写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

こいでよか。

2013年12月08日 | 書・ことば

 

・・・それで いいのだ

 

 

白州正子・・・あの、白州次郎のご令室である。

 

 

彼女は明治43年に東京で華族の令嬢として生まれたが、

華族といっても昔からの公家華族ではなく、薩摩藩の

武士だった祖父の樺山資紀が、明治維新の勲功により

伯爵を授爵された、いわゆる新華族であった。

 

その、祖父の樺山資紀。鹿児島の高見馬場郷中(ごちゅう)の出で、

樺山家には養子として迎えられるのだが、幕末の頃、朋友であった

指宿藤次郎という薩摩藩の武士が、京都祇園の石段下で、

薩長と対立していた幕府の見廻り組(新撰組と同じような組織)に

殺されるという事件が起き、そのときに同行していた前田某という

若侍が先に遁走し、多勢に無勢で無念の最期をとげていた。

 

その指宿の葬儀のとき、棺の蓋を開けたままにしておき、

前田を呼びつけて、「お前が最初に焼香しろ」と命令し、

前田が指宿の死体の上にうなだれたときに、一刀のもとに

前田の首を斬り、首が棺の中に転がり落ちるのを見て、

「こいでよか。」 と言って、棺の蓋をしたといわれている。

 

薩摩藩には、「郷中(ごちゅう)」という青少年の教青機関が

存在し、藩士の子弟は8歳の時に稚児として郷中に加わり、

20歳で兵児二才(へこにせ)の時期が終るまで、

厳しく文武の道を体得させられたのである。

 

郷中教育については、以前、『忘れる』ことの大切さ

中でも少し紹介していたところだが、白州正子も祖父に劣らず、

激しい気性だったようである。

http://jack4afric.exblog.jp/3620880 など。)

 

 

「おもてなし」ではないが、

「たしなみ について」(白州正子 著)という書を手にとり、

最初に開いたページで目に止まったのが、

「涙は一種の排泄行為である。」 という箇所。

 

こういう、運命的な出会いというものがあるから、

書店というのは、ネットにはない魅力がある。

 

 

その書には、いくつもの珠玉の名言で溢れているのだが、

 

  「世間とは、頭の中の様に 適当な温度で温められている

  場所ではありません。清潔で整頓された戸棚の様なもの

  ではありません。」

 

という記述もある。現実は現実であって、ファンタジーではないのだ。

ファンタジーなら、頭の中で居心地も良いだろうが、それを

現実に求めても何の役にも立たないし、無意味なのである。

 

9条という特異な条文があれば世界が平和になる、と思うのは

勝手だが、それはファンタジーの中でだけ。

 

国家機密なども、あって当然なのであって、それを晒すことを

求めることが当然のことだ、と騒ぐのもファンタジーの中でしか

通用しない。

 

 

12月8日は、太平洋戦争を引き起こした罪深い日だと

今まではマスコミ挙げてヒステリックに報道してきた。

 

最近では、

日本の真珠湾攻撃を、フランクリン・ルーズベルト大統領が、

事前に察知していながら、わざと放置していたことが、

フーバー元大統領の回想録などから明らかになったり、

アメリカ上院軍事外交委員会でのマッカーサー証言などから、

日本を戦争に引きずり込んだ張本人は F・ルーズベルトであった

ことが判明したこともあって、チョロっとしか報道しなくなった。

 

日本の現実が理解されてくると、マスコミは、なぜか黙ってしまう。

 (参考:2013.12.8 [産経抄]

 

ネットでは、逆に、どんどん盛り上がってきており、

12月8日は、アジア・アフリカの独立運動が始まった日

として、もっと世界的に記念日とすべき、という声も出ている。

「日本兵は今も称えられている」・・・インド

 

マスコミを盲信していたこともあったからだろうが、

(日教組の歴史教育もしっかりと浸透していたのかもしれないが)

情報源の多様化により、世の中の論調は、ここ数年で

一変したように感じられる。

 

そのため、

マスコミの存在価値が、今、問われてきている。

 

NHKの解体は、さて、どう展開していくだろうか。

・・・国会議事録より

   日本の公共放送NHKは世界で唯一外国籍の正社員を

   大量採用しており、その外国籍社員の大半は日本国籍を

   持たない在日韓国人である・・・