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11-10 第一回三頭政治の成立

2018-04-06 04:22:38 | 世界史
『古代ヨーロッパ 世界の歴史2』社会思想社、1974年

11 ローマ共和政の社会的変動

10 第一回三頭政治の成立

 紀元前六一年一月、ポンペイウスはローマに帰還し、彼の四十五歳の誕生日に当たる九月二十八日とその翌日、凱旋式が挙行された。
 彼はミトリダテスの財宝のなかにあったアレクサンダー大王のマントと伝えられるものを着用し、マケドニア人の世界支配がローマ人に移ったしるしとした。
 彼は軍隊を解散し、元老院尊重の態度を示し、東方における彼の施策の承認と約四万人の老兵への土地分配を求めた。
 しかしもはや軍隊のうしろだてをもたないポンペイウスを元老院は恐れず、東方における彼の施策を批准せず、紀元前六〇年に護民官のフラヴィウスの提案した土地法案も否決され、老兵への土地分配の道も断たれた。
 こうして閥族派の指導する元老院は、みすみすポンペイウスを反対陣営に追いこんだばかりか、クラッススと騎士層をも怒らせた。こうしてキケロの望んだ「諸身分の協和」は、急速にくずれていった。
 同じ年、イスパニアから帰還したカエサルも、元老院に凱旋式と執政官立候補の支持を要求し、これも元老院に拒否された。
 こうしてポンペイウス、クラッスス、カエサルの三人の実力者は、これまで親しい間柄でもなく、ポンペイウスとクラッススとはむしろ不和であったが、今や元老院に対抗して共通の利害をもつようになり、この年の中ごろ、いわゆる第一回三頭政治が成立、イタリアと属州に張りめぐらした勢力を基盤として、元老院を棚上げにしようとした。
 ポンペイウスは武勲による最大の権威をもち、クラッススは最大の富豪であり、カエサルはこの二人の支持により、五九年の執政官に当選した。こうしてローマ共和政は大きく変質してゆくのである。


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