アロイジオ・デルコル神父『神を探す心 ー 目に見えるものを通して』
◆9、個人的な生活では・・・
このことを、わかりやすく証明している事例がありますから、ここで、紹介しましょう。それは、神の存在を、自分では強く否定している人たちでさえ、自分の家庭の、その個人的な生活では、認めているということで、この人たちは、「神なんか存在するものか!」と、さかんに無神論を息まいているのに、いざ、自分の愛する子供が、朝晩の祈りを唱えないとなると、その子を叱るのです。
ところで、ヨーロッパに、この世紀の初め頃、無神論的な態度を最初にとったのは、フランスのインテリ階級でしたが、ここから、その影響が、全世界に、波紋のように広がっていきました。
まず、彼らが狙ったのは、神の存在のうえに立っているキリスト教の排斥です。彼らは、こう主張しました。
「神は、実際に存在するものではない。したがって、キリスト教は、抽象的になら、認めてもよい。それは、何を考えようと、人の心は、自由だからである。だが、神が存在しない以上、これを具体的にあらわす教会などというものはありえないし、あってはならない。なぜなら、それは、矛盾したことだからである」と。
そこで、この主張にしたがって、新しい法律が生まれ、それまで教会が経営していた学校は、男子の方も、女子の方も、全て国に没収されてしまいました。そして、そこで教えていた聖職者たちは、国から追放され、あるいは、スペインへ、あるいはイタリアへ、と逃れていったのです。
また、ある修道女たちは、修道服を脱ぎ捨てて、世俗に還えらねばならなかったのです。ところが、ここに、大変不思議なことが起きました。それは、こんな法律を国会で大いに支持し、それを通すのに、全力を尽くしたその人たちが、あとで、自分の娘たちの教育のためにとった態度です。彼らは、自分の娘を、シスターの教える学校に通わせていましたが、追放したため、もう、その学校はフランスにはありません。今度こそ、彼らは、宗教に関係のない公立学校に、娘たちを通わせるべきでした。
ところが、彼らは、娘の手を引いて、はるばると、外国にやってきました。ベルギーや、イタリアで、教会やシスターたちが経営していた学校に、その娘を預けるためです。もちろん、彼らは、宗教関係の学校に通わせるなんて言いません。
「フランスで勉強させるより、外国に留学させる方が、充実していいようだ」というような具合に、口実を見つけたのです。
また、イタリアに留学させた親たちともなれば、イタリアを軽蔑していたくせに、
「なんといっても最初の大学は、イタリアで始まったのだから。それに、中世紀のときから、イタリアは、文学と文化の中心となっているから、まあ、ここで子供が、勉強するとなれば、家のため、このうえない名誉だ!」とさえも言っていたのです。
しかし、本当の理由は、別のところにありました。すなわち、
国内の学校では、自分たちの指図どおり、無神論的な教育が施されているのです。
彼らは、一般の人たちのためなら、他人の子供のためなら、それでよい、と考えたのですが、いざ、自分の子供のことになると、どうも、そういうわけにはいかなくなったのです。
すると、彼らの態度は、矛盾していることになります。もし、彼らが、現に、自分で主張するように、神の存在をみとめていないのなら、また、キリスト教的な教育が国民に損害を与えるというのなら、なぜ、自分のかわいい子どもを、ちょうど、そのいけない、といっているキリスト教関係の学校に通わせるのでしょう。
もし、それが「手近にあるから、本当は嫌だけど仕方がない、便利だから」というのなら、まだわかります。ところが、まさに、その正反対だったのです。彼らは、手放したくない娘を、遠くに手放し、しかも、大変な費用をかけて、外国の学校に通わせるのです。それは、彼らが、裕福であるからこそできることで、普通の家では、夢にも考えられないことです。
ご覧のとおり、無神論を、あれほど強く主張した人たちも、すなわち、思想のうえで、抽象的には、それを支持していても、実際の生活では、自分でさえ、その無神論の信念を守ってはいないのです。
結局、彼らはこの事実をもって、自分の立場が間違っていることを、事実上、証明していることになります。
ご覧のとおり、無神論に、どれほどもっともらしい論証を与えても、土台がないのです。そして、土台がなければ、こんなにももろく、崩れ去ってしまうのです。結局、人は、神はいないからという実を作ろうとしても、言い逃れはできないのです。なぜなら、どんな人間でも、神を認めるために、自分のうちに、十分な知識を持っているからです。
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◆9、個人的な生活では・・・
このことを、わかりやすく証明している事例がありますから、ここで、紹介しましょう。それは、神の存在を、自分では強く否定している人たちでさえ、自分の家庭の、その個人的な生活では、認めているということで、この人たちは、「神なんか存在するものか!」と、さかんに無神論を息まいているのに、いざ、自分の愛する子供が、朝晩の祈りを唱えないとなると、その子を叱るのです。
ところで、ヨーロッパに、この世紀の初め頃、無神論的な態度を最初にとったのは、フランスのインテリ階級でしたが、ここから、その影響が、全世界に、波紋のように広がっていきました。
まず、彼らが狙ったのは、神の存在のうえに立っているキリスト教の排斥です。彼らは、こう主張しました。
「神は、実際に存在するものではない。したがって、キリスト教は、抽象的になら、認めてもよい。それは、何を考えようと、人の心は、自由だからである。だが、神が存在しない以上、これを具体的にあらわす教会などというものはありえないし、あってはならない。なぜなら、それは、矛盾したことだからである」と。
そこで、この主張にしたがって、新しい法律が生まれ、それまで教会が経営していた学校は、男子の方も、女子の方も、全て国に没収されてしまいました。そして、そこで教えていた聖職者たちは、国から追放され、あるいは、スペインへ、あるいはイタリアへ、と逃れていったのです。
また、ある修道女たちは、修道服を脱ぎ捨てて、世俗に還えらねばならなかったのです。ところが、ここに、大変不思議なことが起きました。それは、こんな法律を国会で大いに支持し、それを通すのに、全力を尽くしたその人たちが、あとで、自分の娘たちの教育のためにとった態度です。彼らは、自分の娘を、シスターの教える学校に通わせていましたが、追放したため、もう、その学校はフランスにはありません。今度こそ、彼らは、宗教に関係のない公立学校に、娘たちを通わせるべきでした。
ところが、彼らは、娘の手を引いて、はるばると、外国にやってきました。ベルギーや、イタリアで、教会やシスターたちが経営していた学校に、その娘を預けるためです。もちろん、彼らは、宗教関係の学校に通わせるなんて言いません。
「フランスで勉強させるより、外国に留学させる方が、充実していいようだ」というような具合に、口実を見つけたのです。
また、イタリアに留学させた親たちともなれば、イタリアを軽蔑していたくせに、
「なんといっても最初の大学は、イタリアで始まったのだから。それに、中世紀のときから、イタリアは、文学と文化の中心となっているから、まあ、ここで子供が、勉強するとなれば、家のため、このうえない名誉だ!」とさえも言っていたのです。
しかし、本当の理由は、別のところにありました。すなわち、
国内の学校では、自分たちの指図どおり、無神論的な教育が施されているのです。
彼らは、一般の人たちのためなら、他人の子供のためなら、それでよい、と考えたのですが、いざ、自分の子供のことになると、どうも、そういうわけにはいかなくなったのです。
すると、彼らの態度は、矛盾していることになります。もし、彼らが、現に、自分で主張するように、神の存在をみとめていないのなら、また、キリスト教的な教育が国民に損害を与えるというのなら、なぜ、自分のかわいい子どもを、ちょうど、そのいけない、といっているキリスト教関係の学校に通わせるのでしょう。
もし、それが「手近にあるから、本当は嫌だけど仕方がない、便利だから」というのなら、まだわかります。ところが、まさに、その正反対だったのです。彼らは、手放したくない娘を、遠くに手放し、しかも、大変な費用をかけて、外国の学校に通わせるのです。それは、彼らが、裕福であるからこそできることで、普通の家では、夢にも考えられないことです。
ご覧のとおり、無神論を、あれほど強く主張した人たちも、すなわち、思想のうえで、抽象的には、それを支持していても、実際の生活では、自分でさえ、その無神論の信念を守ってはいないのです。
結局、彼らはこの事実をもって、自分の立場が間違っていることを、事実上、証明していることになります。
ご覧のとおり、無神論に、どれほどもっともらしい論証を与えても、土台がないのです。そして、土台がなければ、こんなにももろく、崩れ去ってしまうのです。結局、人は、神はいないからという実を作ろうとしても、言い逃れはできないのです。なぜなら、どんな人間でも、神を認めるために、自分のうちに、十分な知識を持っているからです。
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