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マリアと共に歩む(2)

2020-10-24 06:17:07 | 信心
男子跣足カルメル会『カルメル山の聖母 - スカプラリオを理解するために』ドン・ボスコ社

◆18、マリアと共に歩む(2)

 マリアの偉大な崇敬者であり詩人であったモンフォールの聖者は、聖母について言いました、「マリアは、神であり人でもあるお方をごく自然に形造るために、聖霊がおつくりになった、神を写し出す偉大な模範である」と。だれもマリアに近づくことが出来ます。マリアは生き生きとした、血の通った、純粋な神の似姿、愛である神の肉身をもった似姿です。それは、イエズスが私たちの一人となるために、マリアを通してそうされたからで、神の母は、こうして人類を抱擁し、その涙をぬぐい、傷を癒し、永遠を指し示すみ摂理の手となったのです。

 しかし私たちは聖霊によって、新しい人として形成されて行くために、聖霊にみたされた母マリアに子として自分をゆだねなければなりません。マリアは私たちのうちにイエズスを形成するための型であり、モンフォールによれば「この型は三位一体の神によって完全に仕上げられており、自分をこの型に流しこんでさからわない人は、イエズスにかたどられて完全な人となる。」神であり人であるイエズスが、知恵と恵みのうちに成長するよう世話をされたマリアは、私たちが完全になるまで、私たちの内にある人間的、神的な可能性を育てあげることを知っておられるはずです。三位一体の崇高な富に与っている聖母は、人にキリストを与える使命を永遠なるお方から受けたのです。愛の条件である私たちの自由を尊重しながら、マリアは私たちを自分の道へ招き、そこを通って最高の生命へ私たちを導こうとするのです。マリアは愛である神の母であるばかりか、また私たちに神を「解説」するお方、私たちに神を悟らせるために開かれた本でもあるのです。なぜならマリアは本のように沈黙していますが、神のことばイエズスは、そこに書かれ、世界がそれを読みとるのを待っているからです

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