『シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著
◆19、ムッソリー二との出会い
訪問者のなかで、とくに目立っていた人々のなかに、ムッソリー二がいます。ムッソリー二は、あの育名なイタリアの当時の首相です。そのときまで、ミラノのファシストの代表者たちは、さかんに司牧活動の邪魔をしていたし、カトリックアクションの青年会に、どれほどの妨げをしたか分りませんでした。でも、そのときかぎり、ぴたっと迫害をやめてしまったのです。
あれからみんなが"鋼鉄の同盟"と呼んだ同盟を、イタリアは、ドイツと結びました。
ところで、5月3日は、昔からの習慣で、ミラノに保存されていた、イエズスが十字架につけられたときの1本の釘を尊ぶ盛大な行列がありました。
ちょうどこの行列のときでした。シュステル・カルディナルは、大聖堂の入口に立つと、勇敢にも、はっきりと、こう宣言しました、
「イタリアが救われるのは、鋼鉄の同盟によってではありません。キリストの十字架だけがイタリアを救うのです」と。
二度目にムッソリー二と会ったとき、カルディナルが、ドイツにおける力トリック教会を守るようにたのみますと、ムッソリー二は答えました、「ヒットラーの頭には、三つの釘があって、だれもこれをひき抜くことはできません。その一つは、種族の問題、第二は、ヘブライ人に対する憎しみ、第三は、力トリック教会に対する迫害です」と。
カルディナルが最後にムッソリー二と会ったのは、戦争も終わりに近い頃で、ムッソリー二は、すでにドイッからもうらぎられて、希望がありませんでした。
自分の政府の役人たちとミラノにやってきたムッソリー二は、使いを出して、カルディナルに、「あなたに会いたいので、県庁に来て欲しい」といわせました。
カルディナルは、その使いに、「わたしは、カルディナルとしては、そちらに出向くことはできないので、あなたこ目身司教館においでください」とことづけました。
こうして、ムッソリー二が司教館を訪れると、そこにはイタリアの新政府の代表者が来ていました。ファシスト政府の降伏をとり扱うためでした。
カルディナルが、両方の陣営が自由に話し合えるように、部屋を出ようとすると、「いいえ、ここにいらっしゃってください、お願いします」とみんなが頼みました。
まもなく、両方から口論が沸騰して、憤慨のあまり、ビストルに手をかけようとしているのが見えました。カルディナルは、今度は、大きな威厳をもって、これを止めたのですqとにかく最後に、降伏状にサインを迫られたムッソリー二は、一時間の猶予を申し出て、県庁に帰って行きました。それは、夜の8時でした。
カルディナルは、ムッソリー二のために、どんなに戻ってはしいと願ったことでしょう。でも、かれは、9時になっても、司教館には姿をみせませんでした。
そして、恐れていた通りのことが起きたのです。ムッソリー二は、スイスに逃げようとして、途中でつかまり、もう容赦はありませんでした。次の朝、ミラノのある広場で殺されたうえ、逆さ吊りにされて、民衆のさらしものになったのです。
その噂はたちまち広まり、カルディナルの耳にも入りました。かれは、ひどく悲しみました。もうじっとしていられません。このようなことをした責任者に、抗議と嘆願をしました。
「なんということをするのです?こんなことは、野蛮人だけがすることです。恥しいと思いませんか。さあ、早く死骸をおろして、葬むりなさい。いや、お願いします。もし、おろさないなら、わたしが、広場に行って、自分で死骸をおろします」
もちろん、処刑者たちは、そうせざるを得ませんでした。もし、カルディナルに死骸をおろされでもしたら、民衆の反感を買うことになります。
よろしければ、フェイスブックのカトリックグループにもご参加ください。FBではここと異なり掲載が途切れることもありません。
◆19、ムッソリー二との出会い
訪問者のなかで、とくに目立っていた人々のなかに、ムッソリー二がいます。ムッソリー二は、あの育名なイタリアの当時の首相です。そのときまで、ミラノのファシストの代表者たちは、さかんに司牧活動の邪魔をしていたし、カトリックアクションの青年会に、どれほどの妨げをしたか分りませんでした。でも、そのときかぎり、ぴたっと迫害をやめてしまったのです。
あれからみんなが"鋼鉄の同盟"と呼んだ同盟を、イタリアは、ドイツと結びました。
ところで、5月3日は、昔からの習慣で、ミラノに保存されていた、イエズスが十字架につけられたときの1本の釘を尊ぶ盛大な行列がありました。
ちょうどこの行列のときでした。シュステル・カルディナルは、大聖堂の入口に立つと、勇敢にも、はっきりと、こう宣言しました、
「イタリアが救われるのは、鋼鉄の同盟によってではありません。キリストの十字架だけがイタリアを救うのです」と。
二度目にムッソリー二と会ったとき、カルディナルが、ドイツにおける力トリック教会を守るようにたのみますと、ムッソリー二は答えました、「ヒットラーの頭には、三つの釘があって、だれもこれをひき抜くことはできません。その一つは、種族の問題、第二は、ヘブライ人に対する憎しみ、第三は、力トリック教会に対する迫害です」と。
カルディナルが最後にムッソリー二と会ったのは、戦争も終わりに近い頃で、ムッソリー二は、すでにドイッからもうらぎられて、希望がありませんでした。
自分の政府の役人たちとミラノにやってきたムッソリー二は、使いを出して、カルディナルに、「あなたに会いたいので、県庁に来て欲しい」といわせました。
カルディナルは、その使いに、「わたしは、カルディナルとしては、そちらに出向くことはできないので、あなたこ目身司教館においでください」とことづけました。
こうして、ムッソリー二が司教館を訪れると、そこにはイタリアの新政府の代表者が来ていました。ファシスト政府の降伏をとり扱うためでした。
カルディナルが、両方の陣営が自由に話し合えるように、部屋を出ようとすると、「いいえ、ここにいらっしゃってください、お願いします」とみんなが頼みました。
まもなく、両方から口論が沸騰して、憤慨のあまり、ビストルに手をかけようとしているのが見えました。カルディナルは、今度は、大きな威厳をもって、これを止めたのですqとにかく最後に、降伏状にサインを迫られたムッソリー二は、一時間の猶予を申し出て、県庁に帰って行きました。それは、夜の8時でした。
カルディナルは、ムッソリー二のために、どんなに戻ってはしいと願ったことでしょう。でも、かれは、9時になっても、司教館には姿をみせませんでした。
そして、恐れていた通りのことが起きたのです。ムッソリー二は、スイスに逃げようとして、途中でつかまり、もう容赦はありませんでした。次の朝、ミラノのある広場で殺されたうえ、逆さ吊りにされて、民衆のさらしものになったのです。
その噂はたちまち広まり、カルディナルの耳にも入りました。かれは、ひどく悲しみました。もうじっとしていられません。このようなことをした責任者に、抗議と嘆願をしました。
「なんということをするのです?こんなことは、野蛮人だけがすることです。恥しいと思いませんか。さあ、早く死骸をおろして、葬むりなさい。いや、お願いします。もし、おろさないなら、わたしが、広場に行って、自分で死骸をおろします」
もちろん、処刑者たちは、そうせざるを得ませんでした。もし、カルディナルに死骸をおろされでもしたら、民衆の反感を買うことになります。
よろしければ、フェイスブックのカトリックグループにもご参加ください。FBではここと異なり掲載が途切れることもありません。