写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

「青春」(『Youth』)

2014年09月27日 | 随想

 

 

2014/9/26の日経「春秋」は、サミュエル・ウルマンの「青春」

採り上げていた。

 



パナソニックの創業者 松下幸之助氏が「日に新たな活動を

続ける限り、青春は永遠にその人のものである」と、経営にも

取り入れたことなどが紹介されている。

 

 

 

中でも、有名なのが、

 「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに

  初めて老いが来る。歳月は 皮膚の しわを増すが、

  情熱を失う時に 精神は しぼむ。」

という部分。

 

 

 としを とったから ふけるんじゃない。ふけるのは

 やりたいことを みうしなったとき なんだよ。

 としを とると はだが しぼむ、でもね やるきを

 なくすと たましいが しぼむ。

 

ことばの広場」には上記のような口語訳も載っている。

(英詩 『Youth』も載っている。)

 

 

まぁ、「定年後、特に どこかの社会参加をすることもなく

家で食事だけを楽しみに生きて、趣味は喫煙、時々ゴルフ」

という、確実に『要介護の報い』を受けるだろう という世代

(「高齢男子の幼児化とマリア化する介護」)の人たちには

この上ない慰め(励み?)の言葉、なのかもしれない。

 

 

青春といえば、

「若さは素敵とみんな言うわ・・・・

だけど こぼれる今日の涙が胸に落ちて痛い」と、「タッチ」の

愛がひとりぼっち」の中でも若者の気持ちを吐露しているが、

それ以外にも、率直に「若いという字は苦しい字に似てる」と

「若さ」そのものに疑問を投げかけている歌もあるくらいなのだが、

「年寄り」以外は「若さ」というものに、それほど強い「思い入れ」などと

いうものはないのではないだろうか?

 

 

 

ぼくはキミよりも若いよ」と諫められて以来、師と仰ぐことと

なった人物に出会えた果報者の愚生だが、「若いな・・・・」とか、

「青いな・・・」と冷笑されるたびに、早く老成したいと思っていた

ものだった。

 

 

ただ、

一つの分野で円熟し・・・ということは全く考えもしなかった。

いろんな方面に関心・興味が尽きず、できるだけ多くの体験を

積みたいという動機が勝り、結果、ただ トシをとっただけで、

「その道」というものを何も極められなかった・・・。

 

で、好奇心といえば、これがまた若い頃と同等、あるいは

それ以上に旺盛な今日この頃である。

 

探求し続けるための体力の衰えは顕著だが、今でも「宇宙」や

「素粒子」、「歴史」、「風習」、「宗教」、「言語」、ITにエロ・・・・と

(医の方面には昔から関心が向かなかった・・・・)、まぁ、確かに、

これらへの興味・関心を無くしてしまうと冒頭の詩のように「しぼむ

というか、「枯れる」んだろな・・・・納得。

 

そこまで生き長らえれば、の話だが。

 

どういう訳か、ウルマンの「青春」と聞けば、「アランの幸福論

を連想する。たぶん、同じような時期に巡り合った本だから、

なのだろう。

 

それ、次回に。