最近、新聞類の中で刮目すべきコラムというものにとんとお目にかからなくなった。どれもこれも、上から目線で知識の欠片をひけらかし、最後は政権への皮肉で締めくくる、というパターンがほとんどであり、どうにもいただけない。「ボケ」と「ツッコミ」というスタイルに凝り固まった漫才への嫌悪感とよく似ている。「ジャーナリズム」とは左巻きでなければ務まらぬ、とでも言いたげな印象を受ける。・・・で、どこに「軽減税率」が新聞に必須な理由があるのかと小一時間。。。
以前、「護国神社」のところで、「北國新聞 きょうのコラム「時鐘」執筆者は同世代であるせいか、共感が持てる。」と書いていたことがあったが、ネットに掲載してある「時鐘」は、その日のものしか見ることができず、まぁ会員登録か何かで過去のものは見ることができるのだろうが、その点に不満が残る。
もう1点、紙では横に小さく書かれているのだろうが、ネットではいちいちカッコをつけてルビが載っているが、これが余りにも多すぎて読むのが辛く、ウザい。
実際に2016年1月30日の『時鐘』で、見てみる。
銀行(ぎんこう)に預金(よきん)したらお金(かね)が減(へ)る。そんなバカな!と驚(おどろ)いたが、現実(げんじつ)になった。日銀(にちぎん)の発表(はっぴょう)した初(はつ)の「マイナス金利(きんり)」がそれだ
今は民間(みんかん)銀行が日本銀行に預金するお金が目減(めべ)りするだけだが、欧州(おうしゅう)の一部(いちぶ)では既(すで)に一般(いっぱん)預金者が銀行に預けるお金がマイナス金利になっているという。それでよく預金者がいるものだと思うが、支(ささ)えるのは銀行の信用度(しんようど)である
貸金庫代(かしきんこが)わりか。日本には「タンス預金」があるが、火事(かじ)に遭(あ)えばお札(さつ)は灰(はい)になる。盗難(とうなん)も心配(しんぱい)。マイナス金利でも預金しておけば銀行さえつぶれなければ現金(げんきん)が消(き)えるわけではない。しかし、マイナス金利の効果(こうか)は判断(はんだん)が難(むずか)しいのも事実(じじつ)だ
日銀の政策決定会合(せいさくけっていかいごう)で反対意見(はんたいいけん)が4人いたように専門家(せんもんか)でも意見が分かれる。社会(しゃかい)にお金を回(まわ)すつもりが「減るくらいなら現金が何より」と手元(てもと)に現金を置(お)く「銀行のタンス預金」が逆(ぎゃく)に増(ふ)えるという見方(みかた)もあるというのだ
「タンス」にも「銀行」にも縁(えん)の薄(うす)いわが身(み)でさえウロウロするのは「マイナス」という響(ひび)きの悪(わる)さである。「マイナス金利」が日本の景気(けいき)に「プラス」になるという理屈(りくつ)は確(たし)かに難しい。
まるで、「漢字を捨てた国」の皆さんにも読めるように「配慮」しました・・・と感じるのはちょっと穿った見方だろうか?
このコラム、「マイナス」という響きの悪さが景気に「プラス」になるという理屈が難しい、と締めくくっており、上から目線の結論ではないし、ウマいことはウマいのだが、たぶん「マイナス」×「マイナス」が「プラス」になる、という『理屈』のことはご存知ないだろうと推察する。
まぁ、個人的には、「マイナス金利」などという奇策ではなく、「王道」である「(消費税)減税」あるいは「(消費税)廃止」による景気浮揚策による税収増という道、しかないと思えるのだが・・・。
もう1つ。2016月1月31日の「きょうのコラム『時鐘』」。
もっと粘ると言われていた大臣が、あっさり辞任した。予想や先読みは往々にして狂う。品のないたとえを持ち出すなら、「当て事とフンドシは向こうから外れる」
外れると、恥ずかしさに身をよじることになるのだが、近ごろは「想定外」で済んでしまう。便利というか、都合が良すぎるというか。先の大相撲でも、大方の予想を覆(くつがえ)して、下馬評に上らなかった「弱い大関」が優勝をさらった
手元の辞書を引くと、城や寺社で馬を下りるところが「下馬先(げばさき)」。主人の帰りを待つ間、そこに集う供の者が交わす評判や品定めが「下馬評」とか。耳学問にたけた事情通とあって、一目置かれたようである
いまなら、駅前で客を待つタクシー運転手の四方山話(よもやまばなし)か。たまに乗り合わせてよく話題になるのが新幹線のこと。ブームは果たしていつまで続くのか。大いに気になる下馬評である
好ましからざる予想を聞かされると、思い切り外れろ、と願う。長く待たされた揚げ句、短いブームで終わるのでは、間尺(ましゃく)に合わない。下馬評が外れようが外れまいが、フンドシをきりりと締め直す時だろう。
ん?、ルビが最低限になっている。読みやすさが違う。日本語は、やはり、こういう漢字かな交じり文でなくっちゃぁ。
オリジナルの文章の中で、「当て事とフンドシは向こうから外れる」にリンクを張ってみたのは、「フンドシ」が「越中褌」でなければ意味をなさない、ということを示したかったからである。
「締め直す」にリンクを張ったのは、「ふんどしを締めなおすこと」という意味を持つ四字熟語で「緊褌一番」(きんこんいちばん)というのがあり、「緊褌」だけで「ふんどしを締めなおすこと」という意味を持つ、という紹介である。あっ、これらは別に「知識をひけらかす」ことが主旨ではなく、たまたまネットで見つけただけである。
因みに、一般社団法人日本記念日協会では、2月14日を正式に『ふんどしの日』として認定している。「1(ひぃ)、2(ふぅん)、3(みぃ)…、14(どぉしぃ)…と読めることから、2(ふぅん)月14(どぉしぃ)日を『ふんどしの日』とした」とのことである。
チョコレートを渡すあの日に便乗した訳ではないそうで、その日は「愛する人にふんどしを渡す日」である、と宣言している。