知していたので、あらゆる手段を使ってアメリカを戦争に引き込もうと画策していた。第一次大戦中でも、アメリカ国内で同じような世論工作を行い、アメリカを途中参戦させることに成功している。リンドバーグ同様、アメリカの参戦に反対していた孤立主義のハミルトン・フィッシュ下院議員は、イギリスの最大の標的となり、落選させるための様々なキャンペーンが行われた。ケネディ元大統領の父親で、駐英大使をしていたジョセフ・ケネディも、孤立主義的な発言を新聞に報じられ、辞任に追い込まれている。

 2番目の勢力はユダヤ人。ユダヤ系アメリカ人がナチスに迫害される欧州の同胞に同情して、ナチス・ドイツに敵愾心を抱くのは至極当然のことだった。リンドバーグ自身もそうしたユダヤ人の心情には理解を示したものの、そのためにアメリカがドイツと戦争し、多くの若者を戦場に送ることには違和感を持っていた模様。驚くべきことは、戦前のアメリカでは、このように堂々とユダヤ人批判ができたということ。今のアメリカでは、「ホロコーストの被害者」ということで、正攻法の批判さえ「ユダヤ人差別」認定されてしまうため、絶対にできないだろう。

 3番目の勢力はルーズベルト政権。ルーズベルト大統領自身がいつから参戦を決意していたかは不明だが、3選される前から戦争したがる「戦争屋」だと国民から警戒されてきた事実がある。絶対に戦争しないと国民を騙しながら、徴兵を開始し、軍備を拡張し、国民を強引に戦争へ引きずり込んでいった。また、ルーズベルト政権はユダヤ系の割合が非常に高いという特徴もあった。当時、全人口の3%しかユダヤ人がいなかったのに、ルーズベルト政権では、主要閣僚の15%をユダヤ人が占めていた。財務長官だったヘンリー・モーゲンソウもその一人で、後に戦後のドイツを農業国にしてしまう「モーゲンソー・プラン」を発表して物議を醸した。ルーズベルト政権の「影の大統領」と言われた投資家のバーナード・バルークもユダヤ人。第一次大戦後、ベルサイユ条約交渉に参加し、ドイツに過酷な賠償を課した張本人の一人となったバルークは、会議の席でイギリスのチャーチルと出会い、その後、終生の友情を育むことになる。バルークはルーズベルトとチャーチルを結びつける役割を果たし、第一次大戦の再現として二度目の世界大戦を画策することになる。



❝Behind these groups, but of lesser importance, are a number of capitalists, Anglophiles, and intellectuals who believe that the future of mankind depends upon the domination of the British empire. Add to these the Communistic groups who were opposed to intervention until a few weeks ago.❞

『その3つの大勢力に続く小さい勢力の中には、大英帝国の世界支配こそ人類の未来だと信じる資本家や親英家、知識人がいる。共産主義者も、数週間前まではアメリカの参戦に反対していたのに、今や参戦支持派になっている。』

 世界大恐慌後の1932年に大統領選で勝ったルーズベルトが、社会主義的なニューディール政策を実施したのに対し、巨大企業グループはルーズベルトの政策に反対し、アメリカ自由連盟を結成する。だが、36年にルーズベルトが再選し、再び世界大戦が近づいてくると、ルーズベルトに反対する声は徐々に小さくなっていった。「死の商人」として第一次大戦で巨額の利益を得た化学メーカーのデュポン家は、ルーズベルトを敵視してきたにも拘わらず、娘をルーズベルトの息子と結婚させて、政権との結びつきを深めていく。軍産複合体とは、アイゼンハワー元大統領が1961年に退任する時の演説で使った言葉だが、戦争から巨大な利益を得る軍需産業や金融機関などが強力なロビー団体を形成して国家を戦争に引きずり込む現象は、既に第一次大戦の頃からアメリカで発生していた。第一大戦後、それが問題視(ナイ委員会)され、中立法によって海外の戦争への介入が禁じられたが、ルーズベルトは徐々にこれを有名無実化していった。1940年5月、軍産複合体は「連合国援助による米国防衛委員会」(CDAAA:The Committee to Defend America by Aiding the Allies)を結成し、欧州の戦争への介入をあからさまにバックアップし始める。彼らは、戦争に反対するリンドバーグらのアメリカ第一委員会にとって最大の強敵だった。


 1939年に勃発した世界大戦は、ナチス・ドイツとソ連が組んでポーランドに侵攻することで始まったので、アメリカ国内の共産主義者もナチス批判を控えていた。だが、1941年6月、ドイツがソ連を攻撃するに至り、共産主義者もドイツとの戦争を公然と主張し始める。社会主義的なニューディール政策を実施したルーズベルト政権には、多くの隠れ共産主義者がいた。ユダヤ人の中にも共産主義者は多い。中にはソ連のスパイとして取り込まれた者も数多くいて、これが後に、戦後の赤狩りを引き起こす原因となった。
【参考】オーウェン・ラティモアと太平洋問題調査会の暗躍

<textarea class="script_source"></textarea>
<textarea class="script_source"></textarea>


❝The second major group I mentioned is the Jewish.❞

『2番目の勢力とは、ユダヤ人だ。』

❝Their greatest danger to this country lies in their large ownership and influence in our motion pictures, our press, our radio and our government.❞

『この国における彼らの危険性は、彼らが映画界や新聞・ラジオ、そして我が政府に対して巨大な力と影響力を持っていることにある。』

 ここは、リンドバーグの演説で一番物議を醸した部分である。言ってはいけないタブーに触れてしまったのだ。アメリカのメディアとハリウッドをユダヤ人が牛耳っている現実は、戦前もそうだったし、戦後もずっとそうだった。こうした歪な実態の結果、アメリカ世論はユダヤ人に有利に操作され、戦後、アメリカを世界一の親イスラエル国家にするまでになった。ユダヤ系のネオコンがイラク戦争を仕掛けた話は記憶に新しいが、こういう事実を指摘すると、反ユダヤの差別主義者と非難されかねず、今のアメリカでは完全なタブーと化している。イスラエルの国益のために、アメリカの若者たちが戦争に駆り出される現実を直視する意味で、第二次大戦に彼らが果たした役割を洗い直してみることは、絶対に必要だろう。


<textarea class="script_source"></textarea>


❝Our theaters soon became filled with plays portraying the glory of war. Newsreels lost all semblance of objectivity. Newspapers and magazines began to lose advertising if they carried anti-war articles. A smear campaign was instituted against individuals who opposed intervention. The terms "fifth columnist," "traitor," "Nazi," "anti-Semitic" were thrown ceaselessly at any one who dared to suggest that it was not to the best interests of the United States to enter the war. Men lost their jobs if they were frankly anti-war. Many others dared no longer speak.❞

『映画館はやがて戦争を賛美する映画の上映ばかりになった。ニュースから反戦感情を煽る映像は排除され、新聞や雑誌が反戦記事を載せると、広告が無くなりつつある。参戦に反対する人々を誹謗中傷するキャンペーンが行われている。アメリカの参戦は国益の反すると主張する人々に対し、「売国奴」「裏切り者」「ナチ」「反ユダヤ主義者」などのレッテル貼りが間断なく行われている。戦争に反対すると失業してしまうので、もうだれも口に出さなくなる。』

 ドイツとの戦争に反対し、ユダヤ人を批判したリンドバーグは、その後ずっと、「ナチ」「反ユダヤ主義者」というレッテル貼りをされ続けた。そうした批判に堪えかねて、妻のアンは「私生活でリンドバーグが反ユダヤ主義的な言動をしたことを一度も見たことはない」という手記を発表している。現在の日本では、「戦争反対」を喚いている側が、敵対者に「ナチ」「差別主義者」というレッテル貼りをして攻撃しているが、戦争に反対していたリンドバーグがそうしたレッテル貼りをされた史実は興味深い。


❝We have become involved in the war from practically every standpoint except actual shooting. Only the creation of sufficient "incidents" yet remains; and you see the first of these already taking place, according to plan -- a plan that was never laid before the American people for their approval.❞

『我々はまだ弾を撃っていないが、既に戦時中と同じ状況に置かれている。開戦の切っ掛けとなる明確な「事件」だけがまだ起きてないだけだ。そして、その最初の事件は計画通り既に仕組まれている。その計画とは、国民の承諾を得ることもなく、知らぬ間に立てられているのだ。』

 ルーズベルトは1940年末の大統領選で三選されると、直ぐに戦争準備に着手した。1941年3月にはレンドリース法(武器貸与法)を可決して、大量の武器や軍需物資を中華民国、イギリス、ソビエト連邦らに供給を開始。真珠湾を攻撃される前であるにも拘わらず、退役軍人を中心とする義勇軍「フライング・タイガース」を中国に派遣したりもした。後は、アメリカ自身がドイツに宣戦布告する口実となる「事件」を待つだけの状態にあったことは、リンドバーグのこの演説からも明らかである。その「事件」をドイツにやらせるのは困難であったが、ドイツと軍事同盟を結んでいた日本は中国と戦争中で、アメリカは日本の主要な石油供給源だった。謂わば、アメリカは日本の生殺与奪の権を握っていたのである。

 リンドバーグの演説から遡ること2か月前、1941年7月に日本軍が南部仏印に進駐したところ、8月になってアメリカは石油の対日全面禁輸に踏み切った。これが正に、「アメリカ参戦の口実を作るために仕組まれた計画」だったわけだ。当時の日本は、石油需要の8割をアメリカから、2割を蘭印(オランダ領東インド)から輸入していた。石油供給源を絶たれれば、アメリカ国内の油田を占拠できない以上、蘭印を獲るしかない。蘭印と日本を結ぶオイルロードにはイギリスの海軍基地があるシンガポールと、米領フィリピンがあり、米英との戦争は不可避となる。

 戦後、南部仏印進駐を悔やむ発言が元軍人から聞かれるが、日本を煽って参戦の口実にすることを狙っていたアメリカにとって、南部仏印進駐をしてもしなくても結果は同じだっただろう。日本が中国と全面戦争をしている以上、アメリカ側は好きなタイミングで石油禁輸の切り札を切る口実があった。近衛文麿首相はルーズベルトとの首脳会談を切望するが、アメリカ側は拒否。11月26日、米国会やメディアに全く知らせぬまま日本側に提示されたハル・ノートが、日本に日米戦争を決意させる事実上の最後通牒となった。ハル・ノートを作成したのは、戦後にソ連のスパイだと疑われて自殺した財務省通貨調査局長、ハリー・デクスター・ホワイトである。



❝We are on the verge of war, but it is not yet too late to stay out.❞

『我々は戦争の瀬戸際にいる。だが、まだ手遅れではない。』

❝If you oppose our intervention in the war, now is the time to make your voice heard.❞

『もし貴方がアメリカの参戦に反対するなら、今こそ声を上げようではありませんか。』

 実際にはもう手遅れだった。「計画」は既に回り始めていた。日本軍の先制攻撃により、戦争に反対してきたリンドバーグら孤立主義者たちも開戦に賛成せざるを得なくなり、それまでバラバラだったアメリカの世論は戦争に向けて一つに団結してしまう。山本五十六の真珠湾攻撃は、正に「飛んで火にいる夏の虫」だったわけだ。せめて、真珠湾にアメリカの空母部隊が停泊していて、これを全部沈められたのなら、もうちょっと善戦できたかもしれないが、旧式戦艦を数隻沈めただけでは割の合わない作戦だった。

 リンドバーグの反戦演説を読んだルーズベルトは、「奴はナチだ。」「まるでゲッペルスが書いたような演説だ。」と罵ったと言われている。ルーズベルトはFBIを使ってリンドバーグの電話まで盗聴させたが、不審な点は見つからなかった。開戦後、リンドバーグは陸軍航空隊に志願するものの、ルーズベルトは拒否。已む無く、彼は民間人として南太平洋の戦場に赴いた。そこで、日本兵捕虜に対する連合軍の数々の残虐行為を目撃することになる。

 アメリカにとって日本との戦争は、ナチス・ドイツとの戦争に付随するオマケにすぎなかった。ドイツと開戦する口実を作るのために、ナチスからユダヤ人を救うために、日本はアメリカとの戦争に引きずり込まれたのである。その結果、予期した以上の損害を連合軍に与えはしたものの、結局、最後は日本中を無差別に爆撃された挙句、ナチス・ドイツに使うために開発された原爆を2発投下されて無条件降伏する。因みに、原爆を開発するマンハッタン計画を主導したのは、あの「死の商人」デュポンだった。

 イギリスのチャーチルは、ヒトラーに勝つために、必死になってアメリカに参戦を懇願し、アメリカ国内での世論工作を行った。アメリカは参戦する口実を作るべく日本を挑発。死に物狂いになった日本は、大英帝国の東洋の拠点・シンガポールやビルマを占領し、インド兵捕虜を説得してインド国民軍を結成する。戦後、イギリスは彼らを処罰しようとした結果、インド全土に大反乱が発生し、結局、インド、ビルマの独立を認めざるを得なくなる。大英帝国を守るために、英独の局地戦にアメリカを引き込み、アメリカの参戦口実を作る為に極東の局地戦を合体させて遂に世界大戦にしてしまったチャーチルは、戦争には勝ったものの、大英帝国を崩壊させる原因を作っただけだった。

 日本人は過去の「戦争犯罪」を頓珍漢に反省ばかりして、開戦に至るメカニズムの科学的な分析をほとんどしていない。そんな有様で呪文のように憲法9条を拝み続けても、未来の戦争を防げるはずがないだろう。リンドバーグの反戦演説は、そんな冷徹な現実を物語っている

 


初稿:2017年12月23日

コメント

映画監督オリバー・ストーンと欧米リベラルの発想

2017-08-23 12:01:02 | 戦勝国史観


 「歴史通」9月号で、えのくちじゅん氏が映画監督のオリバー・ストーンについて書いている記事が興味深い。オバマ大統領の広島訪問に、ストーン監督のドキュメンタリー「語られなかったアメリカ史」が影響を与えたという推測の下、その内容を解説している。

hyoshi


 戦勝国アメリカを絶対正義とし、敗戦国日本を悪とする「戦勝国史観」に疑問を持つ日本人にとって、アメリカ史の闇を描くストーン監督の作品は絶対に見るべき必須映画である。ケネディ暗殺を描いた「JFK」や、ウォーターゲート事件を扱った「ニクソン」は、何度も何度も繰り返して見たものである。特に、ケネディ暗殺はアメリカ史最大の謎であり、陰謀論とはいえ、かなり真実に迫った内容である(映画では、CIAのY将軍が暗殺を指揮したように描かれている。Y将軍のモデルは、エドワード・ランズデール空軍少将だが、私の予想では、犯人は別人)。

stone2kkk

 ケネディ暗殺はアメリカ史のタブーではあるが、映画「JFK」の影響もあり、暗殺の背後に陰謀が「あった」と考えるアメリカ人が、「無かった」とする人より多くなっている状況なので、最早タブーではないかもしれない。一方、第二次世界大戦のアメリカの正義を否定することは、未だに絶対的なタブーであり、ストーン監督の「語られなかったアメリカ史」は相当の物議を醸した。そもそも放映してくれるテレビ局やスポンサーがなかなか見つからず、大手メディアには無視され、内容的にも「歴史修正主義」と非難された。

CjiUtwGUkAIm215
ピーター・カズニック教授


 この「語られなかったアメリカ史」において、歴史検証を担ったのがアメリカン大学歴史学部のピーター・カズニック教授である。アメリカのタブーを破り、「原爆投下の正当化」神話に鋭いメスを入れた学者ではあるが、彼の南京事件に関する記述を見ると、以下の通り、日本を悪とする旧態依然とした陳腐なプロパガンダから全く進歩しておらず、がっかりさせられる。彼のようなアメリカのリベラルな学者にとって、第二次世界大戦のアメリカの正義を否定する勇気はあっても、敗戦国日本を「悪」だと決めつけるプロパガンダの汚名を晴らす発想は皆無だったりする。
 

 stonepp

 何故、このような発想になるかというと、彼らの左翼的なイデオロギーが原因だろう。欧米のリベラルが開花したのは、ベトナム反戦運動。ベトコンなど共産勢力にシンパシーを持ち、アメリカ帝国主義と闘った彼らにとって、保守層から「歴史修正主義」と非難されようとも、第二次世界大戦におけるアメリカの正義を否定するところまでは踏み込む勇気がある。だが、第二次世界大戦に勝利した共産勢力の正義だけは絶対不可侵なのであり、その正義の裏付けとなる敗戦国の戦争犯罪に関して、見直す気など更々ない。寧ろ、日本人が南京大虐殺や慰安婦強制連行を否定しようとするならば、ヒステリックに「歴史修正主義者!」のレッテルを貼ってくるだろう。

hgaajdklajld

左から、カズニック教授、ストーン監督、ジャパン・フォーカスのマクニール記者
 ピーター・カズニック教授は反日サイト・ジャパン・フォーカスと組んで反沖縄米軍基地運動にも熱心に取り組んでいる。2013年、ストーン監督と一緒に来日した時は、外国特派員協会で記者会見をし、日米同盟を批判すると同時に、なぜか安倍首相批判をブチ上げていた。戦後の日米関係を”problematic”、安倍首相を「歴史否定主義者」「軍国主義者」と決めつけ、日本は南京虐殺と慰安婦問題を直視し、憲法9条を順守して、アメリカから決別するべきだ!と、まるで日本共産党のようなことを主張していた。カズニック教授と共著がある田中利幸や乗松聡子は、ジャパン・フォーカスのエディター。この二人はストーン監督の広島・沖縄訪問にそれぞれ同行している。記者会見の司会をしているマクニール記者ジャパン・フォーカスである。

img_0kkk

sdjgaljlajeiajifejaie
広島平和記念資料館でストーンとカズニックを案内した田中ユキは、慰安婦問題で悪名高い


Untitled

沖縄でストーンとカズニックを案内する乗松聡子
 「歴史通」9月号の別の記事で、元海兵隊のマックス・フォン・シュラー氏が気になることを書いている。アメリカ共産党が岩国基地内でスパイ活動をしていたという内容。彼らは「パシフィック・ニュース・サービス」という新聞社を隠れ蓑にして、安保条約を潰す活動をしていたとのこと。そう言えば、
ジャパン・フォーカスも、「アジア・パシフィック・ジャーナル」という別名を持っている。単なる偶然だろうが、ジャパン・フォーカスも左翼の巣窟。記者や大学教授を隠れ蓑にして、政治活動をしている輩ばかり。安保条約でも一致している。

maxcomaaaa

 
 大多数のアメリカ人にとって、第二次世界大戦は「良い戦争」であり、「アメリカの正義」を否定する行為は「歴史修正主義」。左翼の一部には、アメリカの正義をベトナム戦争同様、否定するところまでは踏み込むが、「日本の戦争犯罪」と否定する行為は
「歴史修正主義」。日本の左翼同様、所詮、反戦平和運動はリベラルによる政治活動の方便であり、彼らが反対する「戦争」とは、共産主義を阻止する戦争だけ。共産主義が勝利した戦争にまで反対する気などは全くないのである。アメリカ帝国主義のアジアにおける最大の要が日米同盟であり、日米を離反させる絶好のトピックが日本の歴史問題。アメリカの正義を信じるアメリカ人にとって、悪逆非道の日本人を象徴する慰安婦問題は、簡単に信じてしまいがちなプロパガンダ。慰安婦問題が全米に拡大すれば、日本人の米国への反発が高まり、アメリカの戦争犯罪を暴こうとする方向にエネルギーが傾きかねない。だからこそ、中国は歴史問題に相当の力を入れてきたわけだが、アメリカのリベラル勢力も同様の動きを見せる。それがストーン監督やカズニック教授、それと連携するジャパン・フォーカスの活動から透けて見える。

CjmHnUFUkAUWUNh


 日本人は広島を訪問したオバマ大統領の勇気に感動し、絶賛するが、オバマが代表するアメリカのリベラルが親日的だと勘違いしたら大間違いである。憲法改正しようとする安倍政権を批判し、圧力を加えてくるのは、欧米のリベラル学者やメディア。彼らの偶像がストーン監督であり、彼らの狙いは米軍の沖縄撤退である。大統領であったオバマは、当然のことながら軍の利権を無視することができず、辺野古移転計画を日本政府と一緒に進めてきたが、大統領を引退して平和活動家になったら、何をするか分からない。鳩山化することは容易に想像できる。広島で平和運動をしている日本人の多くが共産党系であるのと同様、原爆投下を自己批判するアメリカ人も、戦争犯罪を単に悔いているのではなく、左翼思想に取りつかれているだけだったりする。オバマが広島に行ったのだから、日本は中国、韓国に永久に謝罪しろ、と言いかねない。オバマの広島訪問にぬか喜びすることは、残念ながらできない状況にある。


続きは、『オリバー・ストーン監督の「語られなかったアメリカ史」感想
 

コメント