
ミカエル・モスカ神父訳『わたしは亡びた』、2
◆1、わたしは亡びた
わたしには、アンネッタという友人がいました。わたしが商社に勤めていたとき、職場で知り合った人でした。アンネッタは、結婚すると会社を辞めていきました。わたしたちは、友人というより職場の親しい仲間でした。
1937年の秋、わたしは、ガルダ湖畔の山荘で休暇を過ごしていました。そのわたしのもとに、母から一通の手紙が届きました。それは、「落着いて聞いてください。アンネッタが自動車事故で亡くなりました。昨日、ワルドフリードホフ(森の墓地)に葬られました」という、アンネッタの思いがけない死を知らせるものでした。
わたしは不安になりました。アンネッタが、教会から遠ざかっていたことを知っていたからです。突然の死を迎えたアンネッタに、その準備はできていただろうかと心配でした。
次の朝、わたしは、アンネッタのためにミサにあずかりました。ちょうどわたしは、修道女会経営の寮に泊っていました。わたしは、アンネッタの霊魂のやすらぎのために心から祈り、聖体拝領をしました。
ところが、その日は一日中気分が重く、夜になっても不安で、なかなか眠れませんでした。浅い眠りの中でドアを叩くあらあらしい音に、はっとして目がさめました。電気をつけて見ましたが、人影はありませんでした。時計の針は、夜中の12時をまわっていました。家の中はしんと静まりかえっていて、ただ、ガルダ湖の波音だけが聞こえていました。風のない夜でした。でも、目がさめたとき、戸を叩く音の他に、風のうなるような音を聞いたように思いました。わたしは、一瞬、不安にとりつかれて体を固くしましたが、アンネッタが突然死んだので、気持ちが落着かないのだわ"と自分に言いきかせ、練獄の霊魂のために”天にまします”の祈りをとなえて眠る努力をしました。
しかし、眠ろうとすればするほど、感受性はますます鋭くなって、深夜の周囲の物はみな、空間と時間を超えたもののように見えました。
わたしは起き上がると、いつもの朝よりずっと早く寮の御聖堂に行こうとして、部屋のドアをあけました。すると、バラバラと何枚かの紙片が床に落ちてきました。拾いあげてみると、アンネッタの、見なれた文宇で書かれた手紙でした。
”アンネッタだわ!”わたしは思わず叫びました。わたしは震えながら紙片を拾い集めました。喉がしめつけられるように感じました。わたしは、今は御聖堂へ行ってもお祈りはできないと悟り、外へ出ることにしました。
髪の乱れを少し直して、紙の束をハンドバックに入れて寮を出ました。ガルデザーナ通りを離れて、オリーブと月桂樹のっつく山道を登りました。ここからの朝の眺めはすばらしく、登るにつれて視界がひらけ、眼下に小島を浮べたコバルト色のガルダ湖が広がり、対岸には、2000メートル級のベルト山が灰色を帯びてそびえ、絶妙な美しさを見せていました。でも今のわたしには、なんの意味もありませんでした。
是非、フェイスブックのカトリックグループにもお越しください。当該グループには、このブログの少なくとも倍量の良質な定期投稿があります。ここと異なり、連載が途切れることもありません。
◆1、わたしは亡びた
わたしには、アンネッタという友人がいました。わたしが商社に勤めていたとき、職場で知り合った人でした。アンネッタは、結婚すると会社を辞めていきました。わたしたちは、友人というより職場の親しい仲間でした。
1937年の秋、わたしは、ガルダ湖畔の山荘で休暇を過ごしていました。そのわたしのもとに、母から一通の手紙が届きました。それは、「落着いて聞いてください。アンネッタが自動車事故で亡くなりました。昨日、ワルドフリードホフ(森の墓地)に葬られました」という、アンネッタの思いがけない死を知らせるものでした。
わたしは不安になりました。アンネッタが、教会から遠ざかっていたことを知っていたからです。突然の死を迎えたアンネッタに、その準備はできていただろうかと心配でした。
次の朝、わたしは、アンネッタのためにミサにあずかりました。ちょうどわたしは、修道女会経営の寮に泊っていました。わたしは、アンネッタの霊魂のやすらぎのために心から祈り、聖体拝領をしました。
ところが、その日は一日中気分が重く、夜になっても不安で、なかなか眠れませんでした。浅い眠りの中でドアを叩くあらあらしい音に、はっとして目がさめました。電気をつけて見ましたが、人影はありませんでした。時計の針は、夜中の12時をまわっていました。家の中はしんと静まりかえっていて、ただ、ガルダ湖の波音だけが聞こえていました。風のない夜でした。でも、目がさめたとき、戸を叩く音の他に、風のうなるような音を聞いたように思いました。わたしは、一瞬、不安にとりつかれて体を固くしましたが、アンネッタが突然死んだので、気持ちが落着かないのだわ"と自分に言いきかせ、練獄の霊魂のために”天にまします”の祈りをとなえて眠る努力をしました。
しかし、眠ろうとすればするほど、感受性はますます鋭くなって、深夜の周囲の物はみな、空間と時間を超えたもののように見えました。
わたしは起き上がると、いつもの朝よりずっと早く寮の御聖堂に行こうとして、部屋のドアをあけました。すると、バラバラと何枚かの紙片が床に落ちてきました。拾いあげてみると、アンネッタの、見なれた文宇で書かれた手紙でした。
”アンネッタだわ!”わたしは思わず叫びました。わたしは震えながら紙片を拾い集めました。喉がしめつけられるように感じました。わたしは、今は御聖堂へ行ってもお祈りはできないと悟り、外へ出ることにしました。
髪の乱れを少し直して、紙の束をハンドバックに入れて寮を出ました。ガルデザーナ通りを離れて、オリーブと月桂樹のっつく山道を登りました。ここからの朝の眺めはすばらしく、登るにつれて視界がひらけ、眼下に小島を浮べたコバルト色のガルダ湖が広がり、対岸には、2000メートル級のベルト山が灰色を帯びてそびえ、絶妙な美しさを見せていました。でも今のわたしには、なんの意味もありませんでした。
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