写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

「忘れる」ことの大切さ

2013年10月07日 | 日記

 

「安岡正篤人間学」より

 

一体人間に忘れるということがあるのは、いかにも困ったことでもあるが、また実にありがたいことでもある。造化【「ぞうか」:造物主のこと】の妙はわがまま勝手な人間の到底窺い知ることのできないものがある。老荘者流【「しゃりゅう」:連中、仲間のこと】はしきりに「忘」の徳を説いているが、肩の凝りを解くものがある。ぜひを忘れ恩讐を忘れ、生老病死を忘れる。これ実に衆生の救いでもある。どうにもならぬことを忘れるのは幸福だとドイツの諺にもいっているが、東西情理に変わりはない。                   

                             (『続経世瓊言』)

昭和14(1939)年5月20日、ノモンハン事件で、後に住友生命社長になる新井正明はソ連軍の弾丸で片足を負傷、ガス壊疸【細菌が傷口から侵入することにより、筋肉が壊死を起こす致死性の疾患】にかかって切断の憂き目にあった。不其者になって帰国するくらいなら死んだほうがいい。将来を考えあぐんで、病院のベッドで悶々とする日が続いた。

夜は夢を見る。足が元どおりになっていて、普通どおりに歩けるのだ。

<何だ、おれは足が悪くないじゃないか>

と思って、手をやってみると足がない。がっくりきたとたんにそこで目が覚める。

起き上がれるようになって松葉杖にすがって立ち、スリッパを履こうとすると、決まってないほうの足のスリッパも探してしまう。悔しさがあとに残り、かぎりなく落ち込んでいく。

そんなとき、新井は安岡正篤の著書を手にした。そして引き込まれるように読みふけり、『続経世瓊言』の前述の個所にきて、しばし呆然となった。片足をなくして悶悶としている自分に、「悩んでもどうにもならないことは忘れるがいい。忘れるということも、じつは天が人間に与えた能力なのだ」と諭してくれたのだ。新井はこれで目が覚めた。

ないものねだりをして過去にこだわってもどうなるものではない。それよりもそれは忘れて、あるものを駆使して与えられた今生の生を精一杯生きていくことのほうが大切ではないか。新井はこれで前向きに転換して積極的に生きるようになったという。

 

 

「忘」の効用というタイトルが付いた章である。

全文まま。書をスキャンして文字認識させた。【】の説明は、参考に追加したもの。

 

 

都合の悪いことはさっさと忘れたほうがいい、というもので、同じようなことを聖書(フィリピの信徒への手紙 3の13~14 )でも、

「後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り・・・、努めているのである。」

 

と、過去のことは忘れ 未来の目標へ向かってどんどん進みなさい、と説いている。

 

心の病の人たちの原因のほとんどは「過去へのこだわり」だという。

過去に拘泥するあまりに、未来への展望を欠いて、悩み苦しんでいるのが心の病の実像である。

思い悩めば、ますます落ち込んでいくだけである。

 

確かに

どうにもならないことは忘れる」、に限る。


これは、

「でき得ることには、必死で取り組む」、ということも意味する。

 

 

ところで、

明治維新を成し遂げた西郷隆盛や大久保利通、そして日露戦争を勝利に導いた東郷平八郎 等を生んだ薩摩藩では、戦国の猛将「島津義弘」が種をまいたとされる

郷中(ごじゅう)教育」というものが息づいていた。その教えというのは、

 

「負けるな

ウソを言うな

弱い者をいじめるな」

 

という シンプルなもの。

 

 

一般的には、

  (他人に)負けるな

  (他人に)ウソを言うな

と受け取られがちだが、真骨頂は、

  (自分に)負けるな

  (自分に)ウソを言うな

なのである。まず、「自分に負けるな」、なのである。

これは深い。

 

 

普通の教えは、それでいいのだが、

心が折れそうになっているとき、折れてしまっているときには、

遠慮無く、「自分にウソを言う」 ということが有効でもある。

 

そのあたりは、以前、「笑顔でいること」で書いたし、

そこでも紹介していたが、「脳のだまし方」でも、

新しい習慣づくりの方法が解説されている。

 

 

ここまで書いてきたら、

やはり、あの「ウソ」にまみれた言葉を思い出してしまった(悲)。

 

「千年の恨みを忘れぬ」と言った隣のオバハンである。

 

世界中、行く先先で、悪口雑言を吐きまくっているようでは、絶対に「明日」は共有できないだろう。