写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

北陸の雪

2014年01月06日 | 日記

 

 

世界有数の豪雪地帯

 

 

北國新聞(富山新聞)の、きょうのコラム「時鐘」 2014年1月6日より。

 

  津軽に降る「七つの雪」を太宰治が書いていると教わった。

  小説『津軽』の冒頭に「こな雪つぶ雪わた雪みず雪かた雪

  ざらめ雪こおり雪」とある(中略)

  当地でなじみの「ぼた雪」がない。「わた雪」がそれで、

  湿り気の多い大粒の雪は、津軽では軽い綿のように降るのだろうか

 

  「ぼた雪が降ってきた」と首都圏に暮らす知人に教えたら、

  「ああ、牡丹雪か」と言われた。しっかり積もって雪すかしの

  覚悟を迫る雪を、よその人から華やかな花に例えられ、

  面食らってしまった(以下、略)

 

 

これだけの量の雪が降る地域は、世界的にみてもほとんどない という。

 

 

雪というのは、雲の中で非常に小さい氷の粒(氷晶)ができる

ところから始まる。雲の中で大きくなる時点では、ほとんどは雪。

 

落ちてくる最中に気温が高いと融けて雨になるし、融けないで

落ちてくるのが雪で、半分融けているのがみぞれ。雲の中で

起きていること自体はすべて同じなのだが、その雲ができるためには

日本海の比較的あたたかい海面から、どんどん蒸発した水蒸気が

大陸からの冷たい風がぶつかり、雪を降らせるような雲になる。

 

キーワードは、冷たい風と、暖かい海水だ。

(「日本の半分が大雪になるわけ」 より)

 

 

これを、日本海の生成過程と絡めて考察すると、

 

気候の大変動と歴史の分岐点 に記された、約5万年前からの

花粉の様子から、約33,000年前にはスギやブナなどの花粉が

急減し、12,000年前にはブナやスギが再び多くなっているのだ

という。

 

 

要約すれば、

これは、33,000年前ごろを境に、世界的に気候の激変があり、

気候が寒冷化し、海面の低下が起こって、日本列島は大陸と

陸続きになった。

 

当然、樺太と北海道も陸続きになったため、バイカル湖周辺の

ブリヤート人が樺太経由で日本列島に流入し、日本人の起源となった。

 

これは、遺伝子学や考古学から確立されてきたものであり、

世界最古の土器も日本で見つかっていて、最古の文明は

日本ではないかとも言われている(土器は、石器と違って、

土をコネて、「火」安定的に使いこなす技がないと作れない・・・)

のだが、これらは 「雪」の話題からはずれてきたので、

軌道修正しなきゃ・・・。

 

 

日本列島が大陸と陸続きになったため、日本海には

対馬暖流が流入しなくなり、水蒸気も大幅に減少、

その結果、雪雲が出来なくなり、日本海側では

少雨化・乾燥化したと考えられている。それが、スギやブナなどの

花粉が急減した原因だったのだ。

 

 

33,000年前に地球が寒冷化し、日本海の海面低下が起き、

日本列島は大陸と陸続きになったのだが、12,500年前には

逆に、急速な地球温暖化が始まり、氷河時代が終わって、

暖かい対馬暖流が日本海に注入してくるようになる。そして、

三方湖の周辺にはブナやスギが再び生い茂るようになる。

 

氷河時代には、海水面が120~140メートルも下がって

対馬暖流の流入を阻んでいた対馬海峡が、海水面の上昇で、

再び日本海に 南の暖かい海水を注ぎ込み始め、

そこに、北西の冷たい季節風にぶつかって大量の水蒸気を発生し、

日本海側を雪の多い湿潤な気候にし、その気候に適したブナや

ナラ類の落葉広葉樹林が 急拡大してきたのである。

 

温暖化が豪雪地帯を生み出した・・・

寒いから雪かとばかり思っていたのに・・・なんなんだ、この

やるせないような気持ちは?・・・・

 

(参考)

第1回 世界一の「豪雪国」、日本の現実

第2回 日本の半分が大雪になるわけ

第3回 雪国の冬を安全、快適に過ごすために

第4回 雪に弱くなった雪国

第5回 雪に慣れない都市部に潜む雪害のワナ

 

(花粉分析)

気候の大変動と歴史の分岐点