写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

募金詐欺

2016年04月24日 | 随想

野球中継で、切羽詰ったカウントと言えば2ストライク3ボール・・・かと思っていたら、最近ではカウント方法が「ボール・ストライク・アウト」の順でコールされたり表示されたりするとのこと。しかも、「ホ~っ、3ボール2ストライクってカウントするのか・・・」と思っていたら、その場合には単に「フルカウント」と呼ぶのだそうで・・・。国際大会での呼び方に2011年から合わせるようになったから、だという。

 

ラグビーで「ノーサイド」と言えば試合終了を意味する、というのがニッポンの常識だったそうだが、これもガラパゴス的使い方だったようで、「ノーサイドってなんですか?」というのが海外の反応らしい、とのこと。世界的には試合終了は「FULL TIME(フルタイム)」が一般的とのことである。

ノーサイド(no side)」というのは、試合が終われば勝った側(SIDE)も負けた側(SIDE)もない(NO)ということを意味しており、試合終了後に両チームの選手やスタッフ、審判団や協会関係者などが一同に会して互いの健闘を称え、労をねぎらう「after-match function(アフターマッチファンクション)」という交歓会までがセット、というラグビーの精神を表している、とされている。

そのラグビーの専売特許のように語られることが多い言葉に、「all for one, one for all」というのがあり、和訳すれば「万人は一人のために、一人は万人のために」であるが・・・ん?これ、『共産党宣言』の精神そのものじゃないか!

・・・と思っていたのだが、リンク先の『共産党宣言』の中身を見てみても、内容としては、そんなフレーズが一切出てこない・・・。ん~、どうも、またまた思い込みと偏執の様相を呈してたようで、最近、そういうのが多いょなぁ。。。なんせ、アタマ(脳梗塞)2度もやってるからなぁ、どこかで記憶の糸が途切れたんかもしれない。

光、アレ・・・?」のところで、「岩波文庫の共産党宣言を読んだが、内容としてはほどほど良かったという印象がある」とは書いたものの、これも間違った記憶に基づく誤った内容の故なのかもしれぬ・・・。自信がなくなってきた・・・・。

・・・と思っていたところ、過激派組織「中核派」の機関誌「マルクス主義学習講座 『共産党宣言』をとらえ返す(下)」の中に載っていた。でも、こいつ等、自分たちのツゴーのいいように身勝手な解釈しかしないからなぁ・・・。まぁ、いろんなところで使われている言葉のようなので、気○いが使っちゃぁダメ、などということはないのだが・・・、ということで、このフレーズの出典を調べてみると、よく、アレクサンドル・デュマの小説『三銃士(Three Musketeers)』(1844年)の中で、三銃士が連帯意識を呼び覚ますモットーとして掲げた言葉がルーツである、という説が多く出てくる(「オール」って3人かよ?ということは一応無視しといて・・・)のだが、どうもその前に、17世紀初めの神聖ローマ帝国下のボヘミア(今のチェコ共和国)で起きたカトリックとプロテスタントの抗争で、プロテスタントの指導者が「たとえ命や手足、名誉や財を失ったとしても、ひとりは万人のために万人はひとりのためにと心に刻みつけ、一致団結して彼ら(カトリック)に立ち向かうことを誓う」と宣ったことがデュマの小説の中にも取り入れられたもののようである。

いずれにせよ、自分一人だけの力ではなく、人と協力した時に得られる大きな力の大切さを知るという意味で、「One for all, all for one」という言葉が世界中で愛されているようだ。確かに素晴らしいフレーズである、と思う(allとoneは、どちらを前に言うか、ということは気にしなくていいらしい。)。

 

ところで、「all for one, one for all」が共産党の専売特許ではないことがわかった訳だが、共産党が行っている「熊本地震 救援活動支援募金」と銘打った募金袋をよく見ると、左下に小さく囲って何か書いてある・・・・。

読み起こしてみると、「この募金は、救援物資の調達や届け、ボランティアなどにかかわる経費、および救援・復興にかかわる政治活動の経費など、現地の党組織の裁量で使える募金として日本共産党熊本県委員会に送る予定です。皆様のご理解とご協力をお願いします。」と書いてある。要するに、「救援活動のためという理由で集まったお金を共産党の活動資金としますよ」という、とんでもないことを書いているのである。おいおい、これは、レッキとした「募金詐欺」だろう (`ヘ´メ)

熊本地震 救援活動支援募金」ではなくて、「被災地にある共産党活動資金への募金」の活動をしている訳である。これはいただけない。

と、思っていたら既に「実績」があるようで、「熊本の被災地救援、北海道5区補選支援、党躍進のためにありがたく使わせていただきます。」などと、堂々とツィッターでぶち上げている(炎上したので消したらしいが・・・)。酷ぇ話だ。

 

だいたい、「共産党」というものが、どうも最近はソフトな甘言に惹かれて好意的に受け止められがちな風潮も見受けられ、そのことが女性の共産党議員も多いという現象とも無関係ではない、とも思われるのだが、実は今でも「破壊活動防止法(破防法)に基づく調査対象団体」であることが、2016年3月22日の閣議ででも決められている。共産党が「暴力革命の方針」を継続しているとの認識も示されている。公式の機関でそのように位置づけられるほど「危険」な政党であることは戦前・戦後の混乱期と全く変わっておらず、警察庁の「警備警察50年の歩み」のサイトでは「暴力革命の方針を堅持する日本共産党というページを割いて詳しく解説をしている。

なぜ共産党は嫌われているのか?-設立から振り返る」というサイトでは、「近年は暴力事件も起こしていなければ、綱領も現実路線に切り替わってきているが、それがどこまで『共産党の本心』なのか、共産党は本当に変わる気があるのか、多くの人がいまだ疑心暗鬼であることの表れが、『国民連合政府』構想の否定につながっているのだろう。」と結論づけしている。

その、「変わった」とされる現在の「日本共産党綱」と「日本共産党規約」だが、「階級」とか「搾取」とか、依然として被害妄想の思想から脱却していない。「左巻き」と揶揄される由縁である。

実は、「なぜ共産党は嫌われているのか?-設立から振り返る」というサイトでも、一番肝心な点が脱落しているのだが、それは何かと言うと、「日本共産党と在日韓国朝鮮人」との繋がりである。

 

日本共産党と在日韓国朝鮮人が引き起こしてきたテロの数々」より数例を挙げると・・・

・朴烈事件(大正12年):民潭創設者・朴烈が起こした天皇暗殺未遂テロ

・直江津駅リンチ殺人事件(昭和20年):満員列車で起きた在日による日本人リンチ殺害

・大阿仁村事件(昭和20年):在日鉱山労働者が栗林に無断侵入&警官と乱闘

・生田警察署襲撃事件(昭和20,21年):山口組成長のきっかけとなった在日による警察署占拠事件

・首相官邸デモ事件(昭和21年):生活物資の優先配給を求めた在日が暴徒化

・坂町事件(昭和21年):闇市の取締りに反発した在日による暴力事件

・新潟日報社襲撃事件(昭和21年):坂町事件の記事の撤回謝罪を要求した在日による暴行

・富山駅前派出所襲撃事件(昭和21年):犯罪人解放を狙った在日による警官襲撃

・長崎警察署襲撃事件(昭和21年):犯罪人釈放を目的とした在日集団テロ

・富坂警察署襲撃事件(昭和21年):犯罪人逃亡を企てた在日による警察署占拠

・尾花沢派出所襲撃事件(昭和22年):闇米を摘発された在日が派出所を襲う

・阪神教育事件(昭和23年):GHQが戦後初めて非常事態宣言を布告した大規模テロ

・評定河原事件(昭和23年):北朝鮮国旗掲揚を巡った在日と米軍憲兵との乱闘

・宇部事件(昭和23年):山口県宇部市における在日による生活保護要求テロ

・益田事件(昭和24年):密輸入物資隠匿で摘発された在日を巡る襲撃テロ

・枝川事件(昭和24年):集団窃盗犯逮捕に絡んで起こった在日による警察官暴行拉致事件

・高田ドブロク事件(昭和24年):密造酒醸造犯による脅迫暴行デモ

・本郷事件(昭和24年):朝鮮人地区の地図作成に対する在日の集団暴行

・下関事件(昭和24年):韓国政府の在外国民登録に反発した在日が暴徒化

・台東会館事件(昭和25年):朝連解散&朝連会館接収を拒否した在日が起こした公安事件

・連島町事件(昭和25年):朝鮮解放5周年集会に集まった在日による暴動

・長田区役所襲撃事件(昭和25年):在日が生活保護を要求して襲撃

その他、多数。

リンク先に縷々記されているテロ事件の数々を見れば、そして、これを未だ明確に反省も総括もしていない党の姿勢から見えてくるものは、目的としているのは日本における朝鮮社会の形成・浸透であり、そのための集まりが「日本共産党である、ということである。

そういうふうに見立てれば、「夫婦別姓」とか、「慰安婦」とか「虐殺」とか「植民地化」とか、日本では あり得ない、馴染みのないことばかりを前面に出してくる理由というものも、よ~く理解できてくる。「日本、死ね!」の政党と意識が共通する人たちの集まりなのだ。

野党にとっては藁でも掴みたい参議院議員選挙かもしれないが、このような共産党と手を組むという選択は、万に一つもあり得ないはずのものなのだ。

こういう事態を招いている原因の1つが、近現代史をきちんと教育・普及・研究させてもらえなかったという歴史がある、ということである。その理由としては、第二次大戦の敗戦国ゆえに、それらを止められてきた、という背景がある。戦争の被害というのは、こんなところにも及んでいるのであり、70年経っても、おそらく100年経っても、歴史が続く限りは呪縛から逃れられないだろう。