第二次世界大戦は大変複雑な戦争であり、様々な側面がある。先発帝国主義国(英仏米)vs後発帝国主義国(日独伊)、欧州覇権争い(英仏独)、反共国家(日独)vs共産国家(ソ連)+アメリカ容共政権(ルーズベルト)、反ユダヤ国家(独)vs親ユダヤ国家(英米)、帝国主義国家vs植民地独立運動(日中戦争)、国共内戦(中国)、太平洋覇権争い(日米)、油田争奪戦(バクー油田、蘭印油田)、などなど。
だが、第二次世界大戦を精査する上で、見落とされがちであるものの影の立役者として、「死の商人」の存在がある。「死の商人」とは、狭義では兵器や軍需品を作る会社に対する蔑称だが、広義では戦争当事国に戦費を融資する銀行、投資家を含む。1961年、アイゼンハワー元大統領は退任のスピーチで、軍産複合体の危険性について説いた。軍産複合体とは、「死の商人」である軍需産業やウォール街の金融業者と大学、軍部などが一体になって、それぞれの利益のために国家を戦争に引きずり込むシステムなのだが、アメリカに軍産複合体が誕生した切っ掛けこそ、第一次・第二次世界大戦だった。だが、第二次世界大戦では、その輝かしい勝利に幻惑されて、「死の商人」が果たした邪悪な役割について語られることは極めて稀である。
モルガン銀行と第一次世界大戦。 pic.twitter.com/1ncZwA7Twz
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1914年、第一次世界大戦が欧州で勃発した当時、アメリカの対独世論はそれほど悪くなかった。だが、勝利のためにアメリカの参戦を必要としたイギリスは、アメリカ国内で反ドイツ感情を煽る様々なプロパガンダ工作を行った。「レイプ・オブ・ベルギー」と称して、ドイツ軍がベルギーで住民を虐殺したと喧伝したりもしている。「レイプ・オブ・××」や「リメンバー・××」など、第二次大戦の時と全く同じプロパガンダの手法が使われた。やがて、英仏に巨額の戦費を貸したウォール街の銀行家たちも、政府にアメリカの参戦を求める圧力をかけるようになり、1917年、遂にアメリカはドイツに宣戦布告する。
戦争そのものは、陰惨で地味な塹壕戦であり、アメリカ人にとって勝利の感激も薄く、ただ多くの若者たちが死んだだけの不人気な戦争だった。だが、1934年、アメリカで“Merchants of Death”というノンフィクション本が出版され、実は多くの軍需産業、金融業者があの戦争で莫大な利潤を得ていたことが社会問題となった。「死の商人」という言葉が広く使われるようになったのは、これが切っ掛けである。
その“Merchants of Death”が、第三章を丸々使って詳しく説明しているのが、火薬メーカーのデュポンである。デュポン一族は元々、フランス出身だが、アメリカに移住後、南北戦争など数々の戦争を通じて「死の商人」として成功していく過程が描かれている。そして、第一大戦中、デュポンは連合軍が使用した火薬の実に40%を供給し、莫大な利益を上げた。こうした「死の商人」に対する国民の怒りと疑惑の高まりから、アメリカの参戦に軍需産業が関与していたか否かを調査する「ナイ委員会」が議会に発足し、デュポンなど多くの「死の商人」たちが公聴会に呼び出された。
「死の商人」デュポン。 pic.twitter.com/0QOM6VAvQH
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こうした最中の1935年、今度はアメリカ海兵隊の退役少将、スメドレー・バトラーが、“WAR IS A RACKET”(戦争はペテンだ)という小論を発表する。バトラー将軍はその軍人人生を通じ、中南米、フィリピン、中国、欧州など、アメリカがこれまでしてきた帝国主義戦争のほとんどに参加し、数々の栄誉を受けた伝説的な英雄だったが、自分がアメリカ企業の金儲けの走狗に過ぎなかったことを悟り、退役後、反戦運動家に転じることになる。この本の中で、バトラーは「死の商人」デュポンについてこう言及している。
例えば我らが友、爆薬メーカーのデュポン。最近、その代表の一人が上院委員会で、「デュポンの爆薬で戦争に勝った」だの、「民主主義のために世界を救った」だのと証言したのを覚えているだろう。第一次大戦で、この会社は何を得たか。(中略)一九一四年から一八年までの第一次大戦中、なんと、年間5800万ドルの利潤をあげている。通常の一〇倍近い。通常でさえ、かなり良い利益を得ていたのに、それが950%以上も増えたのだ。
「死の商人」は、新聞経営にも大きな影響を持っている。多くのローカル新聞社を所有し、大手メディアでさえ広告費の名目で報道をコントロールすることができた。報道機関が「死の商人」や国家の戦争宣伝に使われる実態をバトラーはこう語っている。
大戦では、われわれは若者たちが徴兵に応じるよう、プロパガンダを使った。入隊しないのは恥だ、と思わせたのである。戦争プロパガンダは醜悪で、利用できるのは神様さえ利用した。ごく少数の例外を除いて、聖職者たちも「殺せ、殺せ。殺せ」という合唱に参加した。ドイツ人を殺せ。神はわれわれの味方だ。ドイツ人が殺されるのは神の意志だ、と。ドイツでも、よき牧師は、神を喜ばせるために敵を殺せ、と人々に説いた。これは、人々の戦意と殺意を高めるための、一般的なプロパガンダだった。死ぬために戦場に送られる若者たちのために、すばらしい理想が描かれた。「すべての戦争を終わらせるための戦争」とか、「世界を民主主義にとって安全にするための戦争」とか。彼らが戦場にでかけ、彼らが死ぬことが、莫大な利益を生むことを誰も彼らに言わなかった。彼らは、国内にいる自分たちの兄弟が作った銃弾で倒れるかもしれないのに、それは誰も彼らに告げなかった。彼らの乗った船は、米国の特許を得て建造された潜水艦によって撃沈されるかもしれないのに、誰もそれを言わなかった。彼らが言われたのは、「すばらしい冒険」になるということだけだった。
巨利を求める「死の商人」がアメリカを戦争に引きずり込むカラクリに気づいてしまったバトラー将軍は、来るべき日米戦争も予見していた。真珠湾攻撃の約6年前である。
1904年の日露戦争で、我々は旧友ロシアを見捨て、日本を支持した。当時、極めて寛容な米国の銀行家たちが日本を財政的に支援した。ところが、今は、反日感情をかきたてようという方向に向かっている。(中略)
対中貿易を救うため、あるいはフィリピンへの民間投資を守るため、我々は反日感情を煽られ、日米戦争をけしかけられる。何千億ドルかかるか、何万人もの米国人が命を失い、何万人もの人が身体に障害をきたすか精神のバランスを失うかも知れないのに。もちろん、この損失と引き換えに、メリットもあるだろう。何百万ドル、何億万ドルもの利益が入るだろう。ごく少数の人々にだけ。兵器メーカー、銀行家、造船業者、製造業者、精肉業者、投機家。彼らは大もうけできる。彼らは、次の戦争を待ち焦がれている。当然だろう。戦争はいい商売になるのだから。しかし、殺される男たちは何を得るのか。彼らの母親や家族、妻や恋人たちは、どんなメリットがあるだろうか。彼らの子どもたちは?戦争で大儲けするごく少数の人々以外に、誰が儲かるだろうか。
幸か不幸か、バトラー将軍は、真珠湾攻撃の前年にガンで亡くなった。
ルーズベルト大統領の息子がデュポン家の娘と結婚した話は知らなかった。デュポンは火薬メーカーから発展し、南北戦争、世界大戦で巨利を得た死の商人。原爆開発にも関わっている。だが、娘は後に離婚。自殺している。 pic.twitter.com/mG8WDdKXMX
— CatNA (@CatNewsAgency) 2017年8月27日
<textarea class="script_source"></textarea>1937年、デュポン一族の令嬢エセル・デュポンが、時の大統領・ルーズベルトの四男と結婚する。戦争に利潤を求める「死の商人」と、ユダヤ系で容共・反ナチスのルーズベルトは、同床異夢の関係だった。真珠湾攻撃後、デュポンは原爆を開発するマンハッタン計画に参加する。「死の商人」として国民の恨みを買うことを恐れたデュポンは、実費を除いた利益を僅か1ドルとする契約をアメリカ政府と結び、「愛国者」をアピールする。戦後、ソ連との協調路線が破綻し、冷戦が勃発すると、デュポンは共産主義を敵とする冷戦の中に新たな商機を見出していくことになる。
デュポン家とルーズベルト家とマンハッタン計画。 pic.twitter.com/tyxzitEXjA
— CatNA (@CatNewsAgency) 2017年12月20日
第二次大戦後は第一大戦後と違って、「死の商人」への批判はあまり発生しなかった。敵が無条件降伏するまで徹底的に破壊し、戦後、敗戦国の「戦争犯罪人」を断罪する法廷ショーを強行することで、完全勝利のカタルシスを国民に与えたからであろう。アメリカ以外の全ての工業先進国が戦争で破壊されたことにより、戦後、アメリカのGDPは世界の半分以上を占めるに至り、経済的メリットも計り知れないものがあった。「正義」の戦争に勝った栄光と、経済的成功の両方を得ることができた戦争だった。普通なら戦争に反対する左翼リベラルも、共産主義国と組んでナチスと戦った戦争を「正義」と見なした。かくして、第二次大戦はアメリカで「良い戦争」(The Good War)と呼ばれるようになる。多くの米兵が死傷したが、家族を失った者も、障害を負った者も、「正義」の戦争に参加したことを誇りに思い、正義の戦争の熱心な信奉者となった。世界大戦で巨利を得た「死の商人」を恨む者はほとんどなく、バトラー将軍の反戦主張や「死の商人」批判は、ほとんど忘れ去られてしまった。ただ、彼の名前のみ、沖縄の米軍基地の名称として残っている(キャンプ・バトラー)。反戦活動家が、危惧していた日米戦争の「報酬」として得た軍事基地に名前を残すとは、何という歴史の皮肉だろうか。
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