写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

累乗(るいじょう)の はなし

2014年04月06日 | 随想

 

 

冪乗(べきじょう)ともいう

 

 

最近は3歳で掛け算の九九をやってるようだが、

ムカシは小学校3年生くらいではなかっただろうか?

 

たぶん、その時分、「にいちが2 ににんが4・・・」とか

やってるときに、曽呂利新左衛門の「コメ」のエピソードを

何かの本で読んだ記憶がある。

 

 あるとき、秀吉が新左衛門に褒美を、で・・・。

 秀吉:「新左衛門、何でも褒美のものをとらせよう。何がよいか?」

 新左衛門:「はい、それでは米粒をいただきとうございます。

    今日から将棋盤の目の数だけの日数、毎日いただきとうございます。」

 秀吉:「どのくらいほしいのじゃ?」

 新左衛門:「はい、今日は1粒、明日は2粒で結構でございます。

    毎日その前の日の2倍の米粒をいただきとうございます。」

 秀吉:「米粒だけでよいとは、おまえはなんと謙虚なやつじゃ。

    その願い確かにかなえようぞ。」

 新左衛門 :「ははっ。ありががたき幸せ。」

曽呂利新左衛門 より)

 

これ、昨今のbitとかバイトの話にもつながりそうだが、

10日後には1,000粒を超えるし、27日後には1億粒を超える。

 

ついでだから計算してみる (1日目を2粒から計算する)と、

40日後には1兆(10の12乗)を超え、54日後には1京(16乗)を超え、

67日後には1垓(20乗)を超え、将棋盤の目の数81日目を待たずに

80日目には1 ジョ<のぎへんに予定の予>(10の24乗)を超える。

(因みに、1ジョは数字では 1,000,000,000,000,000,000,000,000

 

全っ然、感覚がつかめないが、1兆円というのは、毎日1億円を

使い続けて、27年と5ケ月経たないと使いきれない、という大きさ、

ということで少し理解できるだろうか?

 

同じように、1京円とは、毎日1兆円を使い続けて、27年半経たないと

使いきれないという大きさの額である。

(政府の負債1,000兆円なんか3年半で終わる。)

 

・・・1億円とは、毎日1万円を使い続けて、27年半経たないと

使いきれない額である~縁のない数字だということが理解できた・・・。

 

____________________________

 

POWERS OF TEN」(http://p.tl/1c6A)という本がある。

副題が、「宇宙・人間・素粒子をめぐる大きさの旅」・・・「旅」である。

 

 

「内容紹介」には、

  美しい絵と写真によって、極大の宇宙から極小の素粒子へ、

  10の25乗メートル(約10億光年)から10分の1づつ

  スケールを変えて自然界を見ていきます。1辺が10の25乗

  メートルでは、銀河系でさえ点に見えます。

  太陽系が現れるのは10の14乗メートルから。衛星写真で

  都市が見えるのは10の5乗から。10のマイナス5乗では

  細胞が見え始め,マイナス8乗でDNAが見えてきます。

  この旅はマイナス16乗の素粒子の世界まで続きます。

とある。

 

イメージとしては、

のように拡大していったり、縮小したりするものであり、10倍で

世界がこんなに違ってくるものなのか!ということが、見ている

だけで理解できる。

 

 

買ったのが昭和58年だが、今でも結構売れているロングセラー本。

当時、かなり高価だったが、これで「世の中の大きさ」というものを、

かなりの程度理解できたのだから、まぁ良しとしよう。

 

 

驚くべきは、その先見性である。30年前の出版であるが、

進展著しい科学の世界にあって、内容は今でも通用する。

 

「旅」の最後となるマイナス16乗の世界では、

  「マイナス31乗とかマイナス32乗などという途方もなく遠い

  ところまで進んでしまえば、話は別である。」

と結んでいるが、最新の超弦(スーパーストリング)理論によれば、

その大きさは10のマイナス35乗とされている。

http://d.hatena.ne.jp/studiogooda/20131117/1384641339

 

-32乗と、-35乗ということでは若干違っているというものの、

そこでは「話が別になる」、という認識は間違っていない。

 

 

うれしいことに、この「パワーズ オブ テン」の動画がアップされている。

http://www.powersof10.com/film

 

最初はピクニックの様子から始まる。

で、何の映像なのか?と戸惑ったりするのだが、その日常生活を

送っている世界が、宇宙空間の、どのような場所なのか、ということを

1億光年(!)四方」という大きさの空間まで広げた中で、紹介する。

(10万光年四方で、我が銀河系の中での位置がわかる。)

 

因みに、1光年=9,460,730,472,580.8km、約10兆キロメートル。

1億光年は、10の26乗キロ、100ジョ キロメートルである。

(上述どおり1ジョ=1,000,000,000,000,000,000,000,000

 

 

そこまで行ってから、一転してズームアップしていき、

今度は、日常生活のスナップから、「手」の甲をアップしていき、

細胞やDNA、分子、原子、原子核、そしてクォークまで辿り着く。

 

 

動画で見落としても、トップページで、画面左側のゲージに

マウスを当てると、任意の大きさの画像が中央に映し出される。

 

 

我々は、どこにいて、何でできているのか。

 

宇宙は人間が存在するために作られた、という「人間原理」を

解説したトンデモ本が売れているという。

 

 

4とか7とか9とかの数字そのものに意味づけしようとする

のと同じような「オカルト」でしかないのだが、面倒なのは、

ホーキングとか、ワインバーグとかのカリスマ研究者たちが、

「重力の強さや、電磁力の強さ、陽子と電子の質量などの多くの

物理定数が少しでも違っていたら、宇宙には人間が存在しえなかった。」

などという論陣を張っていることだ。しょせんは「創世記」というか、

その焼き直しのような論理でしかないのだが。

 

 

かたや、東洋哲学の碩学 安岡正篤は言う。

 「人間の生命というものは、全きもの、無限にして永遠なるもの

 である。その偉大な生命が なんらかの機縁によって、たまたま

 一定の存在になり、一つの形態を取っている。われわれ人間が

 存在するということは、無限の限定であり、無限の有限化である。」

 (『運命を開く』より)

 

 

同じようなことを言いながら、実は全く異なっている。

 

 

<参考:JAXAより>

 広がりで見る宇宙(~10の27乗m・・・137億光年)

 http://spaceinfo.jaxa.jp/distance.html

 時間軸でみる宇宙(137億年前~)

 http://spaceinfo.jaxa.jp/chronology.html