『シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著
★2、興味ぶかい事件 アルベルト・カスティリオニ神父
◆7、友人のおとずれ
こうして手術をうけたその翌日、東京でわたしといっしょに叙階されたデルゴル神父さまが訪れました。かれは、休暇でイタリアに帰り、その当時トリノにあったサレジオ会の本部にあいさつに行ったのでした。すると、布教地担当の長上から、「すぐにレニャーノ病院に行ってカスティリオニ神父さまを見舞いなさい。きっとそこで、かれの父に会うでしょう。まだ、だれも本当のことを告げる勇気がなかったのですから、あなたが、なんとかして、お父さんに知らせ、神のみ旨にまかせるように覚悟させてください」といわれたそうです。
デルコル神父さまは、そのとおりにしたのですが、死にかけているはずの病人は、かれの訪問を喜んでいるのです。それどころか、2~3日たっても、それ以上たっても、病人は死ぬどころではありません。
不思議がる医者たちの目の前で、わたしは、ますますよくなり、日ましに元気をとりもどしていきます。とうとう退院することができました。
冬ももうま近に迫っていたので、長上は、わたしを保養のためシチリア島のタオルミナ市のサレジオ会支部にまわしました。
おかげで、ますます元気になったわたしは、本部の長上に、ふたたび日本に渡る許可を願いました。わたしの希望は、インド経由でなく、米国経由でしたが、とにかく本部の目上は、許可を与える前に医者の意見を聞かねばならないといいます。
さっそく、わたしは、ガンデリー二先生を訪ねて、病気全快の証明書をつくってもらいました。ー最近、この書類を探してみましたが、どうもみつかりません。
さて、許可を得たわたしは、計画どおり米国にわたり、ボストン市のサレジオ会経営のドミニコ・サヴィオ高等学校に9か月滞在しました。そこでわたしは、信者の生徒の告解をきいて、すごしたのです。
よろしければ、フェイスブックのカトリックグループにもご参加ください。FBではここと異なり掲載が途切れることもありません。
★2、興味ぶかい事件 アルベルト・カスティリオニ神父
◆7、友人のおとずれ
こうして手術をうけたその翌日、東京でわたしといっしょに叙階されたデルゴル神父さまが訪れました。かれは、休暇でイタリアに帰り、その当時トリノにあったサレジオ会の本部にあいさつに行ったのでした。すると、布教地担当の長上から、「すぐにレニャーノ病院に行ってカスティリオニ神父さまを見舞いなさい。きっとそこで、かれの父に会うでしょう。まだ、だれも本当のことを告げる勇気がなかったのですから、あなたが、なんとかして、お父さんに知らせ、神のみ旨にまかせるように覚悟させてください」といわれたそうです。
デルコル神父さまは、そのとおりにしたのですが、死にかけているはずの病人は、かれの訪問を喜んでいるのです。それどころか、2~3日たっても、それ以上たっても、病人は死ぬどころではありません。
不思議がる医者たちの目の前で、わたしは、ますますよくなり、日ましに元気をとりもどしていきます。とうとう退院することができました。
冬ももうま近に迫っていたので、長上は、わたしを保養のためシチリア島のタオルミナ市のサレジオ会支部にまわしました。
おかげで、ますます元気になったわたしは、本部の長上に、ふたたび日本に渡る許可を願いました。わたしの希望は、インド経由でなく、米国経由でしたが、とにかく本部の目上は、許可を与える前に医者の意見を聞かねばならないといいます。
さっそく、わたしは、ガンデリー二先生を訪ねて、病気全快の証明書をつくってもらいました。ー最近、この書類を探してみましたが、どうもみつかりません。
さて、許可を得たわたしは、計画どおり米国にわたり、ボストン市のサレジオ会経営のドミニコ・サヴィオ高等学校に9か月滞在しました。そこでわたしは、信者の生徒の告解をきいて、すごしたのです。
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