写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

からくり儀右衛門

2013年08月19日 | 日記

からくり儀右衛門

 

 前回の「倍返し?」で、

 「武器の本当の威力というのは刃傷沙汰への牽制」

ということの例示を試みた。

 

 

本当は日本が怖くて仕方がない中国というサイトによれば、

中国の歴史は (ここは、正確には「大陸の歴史」。中国という歴史は60年強。)

戦闘の歴史そのものであった、との認識を踏まえ

  どの国においても軍事力は欠くべからざるもの

であるが、特に、本音として

  日本の軍隊はムチャクチャ強かったから、怖い

という声を紹介している。

 

どれだけ武器を多くしても、本質的には勝てないと知っている。

  「ムダと思えるところにも金と時間と手間をかけ、妥協を許さない日本には到底かなわない」

という実感も吐露している。

 

 

 

日本刀のこんな技を見れば、余計にビビるだろう。(YouTube 2分58秒)

Real Samurai Sword Technique

下記は、日本の番組から(動画 2分01秒)。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=-CYoI6Bpjmo

 

さりげなく、力を見せつけておくことは、

変な気を起こさせないという、心理的な威嚇だ。

 

 

 

日本のものづくり は定評あるところだが、

そのルーツとされるのが、「からくり人形」

 

 

弓曳童子(動画

https://www.youtube.com/watch?v=-JV--AwLxiE

 

茶運び人形(動画

https://www.youtube.com/watch?v=la9X6pFjlOM

 

 

 

のちに「弓曳童子」の制作者となる田中久重は、江戸時代末期に筑後国の

べっこう細工を家業とする家の長男として生まれた。

 

べっこう細工は、そのほとんどに金属細工がほどこしてあり、

べっこう細工職人=金属細工 としても長けた職人であった。

 

久重と「からくり人形」との出会いは、自宅近くの五穀神社の例祭だったが、

からくりの仕組みに魅せられた久重は、自ら からくりを考案・作成し、

いつしか そのことが世に知られるおととなり、「からくり儀右衛門」

呼ばれるようになった。

 

晩年の久重は、日本初の蒸気船などの数々の開発に携わり、明治期に入ると、

現在の「東芝」の前身となる田中製造所を設立したのだった。

 

久重が銀座に開いた工場兼店舗には

  「万般の機械考案の依頼に応ず」

と書いた看板が掲げられていた。

 

 

 

 

「東芝科学館」の歴史コーナーには、

「東芝のルーツ」や、「田中久重ものがたり」 など、

先人の足跡が紹介されている。