からくり儀右衛門
前回の「倍返し?」で、
「武器の本当の威力というのは刃傷沙汰への牽制」
ということの例示を試みた。
「本当は日本が怖くて仕方がない中国」というサイトによれば、
中国の歴史は (ここは、正確には「大陸の歴史」。中国という歴史は60年強。)
戦闘の歴史そのものであった、との認識を踏まえ
「どの国においても軍事力は欠くべからざるもの」
であるが、特に、本音として
「日本の軍隊はムチャクチャ強かったから、怖い」
という声を紹介している。
どれだけ武器を多くしても、本質的には勝てないと知っている。
「ムダと思えるところにも金と時間と手間をかけ、妥協を許さない日本には到底かなわない」
という実感も吐露している。
日本刀のこんな技を見れば、余計にビビるだろう。(YouTube 2分58秒)
下記は、日本の番組から(動画 2分01秒)。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=-CYoI6Bpjmo
さりげなく、力を見せつけておくことは、
変な気を起こさせないという、心理的な威嚇だ。
日本のものづくり は定評あるところだが、
そのルーツとされるのが、「からくり人形」。
弓曳童子(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=-JV--AwLxiE
茶運び人形(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=la9X6pFjlOM
のちに「弓曳童子」の制作者となる田中久重は、江戸時代末期に筑後国の
べっこう細工を家業とする家の長男として生まれた。
べっこう細工は、そのほとんどに金属細工がほどこしてあり、
べっこう細工職人=金属細工 としても長けた職人であった。
久重と「からくり人形」との出会いは、自宅近くの五穀神社の例祭だったが、
からくりの仕組みに魅せられた久重は、自ら からくりを考案・作成し、
いつしか そのことが世に知られるおととなり、「からくり儀右衛門」と
呼ばれるようになった。
晩年の久重は、日本初の蒸気船などの数々の開発に携わり、明治期に入ると、
現在の「東芝」の前身となる田中製造所を設立したのだった。
久重が銀座に開いた工場兼店舗には
「万般の機械考案の依頼に応ず」
と書いた看板が掲げられていた。
「東芝科学館」の歴史コーナーには、
「東芝のルーツ」や、「田中久重ものがたり」 など、
先人の足跡が紹介されている。